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変化と反復

【御自愛日誌 2日目】

腰は、ともが「明日には引くようにした」と云ったように、痛みはかなり引いた。
流石は松本。

が、力が入れられない。
急な動きが怖い(たぶん、急制動すると痛む)。

で、土日の山の仕事は、避けても絶対それを求められ続けるので、上司にそれを相談し、きょうも大事をとっての静養日。

という名のズル休み。

ふつうに家のことしてましたわ。

立てるし。動けるし。

久々に家のこと。
日常では手をつけられなかったとこ。

縁側の掃き出し窓。

なにぶん、古い日本家屋なので、いたるところに傷みが出ている。
暮らし始めた頃〜つい先々週まで、(入居にあたっての)初期不良の工事をしておった。

んで、なかでもやっぱ建具の不具合は、どうしようもない。

建てた当初から家屋自体は歪んでくるから、その当時に合わせた寸法の建具は、素直に動かなくなる。
でもまー、むしろ、築50年のあたりで、2011年の震度5(東海地方)を耐え抜いたのは、流石は古民家とおもう。

..と云うか、登記簿では築50年となっているけども、絶対にそれより古いよ。
増改築を重ねた面影が随所に見られるけども、当初は土間づくりの、大正から昭和初期の建築やと私はおもう。住んでてそう感じる。

「木の家は"呼吸"する」って、ほんとにそれが解った。

ここのとこの木の芽時を迎えて、大気に湿り気が多くなったらば、急に縁側の掃き出し窓が動きづらくなった。

縁側は、真冬日でも陽だまりになり、煙草を喫うときなどはその窓を開けておったので、最近気づいたことではなく、確実に徐々に動かしづらくなったのだ。

木は、湿り気を吸うと膨張する。

その膨張したぶんだけ、窓の桟と緩衝して動かしづらくなる。

それはなにも、設計の不具合でも、経年変化を踏まえての不具合でもなく、「当たり前な、自然ののこと」。

あえて云うならば、アルミサッシ(死んだ鉱物)窓には絶対に出ない現象。

ニルヴァーナというダメ系ロックバンドを主催していた、ダメ人間代表のカート・コバーンというひとは、あるインタビュアに「あなたにとってギターとは何ですか?」と訊かれ、逡巡したのち「....死んだ木」と応えた。

最高にロックだとおもうが、ギターも掃き出し窓も、伐採されたあとも呼吸をするので、膨らんだり、縮んだりして、さながら生きているかのように感じる。

カートほどのギタリストがそれに気づかないはずはないので、「あえてのロックンロール名言」やと思う。

❂❉❆閑話休題❂❉❆

木もひとも、死んだ木も、死んでるかのような生活をしている(きた)ひとも、あんま変わらんのですよね。

地球で生きているうえでは、どうしてもその大きな影響を受けるので。

季節が変われば、状態も変わる。

季節の変わり目に、疲れが出たりする。

その後の季節に適応するために、身体を変える。

変化が出るのは、当たり前の自然なことなのです。

...という、"暮らしの手帖愛読者"みたいな台詞を持って、今日のズル休みを正当化したいと思います。

パートさんごめんね!m(__)m!

...すっげー静養できたよ、ありがとう(๑′ᴗ‵๑)

[動画]

湿り気が多くなると、この風鈴を出します。
この家でやりたかったことのひとつ。

14年前に姫路に旅に赴いた際、めちゃめちゃ金なかったけど(これ買ったから、それから2日飯食えずに帰ってきた)も、どうしても手に入れたいと感じ購入したたもの。

明珍家 さんという、昔は日本刀や武具・甲冑を制作していた鍛治師が、戦乱の世を抜け、武具や甲冑が売れなくなり、それにあたって、学んだ技法をそのまま「火箸」に取り入れたのが江戸時代。

その後「火箸」が売れなくなり、それにあたって、今度は火箸を風鈴に仕立てあげた。

これがまた、最高な音質でしてね。

素材は、流石は鍛治師というべきか、その播磨という土地がそうなのか、当たり前に「たたら製鉄」で造ってらっしゃる。

たたらで造った鉄の作品って、美術品レベルの日本刀か、十万レベルの和包丁しか手に入らない。

それが、気軽に手に入れられる(帰り道飯食えないけど)。

音の良さ(?) なんかは、SONYが音響テストに公式に使用していたり、すてぃーびーわんだぁさんという歌手や、きたろうさん という変な楽器奏者が、この風鈴を使ってます。

だいぶ使いこんで、糸も風うけのものも、当初のものとは違うけれども。

これは、私にとって大切な季節を感じるもの。

こうやって、自らを変化・成長させて、生きて、ゆきたい。