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心に残るエピソードに参加

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大好きなnoterのユハコさんからバトンが回ってき(てしまった)。

次のバトンは最近お知り合いななった、「老婆の日常茶飯」さんにお渡しします。ストレートで飾りがなく、ちょっぴりシュールな描写もあり、とても好きです。びっくりなされたでしょ、この企画丸投げ式みたいなんです、あとは宜しく。😂

AKIRAのエピソード

「心に残るエピソード」できればキラキラしたのを描きたいものですが、パッと浮かんだのが、心に残る失敗談でした。これは私のアメリカ生活の封切りになったお話です。あの朝の空気は今でもはっきり思えています。

両学生としてフロリダ州のパナマシティーにある家族とマッチングされ、東京→サンフランシスコ(ここまでは他の留学生と一緒)→ジョージア州のアトランタ空港→パナマシティーに舞い降りた。

当時の英会話レベルはThis is a Pen. I like to play tennis… 右も左もわからないとは人生これが初めての事。これは困ったな!天真爛漫、楽観主義者の私が初めて本気で焦った瞬間。

ホストファミリーはお父さん、お母さん、当時7歳と5歳の妹の4人家族。お父さんはビックショットの弁護士、お母さんは市の裁判官というパワフルな一家でした。私の部屋はいわゆるゲストルームで家族のベットルームの逆に位置していて、それこそ、南ウィングと北ウィングのような感じの距離です。妹達の部屋から普通に歩けば1分程かかる広さです。私の部屋はアンティークの家具で統一された夢のような部屋でした。アメリカ人の暮らしぶりは凄いなぁと思いましたが、それが特別だという事実にすぐに気ずきました。

私が到着してから新学期が始まるまで、おそらく3日ぐらいあった気がします。学校で必要なものを買い出しに連れ出してくれました。1988だった当時、田舎のフロリダ州は80年代のファッションやトレンドが色こく残っていました。カラフルで柄ものが流行っていた時です。持参した服が地味だったので(推測ですが)、お洋服もかなりの数買ってくださいました。当時のパナマシティーはただのど田舎でして、好みでない服…というかみたこともない感じの服のチョイスしかなくかなりとまどりました。😂

新学期が始まる前日、お母さんが斜め迎えにある家に私を連れ出して、そこの一家に紹介してくれました。そこにボブという同級生がいて、時より彼が運転して、一緒に学校へ連れて行ってくれると言いました。

そしてボブの家から戻ってくる時家の前の郵便箱をさして、ここでスクールバスが止まります、朝6時45分にくるのでここで待つようにと教えてくれました。

始業時間は8時なのに6時45分はやけに早いなぁ。アメリカってどうなってるの?高校それほど遠くないのになぁ、右も左もわからない。「わかった、ここに6:45分」、寝坊しないようにと前夜かなり緊張しました、というのも私は超低血圧で朝は苦手なもんですから。

翌朝、起きてキッチンに降りていくと誰もいない。まだ寝静まっている。お母さんに言われたようにシリアルをさっさーと食べ、郵便箱のあるドライブウェイに行きバスを待った。まだ明るくなりきってない、秋の気配を感じる空気の中、不安いっぱいに立っていると、例の黄色バスがやってきた。あれだよあれ!映画で見たことのある黄色いスクールバスがやってきた。

話しかけらても返事ができないから誰にも話仕掛けられたくない、静かに座って緊張しながらバスに揺られる。スクールバスはあちらこちらで止まって生徒をピックする。だから6:45なんだと分かった。

学校に着くとそこはカオス。車でくる子も多く、駐車場は賑わっているし、親に連れてきてもらっている生徒はなるべく学校の近くで降ろしてもらう為、朝の学校は壮絶な空気。

スケジュールを見ながら、キョロキョロと1時間目のクラスにたどりついた。

栄養学というクラスで、日本の家庭科のようなものだったことを覚えている。言ってること全くわからない。どうしよう。本格的に困っていた。とりあえず、やり過ごそうといつもの楽観的さを取り戻したその時、クラスのスピーカがなり、私の名前を呼んでいる。初めはキョトンと他人事だったけど、周りがやたらに私を見ている。二回目私の名前を呼ばれたタイミングで、先生が私のところに来て、オフィスに行くように言ってきた。

え、なんかやってもうた? もう?

オフィスに行くと、登校したはずの妹二人とお母さんが駆け寄ってきて、ハグしてきた。「何何何?」よかった〜無事だったのね。無事でよかった!みたいなことを連発。ぽっかーんとしていた私に、お母さんが、とてもゆっくりと説明してくれた。

「貴方はこれからボブと一緒に登校します。彼がどうしても送れない日以外はボブと一緒に学校へ行きます」そう言ったよね?

え?そういう事だったのか?

起きたらお預かりしている留学生がいなくなっていると家で大騒ぎになったらしい。学校に電話しても授業開始の時間にならないと確認できないため、娘も連れてすっ飛んできたらしい。

これがアメリカで起きた最初の出来事であり失敗談。この後も無数に失敗を繰り返して今があります。

学校初日の緊張感、秋の気配を感じる6:45分、カオスなアメリカの学校の雰囲気、いよいよ困ったと実感したあの時、全てがここでの生活の幕開けとなった、心に残るエピソードでした。

ユハコさん、散々私は書くのが苦手だと聞いてるはずにも関わらず、あえてバトンを渡して下さってありがとうございます。

そして、老婆の日常茶飯さん、あとは宜しくです。

アイラブユー❤️

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