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追悼。武田花:知らない町へ行って、歩いて、写して、帰って飲む。

写真家の武田花さんが72歳で亡くなった。

花さんの子供時代が克明に記録されている『富士日記』への強いオブセッションから発動した本を何冊も書き、トークイヴェントなども開いているのに、一度もお目にかかる機会は無かった。

花さんと面識のある知り合いもいたし、こちらから強く求めればお会いできたはずだ。でも、今じゃない、何か良きタイミングで、などと変に突っ張ってしまった自分がいた。

「いつかは……」という思いはもちろんあったのだけれど。

武田花『煙突やニワトリ』(筑摩書房・1992年)

そういえば、先日の久留米〜佐賀旅行の帰途、立ち寄った小倉の古書店で花さんの随筆集『煙突やニワトリ』を買った。

フェリーの出航時間を待っている間、駅前のマクドナルドでこの本を読み耽った。そのとき、自分の気持ちにぴたりと収まる一文を見つけて、栞を挟んだことを思い出した。これがその文章である。

暮れてきた。バスに乗った。窓の外を見ていたら、いつか歩いたことのある道を走っていた。歩きながら見ていたその時の景色や、その時の気持を、ぼんやり思い起こしているうちに、バスのエンジンの音や乗客の話し声が、すうっと遠のいていって、バスがふわりと地面から浮かんだような気がした。そして薄暗い道を歩いている、もう一人の私の姿が窓の下に見えるような気がした。(私は今、もう死んでいて、生前に歩いた道を、こうやって眺めているんだなあ)一瞬、そう思った。

武田花「菊花展」

ぼくは今、もう死んでいて───

誰とも共有したことはないけれど、ぼくも子供の頃からこういう感情にしばしばおそわれてきた。ぼくが旅が好きな理由も、きっとこういう妄想が好きだからだと思う。

今、花さんは生前に歩いたどこかの道を眺めているだろうか。


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