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THINK TWICE 20210711-0717

7月15日(木) 気(が)滅(いる)

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テレビやネットでは腹立つ&気が滅入る報道のオンパレード。そして、こんなときにかぎって仕事でバタバタ。キーボードを叩く指についつい力が入り、触るものみな傷つけかねない言葉の刃が飛び出そうなので、noteに向き合う気さえおきませんでした。そして気がつけば、木曜日。そろそろなにか書きますか。

まあ、見たくないものは見なきゃいい、知りたくなければ知らなきゃいいだけなのはわかっているけど、こちとら52歳のおじさんだからね。そんなネンネでいいのかよ? と思うわけです。どうせならすべてを飲み込んだ上で、それを超越した場所にたどり着いてみようじゃないの。それで、バランスよく蛇口を開いたり閉じたりするものの、なかなかうまくいきませんね。

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そんなさなか、ある障害者支援施設を取材してきました。秋ごろ発売予定の雑誌の取材なので、まだ多くを語れないけれど、世事から遠く離れた緑豊かな環境のなか、ある女性が白いノートに向き合って、ひたすらに何かを書き付けていました。特に右下の特に黒く塗り込まれた部分は、筆圧で何箇所も破れています。それを見ていると、ここ数日、心の中をぐるぐると渦巻いているものに、彼女がぼくの代わりに色や形を与えてくれているような気がしました。


7月16日(金) 気(が)滅(いる) 無限列車編

ライターによる脚色はあったにせよ、記事に書かれていた発言はほんとうに起きたことである───という前提で書きますけど───被害者の心の傷は一生癒えることがなく、いまさら全面的に許すなんてことは無いだろうと思います。

しかも、あんな形で雑誌の記事になってしまったうえ、ネットに拡散し、誰かに読まれ続けるなんて二次被害どころじゃありません。

今、ふりかえれば、ああいう記事が同時期(1994/95年)に掲載されたのはけっして偶然ではなく、〈悪趣味〉〈鬼畜系〉〈電波系〉といった文脈で〈イッちゃってる人を面白おかしく晒す〉とか〈過去に自分がしでかした酷いことをカミングアウトする〉ことが、ある種のエンターテインメントとして受け入れられていました。

根本敬『因果鉄道の旅』や『人生解毒波止場』がそれぞれ1993年と1995年に出版され、村崎百郎と根本さんの共著『電波系』も1996年に出ました。サブカルの文脈にかぎらず、ハードな素人いじりが売り物のバラエティ番組『天才たけしの元気が出るテレビ』(1985〜1996年)や『浅草橋ヤング洋品店』(1992〜1996年)、あるいは『進め!電波少年』(1992〜1998年)など、例の雑誌とすべての番組の放送期間は重なっています。また、それらの番組を手掛けていたテリー伊藤が〈なんだかヘンテコで笑える国〉といった文脈で、北朝鮮をネタにした書籍『お笑い北朝鮮』を出したのも、1993年でした。

いっぽうで被差別側だった人たちが、自分たちのことをもっと見て、どんどん笑ってくれよ、というスタンスでメディアに登場してきたのも印象深く思い出します。たとえば〈身体障害者初の芸人〉を謳い文句にしていたホーキング青山さんが1994年にデビューし、障害者プロレス団体「ドッグレッグス」が注目されたのもこの時期のことです。

アブない人、ビンボー、いじめ、自殺、障害、謎多き社会主義国……それまで話題として触れることさえ難しかったイシューを、オミットするのではなく、お互いにイジりあうことでタブーにしない=おもしろいという風潮が、たしかに存在したし、問題になった記事もそんな時期だからこそ世に出た───というふうに、あの頃の空気感を知る者のひとりとして思います。

「君は天然色」の歌詞ではないけれど、かつてモノクロームで語られていた出来事が時代を経て、色が付くことで途端に生々しくなって多くの人に届き、問題意識を新たにすることはあるでしょう。

だからこそ、90年代に書かれたあの記事を、ほとんど何の抵抗もなく出版当時に読んでいたぼく自身も、大きな罪の意識があります。つまり読者だった自分も〈加害者〉のひとりなんだ、という認識です。こうした問題の根深さは、直接的/間接的とわず、ただ傍観しているだけで誰もが加害者になり、被害者になりうるということです。

その場に居合わせたわけでもない人たちが、誰をどんなふうに裁くべきなのか、また誰がどう許し/許されるのかなんて、かんたんに答えは出ません。とても複雑で、一筋縄じゃいかない問題のはずなのに、手渡された竹槍を持って順番に並び、相手を一度ずつ突くような〈断罪〉がさっそく行われています。ぼくはそんな列に加わりたくありません。

点ではなく線で、線ではなく面で、面ではなく層で、ひとりひとりが当事者となって考えていかなきゃいけないことが、処罰意識ばかり先行して、相手を社会的に抹殺するまで続いていく───そういうやりかたがまかりとおるのが、ぼくはとてもおそろしいです。*1

*1 夕方になって〈謝罪文〉なるものが発表されました。

残念ながら、およそ彼の自前の言葉には見えませんでした。そして、誰に対して何を謝っているのか何べん読んでもわからない、非常に不気味な文章だと感じました。

いじめの謝罪もそこそこに、本来、問題とは切り離して考えるべき、演出メンバーに加わったことに対するエクスキューズに、けっこうな文字数が割かれていましたね。

特に〈課題も多く困難な状況のなか、開会式を少しでも良いものにしようと奮闘されていらっしゃるクリエイターの方々の覚悟と不安の両方をお伺いし、熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました〉という箇所は、今回のオリンピックに対するぼくの考え方とは大きく乖離していて、うまく表現できないのですが、ただただ嫌な気持ちになりました。

感染拡大の機会になりうる可能性や危機感より、演出に関わっている〈クリエイターの方々の覚悟と不安〉に対するシンパシーのほうが強かった、と、この期に及んでそんなにもあからさまに表明していいものか、と……。

あと〈音楽制作にあたりましては、自分なりに精一杯取り組んで〉という箇所を読んだときも、今回の式典に対して〈精一杯取り組〉めるタイプの人だったっけ、という違和感もありました。どちらかというと彼はそういうスタンスと対極に存在していたような気がしていたので。もうずいぶん長いこと会ってないから、彼が今、人としてどんな感じなのか、まったくわからないんですけどね。

開・閉会式の演出チームには直接の知り合いと言える人たちが音楽関係で2人、映像関係で2人参加しています。彼らの成功を祈る心境にまったくなれないことが、もどかしく、また残念で仕方ありません。


7月17日(土) Looking For A Good Sign

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村上春樹さんのラジオ番組のプレゼントでサイン本が当選しました。うれしいな。


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