種の起源
旅先で、たまたま立ち寄った処の二階で、古布市が開かれておった。
そう、近江は、繊維の街でもあるのだ。
最近世界遺産に登録された「富岡製糸場(群馬)」も、近江の織女が居なければ隆盛しなかった。
山深い土地を持ち、桑畑があり、水が綺麗な場所は、絹織物の名産地となる。
それは、厳しい風雪の土地を意味する。
加えて、近江は「近江商人(のちの・伊藤忠・丸紅・東洋紡(東レ)・高島屋・大丸などなど)」と呼ばれる、商才に溢れた商人を生みだした土地でもある。(工業だとヤンマー)
それも、農地や農作物に豊かに恵まれなく、藩政が厳しかったことをそのまま意味する。
..でもおれ、なんかこういうの好きなんやよね〜。。 ..なんて云うか、「恵まれなかったベース」から、「試行錯誤した結果」が、「素晴らしいものを産む」っていう、そういうの。 ..人類もさ。 ながーい目で云うたらそんな感じやないすか。 猛獣や、つっえー、他の霊長類から追われ、逃げ、たどり着いた恵まれない土地に住んで、なんとか生きようと「言語を産みだし」、「道具を産みだし」、「農業を発明し」、「保存し、分け合う社会性を産みだした」ことが、今の人類の発展の大きな要因やとおもうし。 ..んん、、、なんやろ、、、やから、、案外、恵まれた環境に居て、それに慣れ切ってしまうと、種や生命体・個として、成長、進化・変容できひんとおもうんよね。。
...あ、ごめんw閑話休題。
んで、立ち寄った処で、古着の着物が、格安で売ってたので、買うてきたでまんねん。
単衣も帯も、格500えんでまんねん。
商いに来てた女将は「昔のひとは小さかったから、、」と云うてたけど、やっぱ、いろいろ合わせてみて、ほんとにそうやったんやなーと、身を持って体験できた。
身丈(縦)は合っても、袖幅(腕)が合わないのだ。
会場に有ったもののほとんどが、明治〜昭和初期のものと云っていたが、わずか100年で、人間の姿形はこうも変わるのかと、そう体験できたことは、とっても感慨深かった。
ちなみに、クッソどうでもいいカミングアウトですが、おれ、中三んときの測定んときのハナシ。
おれは、身長がめっちゃ小さかった(今もやけど)。
測定結果が出て、学年男子140人中、下から3番目やった。
(こういう統計って今の学校で出るんかな?)
まー、慣れてたけど、それなりにショックで。
でも、おれはその年頃から結構筋肉がついてきて。
トレーニングもしてて。
胸囲が、14歳当時で102cmあった。
(チビデブだったわけではない。ガリガリのほうやった)
それは、学年男子で2番目やった。
胸囲1位は、シュン坊という、むちゃくちゃガタイがイイ猛者やった。
その結果用紙を見て、おれは「あー!おれ結構イケてんっちゃうのー?」と、期待を抱いた。14歳だから、卒童貞も夢に描いた。
だが、統計用紙はさらに続き、私をまた暗闇に戻した。
そこには、「座高、上位10番目くらい」と、そう書いてあった。
これは、酷く私の心を打ちのめした。
だって、「身長が下から3番目」やのに、「座高が上から10番目」って、 むちゃくちゃ脚短いってことやんか!!!!щ(゚Д゚щ)!!!
どうなってんだよ!!!
お前ら(級友)未来人か!!!
..アレか! アレか!? 戦後、肉食になって、どんどんスタイルが欧米化していったっていうアレか!!
..なんなんだお前ら!!
欧米か!!
...ガキの頃からつるんできた親友達に、なんだか裏切られた気がして、その夜は尾崎豊を聴きながら泣いて過ごしました。
..けど、脚が短いって、それまでも、その後も、自身にとってベネフィットしかもたらさなかった感覚がある。
、、、ボクは、剣道、サッカー、スケートボード、ランニングをやってきたのだが、それのどれに置いても、 「脚が短い=(身長に対して)重心が低くある」は、有利に働いてきた。
特に、対戦もの。剣道、サッカー。
ぶつかり合い、相手をなぎ倒す競技なんやけども、重心が低いということは、それだけアタリに強いということ。
スケートでも、「滑れてる」ということ。
ランは、、、わからんけど、地に脚がついてるんちゃうかなーっておもう。(あとストライド走法ではなく、競歩のような走法に向いている)
..やで、なんやろ。。。
あー、あれや。
「恵まれたボディではなくとも、頑張ったら、なんとかなる」し、「そう在りたい」って云うやつや。
上手いことまとめたったわ。
おあとがよろしいようでm(__)m