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名曲よもやま話(3)バッハは教育パパ

 子どもたちの発表会の定番曲で、「バッハのメヌエット」として知られてきたト長調のメヌエット。実はクリスティアン・ペツォールト(1677-1733)の作曲したものであることが近年判明し、発表会のプログラムでペツォールトのメヌエットと記されることも増えてきました。

 このメヌエットが収められている「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」は、1725年頃にまとめられた私的な小曲集で、おそらくバッハ家の家庭内で弾いて楽しんだり息子たちの教育に用いたりしたものです。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ自身の作品だけでなく、息子カール・フィリップ・エマヌエルや、同時代の他の作曲家(クープラン、ハッセなど)の小曲も含まれ、その大部分がアンナ・マグダレーナ(ゼバスティアンの2番目の妻で、宮廷ソプラノ歌手だった)の筆跡で記入されています。作曲者が分かっていない小曲も複数あります。

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アンナ・マグダレーナ・バッハ

 メヌエットの作曲者ペツォールトは、今日では無名の存在ですが、当時長らくドレスデンのゾフィア教会のオルガニストをしていた人です。ドレスデンでは、1717年、ワイマールの宮廷オルガニストだったゼバスティアンが当地を訪れた折、その時滞在していたルイ・マルシャン(フランスのオルガニスト)との競演が宮廷で企画されました。ところが、マルシャンはゼバスティアンの実力を恐れたのか、競演当日に逃げ出してしまいます。この事件は、後々まで語り草となって、ドレスデンでのゼバスティアンの名声を大いに高め、1725年、1731年にも、ゾフィア教会のオルガンでゼバスティアンの演奏会が開催されました。こうした中で、この教会に勤めるペツォールトとも接点が生まれたと考えられます。

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ペツォールト

ゾフィア教会とペツォールト

 ちなみに、1733年に亡くなったペツォールトの後任としてゾフィア教会のオルガニストに採用されたのが、ゼバスティアンの長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハです。フリーデマンは、「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳」などで、ゼバスティアン自ら音楽の英才教育を施してきた自慢の長男。応募に際し、ゼバスティアンは、自分のコネでドレスデンの聖職会議評議員に手紙をしたためるという親馬鹿ぶりを発揮し、フリーデマンの就職に暗躍したのでした。

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ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ

 フリーデマンは才能豊かな作曲家で、ロマン派と見紛うような半音階的な作品を残していますが、プライドの高い性格が災いしたのか、仕事面ではトラブルが続き、不遇のまま世を去りました。パパ・バッハに甘やかされて育ったのがよくなかったのでしょうか…。教会音楽の仕事で父親の作品を流用したりするサボり癖もありました。

 これは、フリーデマンのポロネーズ第4番 ニ短調。随分とロマンティックな音楽なのに驚かされます。

 パパ・バッハがフリーデマンの英才教育に使った「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳」には、同じモチーフを使って父子が作曲した、こんなレッスンの痕跡が残っています。再現ビデオを作ってみましたのでご笑覧ください!

参考

バッハの息子たちの音楽的業績や人生について知るのに好適な良書です!バロックから古典派への過渡期、前古典派と言われる時代で、この世代の音楽を知ると、音楽史の「点」が「線」でつながります。

初出 月刊音楽現代2019年1月号 内藤晃「名曲の向こう側」

音楽の奥深い面白さを共有したいと願っています。いただいたサポートは、今後の執筆活動に大切に使わせていただきます!執筆やレッスンのご依頼もお待ちしています(officekumo@gmail.com)。