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せっかくなので夢活かし。

今日も外は激アツですね、武者小路激アツ。

夢で赤紙のことについてなんか気になって〜の起床。
臨時召集令状の方の赤紙ですね。現在ではとうとう来たか〜系のお誘いの例えに”赤紙が来た〜”なんて例えられる赤紙。
望んでたような望んでないような、嬉しいやら悲しいやら、名誉なんだか面倒なんだか、このようなどうとったら良いのだろう?感情にて、総じて複雑。こんな感じでしょうか?

本当の赤紙の方は役所から配達に来ると町中から英雄扱いレベルの名誉を受けて招集に応じる、テレビや文献では概ねこのように習った記憶があります。
さて、小学4年生の頃戦時中の体験があった学級担任の先生が、ある日突然赤紙のことについて何の授業だったか?(道徳でもなかった気がします)授業時間目一杯使って当時の体験談を話してくれました。
その当時先生は小学生で先生本人に赤紙が配達される年齢ではないのですが、ある日お兄さんに赤紙が届いたんだそうです。
お兄さんは役所の配達をそれはそれは大喜びで受け取り、家族に誇らしげに報告し家族でお祝いをして、皆で大層喜んだそうです。
某月某日招集前日(だったか近日だったかちょっと曖昧)お兄さんは召集前に身体を綺麗にして招集に応じるために風呂の準備をしていたそうです。
当時の風呂は薪を燃やして風呂を沸かします(おそらくですが、毎日風呂ではなかったのだと思われます)
木材をナタで割って必要分薪を作るところからの風呂の準備中に、お兄さんは誤って指を落としてしまったそうです。
赤紙招集は健康であることが必須で、この出来事でお兄さんの召集は取り消しになりました。
家族も残念だという雰囲気の中、何よりも当人であるお兄さんは心の底から落胆し嘆き悔しがったそうです。
近隣からは”わざと指を落として招集に応じなかったんだ”等心無い噂や言葉だったり、露骨に態度にも出ていたそうです。
以上になります。

この話は”今日は赤紙って知ってるかな?”的なノリではあったのですが、ヌルッと始まったかと思えば比較的おとなしく話を聞ける年齢ではないであろう小学生相手に特に感情の起伏もなく語り、話のオチというオチもなく”この後この話を聞いての感想文を書きましょう”でもなく授業が終わるという、強い印象があるようなないような、たくさんの感情があるような無感情のような、この話から何かを学んで欲しいのかそうではないような、普段の授業とは一風変わった授業でした。

私の小学生時代は北海道ですし先生もおそらく北海道出身ではないかと思いますので、この話の当時の雰囲気は土地柄も大いに反映されているとは思います。
私は小学生らしく”お兄さんかわいそうですね”位しか当時この授業から思うことが出来なかったわけですが、今でも思い出すのは授業中号泣しながら拝聴する人もいれば明らかに話に飽きている人、授業後”今日の話なんだったんだよ、くだらねぇ”と言い退ける人、と普段の授業よりは態度としてわかりやすい状況でありました。

今日は赤紙って打ちたいのに数度赤髪で変換されて、そろそろ赤紙って一発変換しないかな?と思って書いておりました、こんな感じの記事ですかね?

それでは今後とも引き続きよろしくお願いします。

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