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THINK TWICE 20210530-0605

5月30日(日) 左手欠けにつき

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ふと思い出した話───ある水木しげるファンの友人が、ずっと探していた水木先生のフィギュアをメルカリで見つけて、出品者に価格交渉のメッセージを送ったところ、「左手が欠けている事に今、気が付きました。ご提案の価格に値下げします」と返信が来て、格安で購入できたそうです。ぼくはとても含蓄のあるいい話だと思うのですが、みなさんはどうですか?


6月1日(火) 活力欠けにつき

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暑かったり寒かったり、晴れたり降ったり、湿気っぽかったり乾燥したり。なんとなく気力も体力も減退してる気がします。

で、ぼくはそういうときサン・ラ、フランク・ザッパ、あるいはPファンクをよく聴いてます。と言っても、栄養ドリンクのように「疲れたな〜」「元気出ないな〜」という感覚を覚えて→選ぶという順番ではなく、そういう濃い音楽を知らず識らず聴いている自分に気がついて「あ、ひょっとして今、ちょっとエネルギー落ちてるのかも」と発見するんです。

栄養ドリンクやコーヒーやお酒は飲みすぎるとかえってしんどいけれど、音楽は大量に摂取しても、肉体にいっさいダメージが無いのもいいです。ただし、音量だけは注意。

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今日は原稿を書きながら、ジョージ・クリントンの『Computer Games』を聴いてました。

M-6「Free Alterations」が、ドナルド・フェイゲンの「I.G.Y.」そっくりなことに今更気づいたので、リリース日を詳しく調べてみたところ、「I.G.Y.」が1982年9月発売で、『Computer Games』が1982年11月発売。

偶然の一致にしては似すぎている気がする。でも、発売前にクリントンがラジオか何かで「I.G.Y.」を聴いて、参考にした可能性はあるかもな〜。

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ジョージ・クリントンを中心とした音楽集団パーラメント、ファンカデリック、P-FUNKの諸作品。サウンドは言わずもがな、レコードジャケットのビジュアルが渾然一体となって、強烈なインパクトを与えてくれます。

これらのアートワークを一手に引き受け、公式ライナーノーツも変名で執筆していたのが、グラフィックアーティストのペドロ・ベル。

2019年に69歳で亡くなったペドロは、クリントンから満足なギャランティを支払われておらず、長年、極貧生活を強いられていたそうです。また晩年は病気のために失明したことを伝えるショッキングな記事もありました。

https://www.juxtapoz.com/news/pedro-bell-one-nation-under-a-dude-1998/

ジョージ・クリントンとペドロのトラブルがどれほど深刻だったか検証できるほど、ふたりのことに詳しくないけれど、ニューヨーク・タイムズやペドロの地元シカゴの新聞が再三記事にしていたり、たぶんペドロが生きているあいだに確執は解消してなかったのではないでしょうか。*1

*1 クリントンがペドロの死に際して発表したコメントには、まったくトラブルの影を感じさせるようなものではありませんでしたが。

今回、あらためてペドロのことを調べて、彼がサン・ラや、フランク・ザッパに強い影響を受けていたこと、また画家のロバート・ウィリアムス(ガンズのジャケットでおなじみ)、イラストレーターのエド・ロス(ラットフィンク)、文章家としてはハンター・S・トンプソン(『ラスベガスをぶっとばせ』)のファンだったことを知って、一気に親近感を覚えました。

そして、視力を失ってからも、息子やアシスタントの力を借りながら、作品づくりを続け、2009年頃にあのシュプリームやニューエラとペドロのコラボでTシャツやキャップを出し、話題になったのも懐かしいです。

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あまり結びつけて考えたことはなかったけれど、ペドロのグラフィックは非常に水木しげる的でもあり、さらに言えば、杉浦茂、もっと遡って鳥獣戯画的な世界にも通じるものがあるなあ、と思う。奇怪千万でありながら、どこか親しげで、剽げていて、どれもおもしろいという意味で。

水木先生は極貧生活の中から、鬼太郎、河童の三平、悪魔くんといったヒット作を生み出し、死ぬ間際まで第一線で活躍し続けたけれど、シュプリームのような人気ブランドがペドロをレペゼンし、いくらかでも彼の懐を暖めていたら、と願わずにいられません。実際、ぼくもシュプリームのTシャツは欲しいけど、今からオークションで買ったとて、転売ヤーの懐を暖めるだけなのでやめておきます。


6月5日(土) アメリカン・ユートピア

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デヴィッド・バーン『アメリカン・ユートピア』を観てきました。わがまち愛媛の上映は松山ではなく、お隣の今治にあるイオンシネマ。

2018年にリリースされた14年ぶりのソロアルバム『アメリカン・ユートピア』。そのラストに収録されていた「HERE」から始まるこの映画を見ていた約2時間弱、ぼくは泣きっぱなし。一緒に行った友人はトーキング・ヘッズやバーンにほとんど関心もなかったんだけど、ガソリン代と手間賃がわりに映画のチケットを奢ったところ、パンフレットを自腹で買って帰るほど感激してたのでうれしかったなあ。

今回、スパイク・リーによって映画化されたブロードウェイでの公演は2019年秋のもの。コロナ禍はもちろん、アメリカ大統領選の投票直前の時期で、ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺されるよりも前に上演されていました。

この直後に起きる世界的大混乱を、予見したかのような内容なのはさすがだし、SNSやVRではなく、生身の人間同士がニューロン(神経細胞)となって再接続され、異文化や違う価値観を媒介し、受け入れることこそより豊かな社会を産む、というバーンの宣言───無論、聞き手であるぼくたちを信頼し、楽観する彼の姿勢に心が震えましたね。

ちょっと前、NHKの『クローズアップ現代+』で京大の山中教授とmRNAワクチン開発の立役者となったハンガリーの科学者、カタリン・カリコの対談を見て、ワクチンの仕組みを理解したのですが、これって国境や人種を越えて、地球上で生きている人類を新型コロナウィルスの抗体でネットワーキング化する試みとも言えるんじゃないでしょうか。その目的地は一種の"ユートピア"であり、そのために人類をサイボーグ化してるわけです。これをポジティヴに捉えるか、ネガティヴに捉えるかはあなた次第だと思うけれど、ぼくは今のところ前者です。

そんなわけで『アメリカン・ユートピア』は全人類必見。



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