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読書レポート #4 『シンプルで合理的な人生設計』


本の選定理由

端的にいうと、私が小池輝として生きれる一度きりの人生をこの後どう過ごすか考えるためのひとつの材料として活用したかったからである。
私は2023年7月時点で29歳であり、来年の1月末には30歳を迎える。
そして、一般的に大きなチャレンジをするのは30代がラストチャンスと言われている。30代で何か大きなことを成し遂げることで、今後の人生をより充実したものにできるように思う。
日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とされているが、満足に身体を動かせて気持ちも充実させながら過ごせる年齢は80歳よりずっと前なのではと思われる。
そういうことを考えると、今後50年というより今後10年の生き方をよりよく過ごすための指針として活用したいと思う。

この本の概要

制約と選択

すべての人に共通する制約が存在する。それが下記3点である。
・物理的制約
 人間単独で空を飛んだり、空間をワープしたりすることはできない。
・資源制約
 持っているお金と時間以上のことはできない。
 特に時間に関しては、大企業のCEOであろうがホームレスであろうが平等に持っている。
・社会的制約
 ヒトは最も社会化された生物である。それゆえ、常に他者評価を気にする必要がある。また、法律を守った行動をして生きる必要がある。

選択が少ないほど人生は豊かになりやすい。
選択では常にコストがかかる。具体的には、悩むことによる時間的資源・精神的資源を消費する。とくに精神的資源は、より重要度の高いタスクに振り分ける方が良い。
例えば、100円持っている状況がある。このとき、100円のリンゴと100円のみかんはどちらかしか買えない。このとき「どちらを食べたら良いか」というのが選択である。
どうでも良い選択を減らすには「お金持ちになる」ことである。
上記の例でいえば、200円持っていればリンゴもみかんも買える。悩む代わりにお金というコストを支払うことで、時間的資源・精神的資源を節約してより重要度の高いタスクに資源を投入することができるのである。

コスパ・タイパ・リスパ

  • コスパ:Cost-performance 経費あたりの成果

  • タイパ:Time-performance 時間あたりの成果

  • リスパ:Risk-performance リスクあたりの成果

先述の制約があるため、どんな人でも必ず選択を強いられる。選択をする上で重要なのが、コスパ・タイパ・リスパという概念である。
良い選択とは、タイパとリスパを最適化する行動のことである。
極端な例でいうと、99%の確率で100万円を手に入れられるが1%で死んでしまう賭けに参加するというのはリスパゼロの行動である。失うものが極度に大きい場合はそれを行うべきではない、という帰結が導きだされる。

コスパやタイパを重視するようになったのは、選択肢が広がったからである。技術革新やSNSの発達により、ひとりの人が生涯で触れることが到底できないくらい膨大な量の動画や音楽・映画が氾濫するようになった。
若者たちはコンテンツ提供システムのおすすめ動画などから選りすぐりのコンテンツを知り、友だちに共有する。これらの話題についていけない場合、場がしらけてしまう。情報収集の効率を高めるために、彼らは倍速再生や切り抜き動画の視聴をするようになっている。

メッセージのやり取りと情報収集を行うことは手間がかかるため、友人関係の維持にはコストがかかるのが現実である。友人を減らせば膨大な時間資源が確保できるともとれるが、多くの人はこれを行わない。それは後述の「社会資本」が関係している。

睡眠を奪ったら…皮膚はボロボロになり免疫は極度に低下する

1日は24時間と定義されているが、何かを意識して取り組む時間はせいぜい10時間しか取れないのが現実である。それは、ヒトの根源的性質として睡眠・食事・排泄といった行為をする必要があるからだ。
睡眠は非常に大事な時間であり、アマゾンの創業者で実業家・投資家として世界的大成功を収めたジェフベゾスは一日8時間の睡眠を絶対に欠かさないという。

睡眠の効果を測定するためには、"睡眠を奪ったらどうなるか"を考えるのが最も手っ取り早い。ラットから意図的に睡眠を奪う生物実験の結果、そのラットは15日で死亡したという。また、ラットの身体は以下のような影響を受けていた。
 ・身体中の皮膚がボロボロになった
 ・肺に液体がたまっていた
 ・胃の内壁にあちこち腫瘍ができていた
 ・副腎(ストレスに反応する臓器)が肥大化していた
ラットの死因は「腸内バクテリアによる敗血症」と判定された。すなわち、自身の腸内細菌に対抗できないくらい免疫機能が弱まって亡くなったということである。
こうしたことから、睡眠が生物に与える影響は甚大であることがよくわかる。

運動により生成される物質、マイオカインの効果

人類学者ハーマン・ポンツァーは、タンザニア北部のハッザ族の消費エネルギーと平均的なアメリカ人の消費エネルギーが変わらないことを突き止めた。このことから彼は「一日あたりのエネルギー消費量は世界中どこでも変わらない」という仮説を信じるようになった。ここから筆者は「現代人は炎症反応を強化することにエネルギーを使うようになっている」という結論を導いている。炎症反応はマクロファージが活性化することを指し、一説によれば心疾患やさまざまな病気の要因となるとされている。

