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【Day.5】 6/17 メディカ、リヴィウ

6時30分起床。
天気は曇、気温は13℃。
肌寒い。

今日のミッションは、生鮮食品の買い出しを済ませてから2台に分かれて、
3ヶ所の避難所に食品を届け、リヴィウ市内でPARACREWのメンバーであるDanielとAnnaと合流し、医薬品を彼らに届ける、というものだ。

手早く身支度を済ませて84を出発する。
昨晩はゲートのまわりにおそらく200人近く集まっていたように思う。
酒瓶を手にする女性たちも相変わらず立っている。
昨晩の酔っぱらいは、このお酒を呑んだくれたのだろうか。

いつものCash&Carry(現金問屋)のお店で買物。
「あら、また来たの?」という風情で出迎えてくれる。
今日はカート8台分の生鮮食品を買う。
これらの購入資金はSallyがイギリスで行ったチャリティイベントで集めた寄付が充てられている。

SimonとSallyはBettieへ、Travisと僕はBerthaに乗り込む。
食品と医療物資が満載された2台のバンは、国境に向かう。

移動中の2台のコミュニケーションはトランシーバーを使う。

ポーランドからウクライナに向かう車列は相変わらず。
人道支援団体のパスを持っている我々も、この時は1時間ほど待たされる。
この日は特にバスが多く、検問でのチェックに時間がかかっているようだった。
ポーランドとウクライナの国境は、ベルディシュチェ、ゾシン、ドウホビチュフ=コロニャ、フレベンネ、コルチョバ、メディカ、クロシチェンコの7箇所。
メディカのゲートは、道路事情の良さから大型車が集中する。
Travisは、メディカがあまりに混雑する場合はクロシチェンコ(メディカから70kmの場所)からウクライナに入国することもあるが、片道2時間はかかる山道なので、結局メディカで待ったほうが効率が良いため1度だけしかその方法を選んでいないと話してくれた。

検問所に入る。
僕にとっては2回めのウクライナ入国。
大体勝手はわかったので、書類を書いたり出したりする手伝いもする。
(SimonとTravisは昨晩の残りのピザをテイクアウトして、大事に食べていた。)
荷物のリスト、パスポート、人道支援活動の計画が書かれた書類を係官に渡す。
前回同様、特に問題なくポーランドを出国しウクライナに入国する。
この時は、まだこの入国手続きが問題になるなんて、思いもしなかった。

ウクライナに入国。
リヴィウの中心部に向かうまでに、2つの避難所に立ち寄る。

1箇所目の避難所は、廃校になった高校。
廃校になったとはいえ、侵攻当時から避難者が生活するため敷地内はきれいに整えられている。
広場ではネコチャンが探検していた。

学校に限らず、ウクライナ国内では公共施設や教会が避難所として使われている。
この学校には50人ほどが生活しているとのこと。
物資が奪われることが頻発したため、大きな出入り口は土のうを積んで封鎖している。
校舎の中は薄暗くて、消毒液の匂いが漂っている。
日本の公立学校の作りと似ている。
廊下、教室、給食室、ランチルーム。
食品を給食室横の倉庫部屋に運び込む。
薄暗いランチルームには、男性が食事を取っていた。
兵士だったのだろうか。
軍用服を着て丸刈りで、目つきが鋭くて、年は30代半ば。
彼の右手は肩から肘まで包帯が巻かれていて、肘から先がなかった。

この避難所の世話役は、「ウクライナの肝っ玉母さん」と呼ぶのがぴったりな雰囲気のご婦人で、荷下ろしは彼女とおそらくご主人だろうか、丸太の様な体型の男性が手伝ってくれた。
肝っ玉母さんはバンの荷台を眺めて、必要なものを的確に指示を出す。
僕はそれを丸太おじさんと黙々と運ぶ。
ランチルームで食事をとっていた男性はいつの間にかいなくなっていた。
Simonは肝っ玉母さんと親しく(といっても母さんもおじさんも英語はかたこと)て、ハグをして「また来るよ」「また来てね」とお別れ。
僕も流れで母さんとハグをする。
泣きそうになる。
同じ人間なのに、なんで武器で殺し合わなきゃいけないんだ。

次の街で、宅配便の窓口に立ち寄る。
ロンドンに避難しているウクライナ人が、親類に荷物を送りたいとのこと。
ロンドンから発送するより、ウクライナ国内から発送したほうが断然安いのでABWはこういった要望にも応えている。
こういった支援は小さなことだけれどとても大事なことだと思う。
大きなNGOや行政にはこういったサポートはできない。
個のつながりがコミュニティになって、コミュニティを通じて支え合う輪が広がっていく。

集荷所には20人くらいの先客がいる。
僕たちは4箱を預ける。
無事に届きますように。

待ち時間の間は次の段取りの確認をする。
行く先々で計画外のことが起こるけれど、年の功で我々中年男女は動じない。

荷物を発送し、2箇所目の避難所に向かう。
この避難所も学校だった。
そこにいた人たちの表情や姿勢を見たら、とても撮影ができなかった。
7人の男女が荷下ろしを手伝ってくれたが、どの人も憔悴していて笑顔がなかった。
学校の中は衛生的とは言えず、埃っぽくトイレの臭いが漂っていた。
中庭には洗濯物が干しっぱなしで子供用の自転車が雨に打たれていた。

黙って荷物を運び、言葉も交わすことなく避難所を後にする。

雨の中、リヴィウに向かう。
M11を東へ。

1時間半ほどでリヴィウへ。
人口約70万人の都市で、旧市街は世界遺産に登録されている。
2022年2月の侵攻以降、たびたび巡航ミサイルで爆撃され、近郊の軍事施設やその周辺の民間施設と発電施設に被害が出ている。

