見出し画像

未熟

 次に私が思い出すことは、「私はこの車には乗らない事件」だ。
 農園での仕事に慣れた頃、私は自分のチームのコントラクターと仲良くなる機会を得た。休憩中にタバコを吹かそうと思って作り置いてあった巻きタバコを咥えると、フィルターが外れてしまった。手製のタバコを吸ったことがある人なら一度は見舞われるであろう失敗だった。そんな折、ちょうど隣にいたのがチームリーダーの一人、アレックスであった。
「こうすると入りやすいぜ」と彼は笑顔で、私のヨレヨレのタバコからすっぽ抜けたフィルターを平らに押し潰して、差し直した。
「俺も昔は同じ失敗をしてたから上手くなったんだ」そう言って彼が火をつけたのは、手巻きではない、ボックスで売られているタバコであった。当時のオーストラリアの二十本入りのタバコは、安くても26ドル程度していた。私はそのタバコをつい羨望の眼差しで眺めてしまった。人を動かすことに長けた彼が、その眼差しを見逃すはずはなかった。
「一本吸うか?」と言って、彼は私にタバコを手渡した。
 私とそれほど歳の変わらない彼に、私は少しの嫉妬と親近感を覚えた。もらったタバコに火をつけると、気の抜けたパチパチという音と共に暖かなイチゴ畑の空気が灰青色に変わって私の肺に入り込んだ。
 それ以来、私は休憩中にタバコを吸いながらよく彼と話すようになった。
 私はもっと稼げるようになりたいと思っていたが、イチゴの収穫は肉体的に過酷で、他の道がないか模索していた。そこで私は、彼に率直に相談してみた。すると、彼は私にドライバーをやらないかと提案してくれた。国際免許を持ってきていた私は、嬉々としてそのオファーを受けることにした。
 車は旧型のハイエースで、トランスミッションはマニュアル式であった。マニュアル車を運転するのは、教習所を卒業して以来、初めてのことであったが、私はその操作が好きであったし、少し練習すればすぐに感覚を取り戻せるであろうと思った。そして、実際にそうなった。
 早速翌朝から十三人のチームメイトを乗せてファームへの送迎を行うことになった。送迎費として毎日チームメイトから数ドルを徴収することが許された。仲間からお金を取ることには、あまり気が乗らなかったが、仲の良いチームメイトに相談すると、そんことは気にすることはない、みんなより早く起きて、遅く帰ってこなくてはならないし、責任を負うことにもなるのだからと言われ、私は素直に頷いた。
 翌朝5時前に目を覚ますと、早速バンのエンジンをかけに行った。エンジンがかからない。ガソリンは昨晩のうちに満タンにしたはずだが、バッテリーが上がってしまったのだろうか。いや、この寒さが原因だろう。想定内だ。私は根気強くキーを回し、半クラッチのままアクセルを優しく踏んだ。エンジンがかかった。それからファームハウスの入り口に車を停めて、朝食を摂りにキッチンに向かった。
 手早く朝食を終えて、車に戻ると、幾人かのチームメイトが既に待機していた。寒い思いをさせたことを詫びつつ、挨拶を交わし、鍵を開けた。車の中ではひんやりとした空気と微かなカビの臭いが混ざり合っていた。私は暖房をつけるためにエンジンをかけようと試みた。エンジンはまたかからなかった。先ほどの方法を何度か試すが、なかなかかからない。今度こそバッテリーが上がってしまった。エンジンを止めずに停めておけばよかったと後悔の念を覚えると手に嫌な汗をかいた。それに呼応するように、後部座席から心配の声が僅かに湧き上がってきた。
「おいおい、どうしたバッテリーが上がったか?」と台湾人の男性が声を張った。周りに座る台湾人の女性がヒソヒソと何かを話すのが聞こえた。
「いや、大丈夫だと思う。寒さのせいだよ」
 私がそういうと、すぐにエンジンがかかった。ほら、と言わんだかりに後ろを振り返ると、心配してくれた男性の笑顔が見えた。女性陣は見慣れない日本人を訝しげに見ていた。私は少し心地の悪さを感じつつ、まばらに集まってきた他のチームメイトを遠目に見つけて、皆が乗りやすい位置に車をバックさせた。仲の良い日本人が車に向かってくるのを見つけて気が緩んだ私は、バックギアのままクラッチペダルから左足を離してしまった。途端、大きな振動と共にエンジンが止まった。
 後部座席から吐息のような悲鳴が聞こえた。
 続々とチームメイトが乗り込んできた。平静を装いながら面々に挨拶を交わし、ピックアップフィーを徴収した。仲の良い日本人に助手席でのナビゲーションを依頼すると、彼は快くそれを引き受けた。私は彼に寒さのせいでなかなかエンジンがかからないことを吐露しつつ、またキーを回した。今回は3度目の試行でそれは叶った。安堵を覚えつつ、私は皆が乗り込んだことを確認して、出発した。
 ところが、エンジンはすぐに止まった。先ほどよりも大きな音を立てて、さらに車体は前後に大きく揺らされた。故障ではない。大人数を乗せた重さと緊張によりセカンドギアへの移行を焦りすぎた私のミスだ。後部座席から幾人かの叫び声が聞こえた。
「無理!こんな車に乗ってられないわ!」
 マンダリンで発音されたその言葉の詳細は私には理解できなかったが、きっとそんなことを叫ばれたのだと思った。一人の女性台湾人が怒りを露わにしつつ、車から降りていった。目は潤んで見えた。最初から乗り込んでいた男性台湾人が彼女は他の車に乗るってさ、と言付けしてくれた。この大型のバン以外にも自家用車でファームに向かうチームメイトがいたのだ。
 私はそれから気を取り直して、クラッチ、アクセル、ブレイキそれぞれのペダルの感覚を全身で感じながら運転に集中した。車と自分の体が一時的に溶け合う感覚を覚えた。タイヤの下の道の凹凸を私は裸足でゆっくり踏みしだくように進んだ。緩やかな下り坂をエンジンブレイキだけで下りきり、ほんの僅かなフットブレイキによって停止線ぴったりに停車した。
 人はきっと痛みなくして成長できないのだ。私はもう二度と自分の運転で人を泣かせたりしない。そう誓った。その誓いとあの痛みと彼女の恐怖が、私の能力を著しく開花させた。いつか彼女を乗せて走れるだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?