人見知り出身八方美人行きの自分にとっての夢とは??

こんばんは。

今日は自分の夢について話しができればと思います。

まず結論からいうと僕の夢は
「誰にも制限されない自由人になる」ことです。

なぜそうなったかのかを今回はお伝えできればと思います。

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●自分の夢を考えると、すべて職業だった

●初めて生き方にフォーカスをした大学時代

●制限のなかった生い立ち
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●自分の夢を考えると、すべて職業だった

僕は大学に入るまで夢がありませんでした。
それでも周りの同級生は進路を決めていたので、自分なりに夢を探していました。
今まで自身が追っていたものを少し挙げてみようと思います。

・ケーキ屋さん>小さい頃から好きな食べ物

・サッカー選手>小学校低学年の時に頻繁にやっていたから

・サラリーマン>親がそうだったから

・看護師>親がそうだったから

・柔道整復師>高校の時に怪我が多く、治療を受けてあこかがれていたから

・教員>親におすすめされたから

・農家>父の実家の稼業だったから


書いてみて思ったのが、自分の夢は全て職業だったんです。
決してその仕事をしてから得られるライフスタイルが夢ではなかった。

大学進学を考えた際にもなりたい職業も、本当に人生をかけてしたいものではなく、どこかフワフワしていました。

必然的に一番身近なリアルである、サラリーマンをしている自分の父親の後を追っていましたね。


●初めて生き方にフォーカスをした大学時代

僕自身、転勤族という環境の中で中学校以降は親族との関係性も希薄になり、周りに親以外の社会人の関係性なども全くなく、情報源が両親のみだったことに気づきます。

父親は帰宅するのも23時、土日は接待のゴルフ、それ以外は疲れて家で新聞かテレビを見ている姿しかなかったので、「憧れる」とは程遠かったです。

何不自由なく育ててくれた両親を悪いとは思いません。
しかし、身近に憧れの存在という人は全くいないというのが現実でした。


そんな中、大学時代は県外に下宿をしていたため、初めて親以外を指標とする生活を送りました。
先日noteにも記載しているように、この大学時代は僕の中での人生のターニングポイントで、出会った先輩に対して初めて憧れることができたのです。

その人はいつも中心に立つ先輩で、有限実行で自分のしたいことにまっすぐで、良くも悪くもワガママな人でした。そしていつも酒に酔ってました笑

それでも人が周りに集まるような人
当時の僕はそんなに自由に行動しても発言をしてもいいんだ、と自分の固定概念を覆されたことを覚えています。

自分がしたいことをする。言いたいことを言うというシンプルなことですが、それができない人にとって、いつ何時でも自分らしく表現していられるのが生きていく中で一番素敵なことだと思った瞬間でした。

人見知り出身八方美人行きの自分にとって相当輝いて見えましたね笑
大学時代に自分は自由人になると周りに言っていました笑

●制限のなかった生い立ち

僕は三兄弟の長男として産まれました。
小さい頃から特に制限というものはなく、親に欲しいものはもらえる環境で育ちました。

高校時代も欲しい携帯を買い、
予備校時代も周りが原付を乗り出して自分も欲しくなり、親に交渉して欲しいバイクを手に入れていました。

欲しいものは必ず手に入れるというのが自分のモットーです。

しかしながら大学生から社会人になり一人暮らしをするようになってから自分の収入の中でできることに制限されるようになりました。
自身の知識が増えた反面、収入で制限されることも増えているというのが現状です。


●最後に

今の自分の考えとしては職業はあくまでも手段で、いかに自分が自由に制限なくいられるか、
もっというと自分がやりたいと思ったことができなくなることが究極のストレスなんだと再認識しました。

しかしながら自分は人より恒常性が強いことも自覚しました。
実際人が楽しんでいることや姿を一時ではなく、日常で経験、体験、目にし続けることが人一倍必要なんです。
なぜかと言うと、僕は転勤族で出会った人の数だけであれば1000人は超えているからです。数ではなく、憧れる人との時間共有の方が重要なんだと。

自身の変化を求めるのであれば、ワクワクするような新しい出来事について触れることを怠ると、人一倍元の自分に戻るスピードも早いのだと。
だからこそ、憧れる人とのワクワクするような時間を共有しているか重要だと感じます。



あきらーめん

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