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邂逅


退勤後に愛知県に行き、岐阜県を通って三重県に帰ってきた。

この路はいつかきた路。

十何年か前、保険営業の職に就いていた黒歴史の頃に、毎日通っていた路。
あの頃から頭がおかしく(それまでもまぁおかしかったが、ほんかくてきに所謂病的に)なったのだが、あの頃は、この景色に気づかなかった。

綺麗やよなぁ。。。 ...全国でも極めて悪質なドライバーが多数を占める地域がいくつかある。それは、車のナンバープレートでドライバー同士は察する。

ここ東海地方で「尾張小牧ナンバープレート」をつけていると、ヒッジョーに差別される。
それがどうとかは何も云えんが、ボク自身、オワコマナンバーは気をつけて視ているドライバー。

その聖域に職場があったので、揉みに揉まれて、心がすさんでいったのもまた事実。

結局、職を辞するトリガーになったのも、悪質ドライバーの暴挙。

今日ひさびさに通ってみて、またやはり心すさんだ。 あいつらマジで大丈夫か? おれやったら、オワコマナンバー地域で生活したくない。リスク高杉。 ...でも、あの頃のおれも、そういう運転やったかんもしれん。
「譲ったら負け」的な何かはあったかもしれん。恥ずかしい。

異常なまでの、煽ってんじゃねーの?というぐらいのスピードレースのさなかでは、自身の進む道しか、若しくは人によっては「前の車のテールランプしか」見え(て)ない。
...それと、酷いけども一定数は、携帯電話か漫画しか見てない。
嫌味を云わせていただこー。 「そのスマートフォンにさ、「目の前の信号機が赤か青かが出てくるアプリあんで?いれへんの?」 である。まじで。

嫌味すまんこなー。けども、おれ、大っ嫌いやわー、電話やメールしながらや漫画読みながら運転してる奴ら。

人の命より大切にしてるってことやんな?その価値観って。 おれそれ受け容れられん。
最愛のひとが車に轢かれて死んだとき、「サーセンした!チョーマジ ダイジな電話出ててテキトーっした!わら」 とか釈明されたら自制できかねる。

そういう現場をみて、保険会社辞めました。 ...おれにとっての黒く感じてた場所。

この橋。

大河を渡る大きな大きな長い橋。 ...なんや、、めちゃめちゃ綺麗やんか〜。 なんであの頃気づかんかったんやろ。

周りが見えてないことは、自分すらも見えてないのやな。

人はその状態を「余裕がある」と云うかもやけど、ただの「視点の違い」なんやろなーっておもう。 「死にたくない」、「他人を殺したくない」という立場から視るだけで、いろいろ観えてくる。 、、書きはじめは「まぢ綺麗わら」とかのキャプションにしようとおもてたけども、結局 #キャプション長え

お気づきでしょうが、これ運転中に撮った写真です。

矛盾しまくりですね、おれ。

5分以上、動かなかったので(右折禁止のとこを右折しようとして立ち往生したトラックが居て戦場のような怒号(クラクション)の嵐のなか)パチリ。 ..ヤだけどさー、そういう傲慢な奴らが仕出かした事で奪われる時間って。
けども、「川と山と夕陽」って、それ最強のコンボやん。

此処からじっくり観れる時間って、あんま無いやん。

釣りしてる人以外は。


..嗚呼、いまこうやって、あの頃の澱が積もった景色の記憶、観直せることができて、ほんとうによかった。

私は、私が進みたい路を、私が選んで決めた快適な速度で、泣いたり笑ったり、歌ったり、誰も殺さず、他者の命やそのひとの大切なものを尊重しつつ、けれども私が生きたいように、私の路を進む。

それが、蓋をして視ないようにしてたあの頃を視れるように成った、今の私の捉え方・考え方。
まだまだ私は進みたい。
明日、明石のほうへ旅に出ます。
これもまた、過去に置いて触れずに居たことへと再び向き合う旅。

たくさん好い風景が観れたらば、それが佳い。



#アキラムムリクの懐古録 #いつか来た路