見出し画像

石垣について

好きな石垣は? と訊かれたならば、私は即答でこう応える。

「野面積みです」と。

野面積みの何が良いかと、それを語ると、軽く8テラバイトを越えてしまうので、ひとつだけ書いて、あとは自重しよう。

良いところは、「草木と共生できるところ」である。


石垣の中でも、ほかに、打ち込み接ぎも(積み方の仔細はまた別に)、草木と共生できる石垣もある。

野面積み含めたそれらは、石垣の歴史でも、「用を為す」そのためだけに築かれた「機能性重視」という主体がある。

時代が下がり、機能性よりも「見た感じの綺麗さ」を求めた石垣が出てくる。
目地が真っ直ぐ通った、方形の切石で積んだ切り込み接ぎや、六角形に加工した石垣の亀甲積み(江戸城とかね)だ。

石を切り、加工し、綺麗〜な真っ直ぐな面にして積みあげ、石垣にして、ひとつの美とする。

その考え方、とっても好きで、素晴らしい知恵ととてつもない高い工法があり、ただただ尊敬できるのです。

..が、弱い。

外圧に弱いのである。
たとえば地震。地面が揺れ、石垣の石一個づつが揺れる。
そのとき、面が真っ直ぐだと、石同士が噛み合う摩擦が少なく、スルッと、崩れる。
台風に対しても同じことが云える。

外圧とは書いたが、石垣は、石垣内部からの力(内圧)も凄まじく、石垣の中は土なのだが、土の重さ、城郭や建築物の重さ、加えて雨水の重さ、雪の重さなどが、最下層の外面である石垣に加わる。

数十トンという内圧が、常に加わるのである。

そのため、切り込み接ぎや目地の通った石垣、現代のコンクリやモルタルの垣には、内部の水をハケさせる筒が入れてある。

私はそれを 美 とは捉えない。

目地が綺麗に通り、隙間なく石が積まれたその石垣に植物の種が落ちても、そこで命は育まれない。

..野面積みは、その工法から「手がかり(文字通り手がかかる箇所)」が多くなり、敵兵や間者が登りやすい、ダメな石垣だと人は云う。

だが、現代のコンクリモルタルよりも強度が高く、頑丈で、決して自らの美しさを高慢気に誇らずじっと耐え、無骨な外見だが、草木を育む深い懐と優しさを持つ 野面積みが、私は好きだ。