なかなか「毎日投稿」ができず(やらず)だが、まあこれくらいのペースでもちゃんと投稿を継続できていることをまずは自分で褒めてあげてもいいのかもしれない。「note投稿しなきゃ」という意識は正直に毎日毎日持てているので、それはとてもいいことだと思うし、まずはそれでいいだろう。初めてのことを毎日継続するということにおける心身の負担を考えると、意識だけでも毎日持てているというのは自分にとってとても大切な第一歩とも言える。「毎日投稿するって決めたのにできてない、、、自分はだめだ、、、」などと決して裁かない。

とまあ雑談はこのくらいにして本題に。今回は自己紹介の続きで、中学生時代を記す。幼少期、小学生時代も勿論そうだが、中学生時代の体験・経験も今の自分に多大なる影響を与えていると思う。その因果も含めて、自身で振り返ってみようと思う。

受験に見事合格し、晴れて私立の中高一貫校に入学した。(母親はさぞかし嬉しかっただろうし、鼻が高かっただろう)

兄からサッカー部がないことを聞いていたためこの学校に行きたくなかったのだが、母親に抵抗できず、言われるがままに受験をし、良いか悪いか受かってしまい入学したわけだ。

分かりやすく時系列で1~3年に分けて書いていこうと思う。

【中1】

小学校時代の自分そのままに、とにかく真面目な性格だった。自分から積極的に立候補したかどうか覚えていないが、やはり小学校同様、学級委員長を3学期全てで務めていた気がする。「真面目な彼が学級委員長に」、周りからそう思われていたのだ。

サッカー部がないために、小学校からやっていたバスケ部に入部。同期は15人位いただろうか。意外と経験者が少なく、先輩からも経験者であることをチヤホヤ言われたこともあり、意味のない優越感のようなものを感じていたのを覚えている。自分はどこか、ちょっとした大したことでないところで優越感を感じたい、自分の立場を誇示したい、そんな傾向があるのかもしれない。(学級委員長のも同じな気がする)

学園祭でも、いくつか分かれる班で班長を務め、サボったりする奴を「ちゃんとやってよ」などとよく注意していた気がする。

小学校時代のも合わせておわかりいただけるだろうが、真面目・責任感が強いと一見捉えることもできるが、実はその「立場そのもの」にぶら下がっていただけで、その立場の自分に酔っていただけだということがよく分かる。大人になった今振り返ってみると、そのことが本当によく分かる。

とまあ中1はこんな感じだ。

【中2】

続いて中2。ここが僕のこの後に結構大きな影響を与えた出来事等があった時代だと思っている。大きくトピックは3つだろうか。

①バスケ部退部

元々サッカーがやりたかったことは変わらずで、1年時から同じクラスで仲良くなった数人と「やはりサッカーがしたい」と強く考えるように。「自分達でどうにかしてサッカー同好会でもなんでも作ろう」とさえ考えた。その心意気は今思えばとても素晴らしいものだったと思う。結果的には同好会・部の設立には到底至れず、そこまで大きな行動も起こせなかったのだが、各々所属の部活を退部し、自分たちで放課後集まって近くの広場でサッカーの練習をするようになった。

②サッカー仲間からの仲間はずれ

間違いなくこれが中2での最大の出来事だろう。この出来事が今の自分の性格・考え方なども形成してしまっているように思う。

同じ想いの仲間で各々退部し、一緒にサッカーの練習に取組んでいた。しかしある時、今でも鮮明に覚えている。7月のある日だった。サッカー仲間のある奴が自分の後ろの席だったのだが、配布プリントを前から後ろに流していく際に、それまでは普通に明るく受け取ってくれていた彼が、無言でこっちを見ることもなくサッと僕の手のプリントを取った。明らかに態度がそれまでと変わったのだ。僕はその瞬間に気づいたが、それ以降もそういう場面が続き、加えて、一緒に練習してきていたサッカー仲間の輪に入ろうとしても彼は僕に反応することもせず、「行こうぜ」と言ってその場から立ち去ることなんかもあった。僕は確信した。「あ、俺避けられてるんだ。嫌われてるんだ。」と。

そのことに気づいてからは、自分からも距離を置くようになった。「何で無視するんだよ。なんか俺悪い事した?」などと問いただすこともせず、静かにそのことを受け入れた。一人でジムに行って筋トレをしたり、どこかクラブチームのようなものがないか自分で探したり。

