親友の親友が死んだ話


親友の親友が死んだ。

僕はその子と特別仲が良かったわけではないが、もちろん何度も話したことはあるし、同世代、まだ20代で突然のことだったのでとてつもないショックだった。

なにより僕としては、親友を亡くした親友を見ているのが最も辛かった。胸が張り裂けそうな気持ちになった。

通夜の受付で座る親友のこれまで見たことのない表情は生涯忘れることはないだろう。


解剖学者・養老孟司は、「自分にとって死はない、死は他人にとってのみある」と指摘する。

まさにその通りだと思った。このところ、祖父、恩師と死が続いていたが、その度に養老の言葉が強く駆け巡った。人の死とは、こうして残された周りの人にのみあるものなのだろう。

では本人にとって死とはなんなのか。アキレスと亀のような、あるいはゼノンの矢のようなもので、意識しようとしてもすることのできないものだとも思える。


未だに、今回の知らせをしてくれたLINEの文面を定期的に読み返している。読み返すたびに胸が苦しくなる。

こうしていつまでも死が、いや、人を想う愛が、残されたの人の間をぐるぐると廻っている。

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