運命は扉を叩かない
「運命はこのように扉を叩く…」
第5交響曲(通称《運命》)の動機についてベートーヴェンが語ったというこの言葉は、実はフィクションであることは皆さんご存じの通りです。
晩年のベートーヴェンのお世話係だったアントン・フェリックス・シンドラーは、ベートーヴェン愛が高じて、自ら記したベートーヴェン伝のなかで、偉大なベートーヴェン像を演出すべく、さまざまなエピソードをでっちあげてしまいました。さらには、伝記の信憑性を高めるために、ベートーヴェンの筆談の会話帳にあとから自分の台詞を加えるというトンデモナイ偽装もしています。
この人です。山師っぽい胡散くささがプンプンしてますね。
彼がベートーヴェン像の捏造に手を染めていくプロセスは、かげはら史帆さんの『ベートーヴェン捏造』で実にスリリングに追体験できるので、ぜひご一読ください。
ただ、これらのエピソードのおかげで見事な印象づけがなされた面もあり、シンドラーは迷コピーライターとして亡きベートーヴェンの名声向上に貢献したと言えます。第5交響曲も、もし「運命は…」のエピソードがなかったら、果たして…
ほかにも、たくさんのもっともらしい偽エピソードが。
↑「シェイクスピアの《テンペスト》を読みたまえ」
↑これは、メルツェル(メトロノームの発明者)に献呈した《タタタ・カノン》↓を転用したものだ(これはシンドラーが創作した架空の作品)
…ホラを吹くのもいい加減にしてもらいたいものです。
ところで、ベートーヴェンの弟子だったツェルニーは、第5交響曲について、プラーター公園を散歩している時にキアオジ(鳥)の鳴き声から着想したものだと書いています。
キキキキーという特徴的な鳴き声…。だいぶイメージが変わりますね!
ツェルニーといえば、あの生真面目な練習曲。その真面目さを信じるならば、第5交響曲は、私たちが抱いているイメージよりももっと軽快であってもいいのかもしれません。
ツェルニーの回想録にも、色々なエピソードが出てきて、
↑「窓の外をギャロップで走り去った馬の蹄の音から浮かんだ」
↑「星空を見ながら宇宙天体の響きに聴き惚れて浮かんだ」
信じるかどうかは、皆さんしだい…。
さて、第5交響曲が1808年12月アン・デア・ウィーン劇場で初演されたとき、第6交響曲(田園)と、ピアノ協奏曲第4番 Op.58が一緒に演奏されました。ピアノ協奏曲第4番は、第5交響曲と同時期に作曲されたもので、同一のスケッチ帳にその断片が現れるほか、同音反復する主要動機がよく似ています。
ツェルニーを信じるなら、キアオジ2部作と思ってもいいのかもしれません。高貴な叙情あふれる、大好きな作品です。
最後に、筆者による第4協奏曲の演奏を。
参考 かげはら史帆『ベートーヴェン捏造』
シントラア『ベートーヴェンの生涯』
ツェルニー『ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法』
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