幸いにも、そのサッカー仲間以外に、バスケ部や野球部、テニス部などの友人が仲良く接してくれたおかげで、完全な「一人ぼっち」になることはなかった。彼らには感謝しなければならない。

この出来事は実に皮肉だなあと自分でも思う。1年時から仲良く、「一緒にサッカーやろう」と同じ想いを持った集まりで、所属の部活を退部してまで一緒に活動し始めたにもかかわらず、その仲間から仲間はずれにされるのだから。とはいえ僕自身はこのことに特別落ち込んだりもしなかった。不思議とすんなり受け入れ、あっさり切り替えていたし、当時はこれが「いじめ」だという認識もしていなかった。まあ今思えばこれは些細なこととはいえ「いじめ」と言えるものだろうが。

まあその彼を恨んだりなんかもしていない。そんなことがナンセンスなことくらい自分でも分かるし、もしかしたら自分にもなにか落ち度があったからなのかもしれない。(本当に、自分は何も悪いことをした記憶はないのだが笑)

そして、余談だが、その彼と大学が一緒になったということも実に皮肉だ。笑 彼は指定校推薦で入り、僕は一浪して入っていたが、1年時のある講義でその彼らしき人物を見かけた。

中2時代にこんなことがあったわけだ。明らかにそれ以降の自分に影響を与えていて自分でも笑ってしまう。笑

浪人時代なんかも、全く知らない九州の予備校に一人で飛び込んだわけだが、自分から積極的に周りに話しかけようともせず、休憩時間もひとり黙々と勉強していたし、昼食もひとりで黙々と自分の席で済ませていた。

大学時代も、別にみんなと一緒じゃなきゃという気持ちもなく、講義も一人で前の方の座席を取り、黙々と板書をメモしていた。試験勉強も自分で一人で図書館でやったり。

社会人になった今もそうだ。自分から積極的に誰かと遊ぼうとしたりもしない。休日もとにかく一人で黙々と過ごす。

一人でゆっくり過ごすのが好きというのもあるが、「一人でも寂しくない。辛くない。」というのが根本にあるように思う。そしてそれは、中学時代のあのいじめが僕をそうさせたのだ。

③カリスマ性の前に積極性を失う

さて、中学時代最後のトピック。中2の時だ。同じクラスになったバスケ部の彼。(以下、Sと記載する)

明るく、ユーモアもあり、見た目もまあかっこいい方で、そして何より「カリスマ性」のようなものを持ち合わせていた。バスケ部で一緒だったこともあり、同じクラスになり更に仲良くなった。

このSが、とにかくいつもクラスの中心にいるのだ。中1までは自分も学級委員長や班長などに積極的に立候補していたし、周りからも推薦もされていた。「彼しかいない」といった具合に。しかし、Sはその点で自分なんかを圧倒的に超えていた。それはまさに「カリスマ性」とでも言えるものだ。その表現が一番しっくり来る。

もうおわかりだと思うが、そのSが学級委員長などのリーダー的ポジションに積極的に立候補し、かつ周りもそのSを支持していたこともあり、自分はそういった場面で立候補することをしなくなった。面白いぐらい、僕はそういった舞台に積極的には上がろうとしなくなった。笑

そのSの圧倒的なカリスマ性を前に、「自分では敵わない」とどこかで察していたのだと思う。と同時に、どこか「嫉妬=ジェラシー」のようなもの、「憧れ」と言うべきだろうか、そんなものも感じていた気がする。

これも、それ以降の自分に結構な影響を与えているように思う。

自分がリーダー的ポジションを避けるようになったのには、もう一つある出来事が起因しているが、この中2時代(中2だけじゃなく、中高でSのカリスマ性を目の当たりにして)も少なからず影響しているだろう。

中3は特にこれほどのトピックはなかったように思う。中2があまりにトピックが多く自分の中で変化の大きかった時代だ。笑

ざっくりだが自分の中学時代はこんな感じだ。簡単にまとめると、

①小学校同様、基本は「真面目」。リーダーのような立場を履き違えていた。そんな自分に酔っていた。

②中2でいじめを経験。それがきっかけとなり、「一人でも寂しくない。怖くない。」という価値観・考え方を持つように。

③カリスマ性を前に、自分が敵わないことを悟る。

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