【井口 晃の起業秘話とは?】正直恥ずかしいです。。
井口です、
学生時代を過ごし、
人生を変えるキッカケとなった場所である
ニューヨークの事をふと思い出していました。
僕がどうやって貧乏、鬱、ホームシック、
友人もいない状態から人生を180度逆転させたのか?
今では、国をホテルのように選び、
仕事と遊びの境目なく毎日働き、
人を助け、世の中にインパクトを与えながら、
日本・アメリカ数社のビジネスをやっているのかという
裏話をすべて公開していきます。
井口です、
こんなメールが来ました。
-----Original Message------
「井口さん、
私は37歳の平凡なサラリーマンの男です。
年収は500万円くらい、
仕事は営業で、嫌でもなく、
かといって大好きではありません。
同い年の奥さんと小学生の娘が2人います、
家も東京の郊外に30年ローンで買ったので
今すぐ会社を辞めるわけにもいきません。
ただ、
ボーナスもカットされる中、
親が入院したり、
子供が中学校進学などで
給料だけでは十分ではなく、
何かとお金が必要です。
私も副業を始めてお金を稼いだり、
いずれはうまくいけば
起業したいと考えています。
ただ、その度胸は今はありませんし、
何から手をつけていいかもわかりません。
井口さんは私より若くして成功しているようですが、
起業してすぐにうまくいったのですか?
起業した当時の話を
詳しく聞かせてください。
その話に説得力があれば
井口さんのセミナーに行くことも考えます。」
-----End of Message------
かなり正直な思いをメールでもらい、
こちらも色々考えることがあった。
僕の起業当時の話を知っている人は
そんなにいないので、
今日から何日かにわけて
僕の起業物語を話していこうと思う。
興味があれば続きを書くのでいいね、
感想を書いてください。
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全てはあの日から始まった・・・
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2007年1月22日。
この日は僕にとって、一生忘れられない日だ。
25歳までアメリカで3年と5ヶ月大学生をしていた僕は、
日本の常識や世の中のことをよく知らないまま、
夢と希望を持って生活していた
アメリカのニューヨークから
大阪の実家に強制送還された。
アメリカで起業して成功できたらいいなという
若者の浅はかな希望はガラガラと音を立て崩れた。
まるで真っ暗闇の中に一人ぼっちで取り残されたようだった。
ただ、実家にいるには高額の教育資金のかかった
大学中退者&ニートには
両親の目があまりに痛すぎた。
貯金3万円だけを持って、
東京の東久留米の友人の家に
居候するために逃げるように引っ越してきた。
それが実は全てのストーリーの始まりだったとは
その時の自分は知る由もなかったのだが・・・
それから、8年後の2014年12月、33歳の年を迎えた私は、
壮大であり、無謀だった日本での目標を一旦達成し、
そのステージをアメリカに移すことにした。
そして、現在は本格的にアメリカのLAに本拠地を移し
ビジネスをスタートさせることになった。
今は、起業当初とは人生が180度違って見える。
仕事やプライベート、この長いようであっという間だった
旅の途中で出逢った多くの同志に、
今はただ感謝しかない。
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運命の始まり・・・
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25歳で起業した頃は、はっきり言えばそこらにいる
自己啓発セミナーに行って盛り上がっているが
その盛り上がりが過ぎ、
3日もすると元の生活に戻る単なる若造だった。
今振り返ると全く世間知らずで、
リスクしかなく、
自分の会員でそんな奴がいれば
間違いないく必死に起業を止めるだろう。
知識もセミナーや本でかじっただけ、
社会経験は全くナシ。
留学時代は、セミナーに行ったり、
社会勉強しかしてなかったので、
常識もなければ、社交性もない。
(軽いアスペルガーが入ってると思う。笑)
起業家として成功する確率は
限りなくゼロに近かった。
セミナーで会った人に
「お前は名刺のまともな渡し方も知らないのか?
社会人失格だ! 」と
初対面で怒らせたこともあるくらいだ。
しかし、ビジョンを描き、
それに向かう行動力だけには自信があった。
どうやって現在のように、
・世界累計30万部で9冊ベストセラーを書く
・日本とアメリカで
年商数億円で粗利6割の会社を5人の社員とだけで経営
・自分の情熱を持った仕事をして、人を救う
・1年の半分は海外で旅をしたりビジネスをする
という人生が送れるようになったのか?
