葉。
個として、一人のひととしてどう生きるか、ということだと想う。
個が集まったものが集団で、社会で。
社会として、集団として生きる、もしくは個が社会と繋がって生きるには、「法」とか「ルール」とか「ジョウシキ」とかの決め事を尊守しなければ、集団生活・社会生活=ホモサピエンス は栄えない。
そこから「集団を先導する者」が必要になり、船頭の舵が当たっているうちは、個が各々方の生活にあたれる。
船頭は、それがあっての糧を得る。
そのうち、「この面舵(進行方向に向かって、右舷側)には、こういう意味があって、愚民には解らないだろうが、とっても意義がある(私たちクウを食む者には)のだよ」
と諭され、なんとなく「はぁ〜、そんなものかぁ〜」と、突然目の前に現れることになる××××××を解することに難儀をする。
それでも、愚民は、私が、私=個が、個=集団が、集団=社会が、私たち日本が、そして世界が、より佳き世界に成るようにと、シアワセに暮らせる様にと、暗愚ながらも今日も櫂を漕ぐ。
船頭多くして 船は山に登る。
そして船頭は、一等迅速に船から逃げる。
音楽家は、逃げられない人々に演奏を手向ける。
生き残った者から新しい泥の世界を創る。
純粋培養された悪だけが残り、灰汁の下にある澄んだ美味しい出汁は、高く売られる。
出汁の美味しさを知っていた主権者たちは、煽動によって、化学による仮想の味がハッピーだとキョウイクされる。
今日行く?マック。
そう訊かれて、今日も行く魔のそう苦つ。
閑話休題。
星が綺麗だから。
この星の光が生まれた頃の地球は、どんな世界だったのだろう。
きっと、とても民主主義などなく、凄え貧困で、戦が絶えなかっただろう。(獣とかも)
月はみている。
太陽は照らす。
影があるから、光の存在を知れる。
lalala...
花が好きです。
その生命体の、一番華やかなヴィジュアルだからです。
華やいだものは、純粋に美しい。
だけども、その花を咲かすために、自ら光を得るために伸び、そして枯れ、落ち、腐葉し土壌となり、我が子なる種の護りとなり、養分になり、その先の花の土台となる
葉が、私は愛おしい。
光は一方向からではなく、夜は闇、ときに曇り、ときに日照る。
陽を受けることのほんとうの意味を、そうだ、我が子に教えよう。
きみが向かっている先は光だと。
そして、それは選ぶべきだと。
個として、葉として、社会と共に歩むとき、一番効率的な照葉を望む。
それが、種としての繁茂だからだ。
だが、我が種には、モヤシでもよいから、
あなたが望んだ光と影を選ぶように、と、そう伝えたい。
キラッキラに晴れた日よりも、曇った日の写真のほうが、深い色がよく映える。
葉も、花も、空も、ひとも。
憂を含んだ優しさの色。
冬の色。