街中は歩行者天国で、たくさんの人が歩いている。
ありとあるゆるお店がある。
動画にある「USUPSO ゆうやと」はバラエティショップで、諸々のデザインがUNIQLOに似ている。
そして、意匠的にアウトな物がいろいろと並べられている。

レストランのテラス席で飲食しながらおしゃべり楽しんでいる人たちや、ウィンドーショッピングを楽しむ人たち。
「平和」で「普通」な東欧の歴史ある街の夕方。

PARACREWのDanielとAnnaとケバブレストランで合流する。
とりあえずご飯を食べます。
「えーと、戦時下ですよね?」という感想を持つほど「普通」で「平和」なディナータイム。
お互いの近況報告をしながら料理を待つ。

肉肉しい食事に飽きていた僕は、チキンサラダを発注。
Travisはスペアリブをがぶり。

食事を終え、僕らがメディカから運んできた医療系の物資をPARACREWの車に移し替えるために駐車場へ移動。
食後のジェラートを食べ歩き。

石畳の街並みがきれい。
日本人はおそらく僕だけ。

1時間ほどの滞在。
リヴィウにはおよそ20万人の国内避難民が生活している。
ウクライナ国内の避難状況に関してはUNHCRのこちらのレポートを参照されたい。

この写真が撮影された時間から36時間後、この場所から3kmほどの場所でドローン爆弾による爆発があった。
「普通」で「平和」なわけではなかった。

リヴィウ駅前のロータリー広場で待ち合わせて、物資の載せ替えを始める。
時間は午後7時30分。

SimonにはこれまでのPARACREWとの取り組みについては話してもらう。

なんとなくTravisにはディナーの感想を。

Danielには自己紹介を。

Annaにも自己紹介を。
2人はこのあと、南部のヘルソンに移動し、ダムが決壊した街に医療物資を届けに行く。
ラストワンマイルはこのようにして繋がっていく。
誰かがやってくれるわけではないので、自分たちでやる。
リスクを負って活動する人は少ないので、AnnaやDanielのような人たちはとても貴重な存在だ。
彼らの活動がひと段落したときに、インタビューしてみたいと思った。

リヴィウから約2時間、23時過ぎにメディカ国境に戻る。
ウクライナの検問所そばの無料駐車場にバンを1台残し、Simonと僕は徒歩で国境を超える。
ウクライナの出国ゲートでパスポートを渡してチェックを受けて、その後にポーランドの入国ゲートを通過する。
ポーランドの男性係官が僕のパスポートをじっと眺める。
隣のブースにいる先輩らしき女性係官に何事かを相談している。
女性係官が「えっ!?」という表情で目を見開いた瞬間を僕は見逃さない。

なにしろ僕は人間観察と状況観察が高いレベルで求められる職業、ファシリテーターなのである。
一瞬の雰囲気の変化を見逃さない。
明らかに問題が発生している。
僕のパスポートに、というか僕に何かが起きている。

男性係官に「こちらに来い」と手招きされて別室(スチール机と椅子が4つと監視カメラだけの真っ白い部屋)に通される。
「ミスタナガオ、あなたはどうやってウクライナに入国した?」と英語で訊かれる。
「How did you enter Ukraine?」だったと思う。

「ん?今朝さっき入国ゲートを僕の前に通過してったSimonと入ったよ。車を運転して入りましたけれども。」
「いや、そういうことを訊いているんじゃない。ちょっとだけ問題があるんだ。君のパスポートにはウクライナの出国スタンプが押されているが、入国スタンプが押されていない。」
「そんなことある?(What's !?)ちょっと俺のパスポート見せて。」

確かに押されていない。
一昨日の入出国にはウクライナ・ポーランド両国の入出スタンプが押されているが、確かに今日の入国スタンプが押されていない。

「なぜスタンプが押されていないんです?」と男性係官が穏やかに眉間に皺を寄せながら訊いてきた。
僕は少し考える。
このような場合に、どのように答えるのがベストなのかわからなかったからだ。
遠回しにウクライナ-ポーランドを密入国あるいは密輸を疑われているわけである。
そして僕は答える。
「知らん。」
Don't know whyである。
当然、僕の脳内にはこの曲が穏やかに流れ始める。

男性係官の反応は、「うん、まあ、そうだよね…。」であり、僕の態度は「そんなもん俺が知るわけないだろう。入国したから出国スタンプが押されてんだから、そっちのミスだよね。」と堂々したものであった。
もしいろいろと言い訳めいたことを言ったり状況を丁寧に説明したらめんどくさいことになったでしょうね。

知らん時は「知らん」と言う勇気、大事です。

ゲート外でSimonが待っていた。
「どうしたの?」
「ウクライナの入国スタンプが押されてない、って言われてさ」
「ああ、そう。」

ウクライナから徒歩でポーランドに入国する際に通る歩道。
国外に避難する人も、国内に戻る人も通る歩道。

ゲートから84までは距離にして200m。
歩道脇にはちょっとした空き地があって、昨年の夏まではここに大量の支援物資が積まれ、段ボールの山ができていた。
支援団体もここにテントを立てて避難者に対して様々な支援活動をしていたが、今は跡形もなく片付けられていた。
このニュースで使われている写真も、このニュースで使われている写真も、このニュースで使われている写真も、この場所で撮影された。

1,400万人と言われるウクライナ侵攻の避難民に対して、僕は何ができるだろう?

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