昔から僕を知っている人からすると、
僕が宝クジに当ったとしか思えないだろう。
でも結果には必ず原因がある。
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最近、
多くの起業家に相談されることも多くなってきたので、
アメリカで一度ゼロから始める機会に
自分の起業物語を話していくことにする。
これから起業を目指す人にとっても、
経営者で売上を上げたいと悩む人にも、
勇気を与える内容になるだろう。
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金ナシ。コネなし。経験ナシ。三重苦の中でスタート
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そのころの僕(2007年)は、
その当時、アメリカ留学から中退という形で帰国した、
社会経験も全くなく、これといった定収入もない25歳の若造だった。
英語の学習法のセミナーをたまに開催し、
何とか毎月食いつなぐというギリギリの状態だった。
一緒に大学に入っていた同期は
一流商社で出世し始めたり、
外資系金融会社などで
高給をとって人生を謳歌していた。
彼らに会うと自分の
負けを認めるようだったので、
できるだけ大学の同窓会などには
行かないようにしていた。
自分はとにかく何かやらなきゃという
不安と焦燥感から
次々と自己啓発セミナーや
ビジネス教材を買い漁っていた。
毎月のローン返済も数万円だったが
生活が苦しい自分の肩に
それが重くのしかかっていた。
東京に来た時の貯金残高はわずか3万円。
返すあてのない借金の残高は100万円近くあった。
起業を決めたのは、2007年、
日本に帰国し、
家でネットサーフィンをするか
ご飯を食べると言った自堕落な生活をしていた時に
母親から、
「あんた、英語ができるくらいしか能がないんだから、
英語を使う会社にでも就職しなさい!」
ということを3週間くらい言われ続け、
散々学費を出してもらった身としては
後ろめたさを感じながらも、
やっぱり自分で起業したいという
淡い希望を抱いていた。
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両親との決別・・・そして、東京へ。
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両親と3時間にわたる話し合いの結果、
「アンタはいくら言っても人の言うこと
聞かないんだから。もう自分が好きなようにしなさい!」
と言われ、
思い切りがつき、
その日に、
東京に唯一いた過去に
セミナーで出逢った友人に電話して、
僕「井口ですけど、前話していた居候の件、
マジでお願いできませんか?」
友人「いいけど、いつから?」
僕「明日です」
友人「は!?何言ってんの?」
僕「まあ、そこを何とか」
友人「わかったよ、しょうがねえなあ・・・」
その翌日には夜行バスに乗って上京していた。
その夜行バスの中で、
「今に見てろよ。絶対に成功してやる。
そうすれば親も友達にも俺のことを
認めてもらえるようになるはずだ。
そうだ、きっと女の子にもモテるようになるはず・・・」
とかなり居心地の悪い
バスの中でそう固く決意していた。
自分自身が何者かを世の中に示し、
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本当に自分らしく生きるには起業しかない。
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それまでは、
アメリカで学生をしていた事もあり、
まあいつかは起業するんだろうなあと漠然と考えていたが
特に本格的にビジネスを始めてはいなかった。
正直に言えば、
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格好つけて起業しても、
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失敗するのが物凄く怖かったから,
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なんとなくダラダラ生きていたというのが本音だ。
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ただ、何とかしなきゃという
思いばかりが先行し焦ってばかりだった。
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1/1000の成功法則
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決心を決め、翌日の朝、
東京に着いた私は、早速その日から起業の準備を始めた。
まず、居候させてもらう友人に東京駅で会い、
一緒に彼の家に帰る途中で話していた。
友人「ところで、なんで東京きたの?」
僕「いや、前から言っていたセミナーを本格的に日本でやるんだよ。 」
という、起業するということを話すと、
友人「俺も実は個人事業主で起業してるけど、
実際そんなに起業って甘くないよ,
俺も色々セミナー行ってるけどさ。
起業しても成功するのなんて100人に1人くらいじゃないか。
しかも俺らが通ってるような有名なセミナー講師になったり、
本出して売れるのなんか、
1000人に1人くらいじゃない?まあボチボチ頑張ればいいよ。」
そう言われた時、
僕は絶対に1/1000の確率で成功するだろうと確信した。
なぜならそんな過去1000人以上セミナーで
僕のような参加者に出会ってきたが、
一人も僕のように教える側に
真剣になりたいという人には会ったことがなかったからだ。
だったら、俺がその一人になれるはず。
今考えると全く根拠のない恐ろしいまでのプラス思考である。
今まで数万人の人を教えてきて思うことは、
もし、起業して成功したいという100人の人がいるとしたら、
そのうちの90人は成功しないだろう。
なぜならその90人は、
本を読むだけ、セミナーに参加するだけ、
ネットで調べるだけでゲームに参加しないからだ。
ゲームに参加しなければ、勝つことは不可能だ。
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成功するかはその後の話だ。
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つまりゲームに参加した時点であなたはトップ10%に入れるわけだ。
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しかし、そのプラス思考が返って
仇になるなど全くこの時は考えていなかった。
起業立ち上げ編に続く・・・・
井口 晃
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