[ヴァン・ダイク・パークス "ディスカヴァー・アメリカ"を勉強する] G-Man Hoover(1)
さっさと行け! いや、行くな!
「G-Man Hoover」のオリジナルヴァージョンは、ニューヨークのレーベル"Varsity"から1940年に発売された、Gerald Clark & His Calypso Orchestraの同名のSP盤に収録されている。
『ディスカヴァー・アメリカ』のライナーではクレジットが割愛され、BMIやASCAPにも登録もなく、一般的にはサー・ランスロットの楽曲として認知されているが、作詞・作曲は"Clark - Merrick"。Clarkはバンドリーダーのジェラルド・クラーク、Merrickはラストネームからの推測だが、1920年代からアメリカのカリプソシーンで活躍した作・編曲家、ピアニストのウォルター・メリックだろう。
ジェラルド・クラークはトリニダードからニューヨークへ医学を学ぶためにやってきたが、ドロップアウト。ギターとクアトロ(南米やカリブ全域でよく使われるウクレレに近い楽器)奏者として頭角を表し、アメリカにおけるカリプソの第一人者となった。
メリックはセント・ヴィンセント島生まれでトリニダード育ち。ジャズ・エイジ、あるいはハーレム・ルネッサンスと呼ばれる時代にニューヨークへ移住し、医学を学ぶ。そして、ハーレム病院の理学療法科の責任者として勤務を続けながら音楽活動をしていた才人だ。つまり、この曲に関して言えば、サー・ランスロットはあくまでシンガーとして参加しているにすぎない。
『ディスカヴァー』版のアレンジ(=ディレクション)は「Occapella」「Sailin' Shoes」と同く盟友のカービー・ジョンソンが担当。ストリングスの不協和音でパトカーのサイレンを再現し、警官たちに応戦するマシンガンの発砲音まで飛び出すイントロがまずは聞きどころ。
楽器の編成はいたってシンプル。エレクトリックベースとガットギター、ストリングス。それと男女混声のヴォーカル。演奏メンバーはリトル・フィート+αだろう。チェロのピッツィカートの裏打ちが非常に気持ちいい。『ディスカヴァー』版とオリジナルを聴き比べると、歌詞がブロックごと入れ替えられていたり、オリジナルに無い歌詞が付け加えられていたり(〝さっさと行け! いや、行くな!〟のパート)と大胆に脚色されている。ちょうどその箇所にテープ編集のような跡もある。リズム楽器はいっさい使わず、コーラスや演奏もかなり気怠く、ふらふらとしていて脱力気味だ。ヴァン・ダイクもを作るような、ちょっとビザールな雰囲気で歌っている。
Gメン撃つんじゃねえ
GマンことFBI初代長官、ジョン・エドガー・フーヴァー。1924年、FBIの前身組織「BOI」局長に29歳の若さで抜擢されて以来、1972年に亡くなるまで、48年間という長期にわたってその座に君臨していた。
仕えた大統領は全部で8代にも及ぶ。FBI長官という立場を利用して、大統領の足元を掬いかねない情報を盗聴などで調べ上げ、自分の立場を維持するために利用していた。
〝Gマン〟の由来は諸説ある。もともと国家公務員の総称として「政府の男(Government Men)」という言葉があったようで、1933年に禁酒法時代の悪名高きギャングスタ、マシンガン・ケリーがFBIに逮捕される際、「Don't Shoot, G-Men(Gメン、撃つんじゃねえ)」と叫んだ……という逸話が世間に広まった。
そして、FBI捜査官の活躍を描いたジェームス・キャグニー主演の映画「G-Men」が1935年に公開されたことで、Gメン=FBIというブランドイメージが国民に浸透する。
フーヴァーはGメンのトップとして、アメリカ政治や社会を半世紀にわたって牛耳っただけに、常に毀誉褒貶にさらされた。さまざまな映画やドラマの中にイヤというほど登場するので、これというきっかけもなく、いつの間にか彼の存在は記憶に刷り込まれていた。例えば『ザ・シンプソンズ』に「スプリングフィールド・Xファイル」(1997年/第8シーズン・第10話)という名作エピソードがある。
スプリングフィールド(シンプソン一家が住んでいる街)でエイリアン絡みの怪事件が発生し、その捜査のために大人気ドラマ『X-ファイル』の名コンビ、FBI捜査官のモルダーとスカリーがやって来る、というお話だ。彼らを演じていたデイヴィッド・ドゥカヴニーとジリアン・アンダーソンが声優を担当したことでも話題になった。
劇中、FBI本部内の「X-ファイル課」のオフィスの壁が映るのだが、UFOや灰色の宇宙人、『未知との遭遇』で有名になったデビルズタワーの写真が貼られている中、肩や胸元もあらわな花模様のワンピース姿で、紫色のパンプスを履いた中年男性の肖像写真が映る。銘板には〈J.EDGAR HOOVER〉の文字。日本版でも〝フーバーFBI長官〟とテロップで補足される。わずか2秒くらいのカットなので「あれはどういうことだろう?」と疑問に思いつつ、絶対的な権力者だったフーバーをからかうようなギャグと捉えて、そのときはほとんど気に留めなかった。
しかし、それからずいぶん後になって、クリント・イーストウッドが監督し、レオナルド・ディカプリオがフーヴァーを演じた伝記映画『J・エドガー』(2011年)を観たことがきっかけで、『ザ・シンプソンズ』のあのワンシーンが根も葉もない冗談ではなかったことを知る。
フーヴァーが同性愛者で、クロスドレッサー(異性装者)だったというのだ。同性間の性交渉を禁じるソドミー法がまかり通っていた時代であり、フーヴァーも証拠が残らないように慎重にふるまったため、今でも真相は明らかになっていない。『ザ・シンプソンズ』のように直截に指摘しているわけではないけれど、長年、彼の右腕として働いたクライド・トルソンとの愛の物語としてイーストウッドが二人の関係を描いていたのは明らかだ。
フーヴァーが亡くなったのは1972年5月。まったく同じ月に『ディスカヴァー・アメリカ』は発売された。彼の性的嗜好が表立って取り沙汰されるのは、それよりずっとあとの話だが、生前から噂は広がっていて、作家のトルーマン・カポーティもしばしばそれをジョークの種にしていたそうだ。もし、当時からヴァン・ダイク・パークスの知るところであれば、この曲の妙に気怠いアレンジや歌い方に別の意味があるように思えてくる。