運動はストレス解消につながるというが、その機序のひとつに「マイオカインが分泌される」が挙げられる。運動により筋肉からホルモンが産生され、これが血液中に放出される。これをマイオカインと呼ぶ。マイオカインの効果はすさまじく、特定のガンや心疾患・自己免疫疾患・二型糖尿病を予防する。加えて、不眠を改善し血圧を下げストレスを軽減する効果もあるという。
ヒトにとって非常に好都合な物質であるが、これを抽出することはできておらず、現状では運動しないと自身の身体に出てこない。

目先の利益と将来の利益の交点

  • 進化的合理性 目先の利益

  • 論理的合理性 将来の利益

進化的合理性と論理的合理性は対数関数と比例関数に例えることができる。
縦軸を幸福度、横軸を努力強度と捉えた場合、
幸福度を最大化するのは交点Aあたりの意識で行われる行動といえる。

難しい表現でいえば進化的合理性・論理的合理性であるが、それぞれ「目先の利益」「将来の利益」と置き換えればわかりやすい。
具体例で示すと、ダイエットをするためにはケーキを食べず運動することが大事である(将来の利益)。しかし、ケーキを食べれば幸せ(目先の利益)である。
将来の利益を優先して生きることも可能であるが、ほとんどの人はそうした生き方に耐えることはできない。そのため、適度に妥協した生き方をすることが最適解となる。

※小池考察
自分が学生時代に行っていた陸上競技に対する行動は、まさに論理的合理性を追求して進化的合理性をほとんど追わない行動だったと思う。反面、論理的合理性に導かれる行動のみ実施するという生活であったため、普通の学生にとっては淡泊すぎる生活だったかもしれない。というより、陸上競技の論理的合理性に沿う行動に"逃げ込んで"、陸上競技以外の挑戦から逃げる生活だったかもしれない。

バイアスの背景には制約が関係している

バイアスとは「偏り」を意味する単語である。心理学の分野では主に「認知バイアス」の観点から用いられることが多い。平易な単語でいえば「認知の偏り」であるが、この偏りは旧石器時代に生じていた制約から生じていると考えられる。
旧石器時代は現代よりはるかに食糧事情が悪かったため、食料資源が非常に希少だった。こうした時代は数万~数十万年続いたとされており、ヒトの脳はこの状況に適応するようプログラミングされたと考えられる。
この結果、ヒトには下記のような認知の偏りがあるとされる。

  • 目の前の利益を最大化する

  • すべてを単純な因果論で判断しようとする

  • 客観的事実はさほど重要ではない

また、ヒトは最も社会化された動物であるため、下記の認知の偏りがあるとされる。

  • 周囲に同調する

  • 共同体の中で評判を獲得しようとする

  • 共同体に所属する者には共感する

  • 共同体に所属しない者を排除する

心理学上、これ以外にも多数のバイアスが定義されている。
しかし、ヒトは瞬時に多数のバイアスを修正できるようになっていない。このため、バイアスに左右されにくい生き方をする上では工夫が必要である。

成功に至るために環境を変えるのはアリ
半分ほど水が入っているコップを見た時に、「コップに半分も水が入っている」「コップに半分しか水が入っていない」と思うかでその人がネガティブかポジティブかを判断する…という子話は有名である。
これの出自は1925年にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの劇作家、バーナード・ショウが楽観主義についての議論に参加した際に行った発言であるとされる。
ある環境下でその環境をどう認知するかで対応は変わるわけだが、人の認知はそう簡単に変えることはできないのが実情である。しかし、認知を変える方法がひとつ存在する。それは、環境を変えるという方法である。コップ水の例えを用いていうなら「半分の容量のコップに水を移して、満杯のコップ水にする」というものである。
満杯のコップ水であれば悲観主義の人であっても「コップに満杯の水が入っている」という認知ができる。このように、認知を変えるより環境を変える方が合理的な選択であるといえる。

幸福を科学的に考察する

「幸福とは何か?」という問いに対する解はさまざまな分野で議論されており、結論もさまざまである。しかし、脳科学・遺伝学からきわめて有力な説が提唱された。それが下記である。

  • 幸福は個体差があり、それはおおよそ遺伝子と幼少期の過ごし方で決まる

  • 良いことがあれば幸福度は上がり、悪いことがあれば幸福度は下がる

  • しかし、長期的には生まれ持った幸福度に収束する

筆者は幸福の基盤があると提唱しており、その基盤は「金融資本」「人的資本」「社会資本」の3つで構成されるとしている。資本が1つだけの場合は、その資本を揺るがす事態に陥った際の生活が揺らぐ。そのため、2つ以上の資本を持つ状態が良い。

  • 金融資本: 純資産の大きさ

  • 人的資本: スキルや知識・業務経験・業務実績

  • 社会資本: 友人の多さや妻子の有無

進化医学の研究者ランドルフ・ネシーは人生を6つの資源に分類し、こころの不調に悩む患者がどこに問題を抱えているか分析しようとした。下記がその分類である。

  1. 収入

  2. 能力

  3. 職業

  4. 社交

  5. 愛情

  6. 子ども

これらのうち、当人が重要だと考える資源が棄損されたときに精神的不調に陥ると結論づけている。例えばキャリア集中型の人の場合は、その人の業種が不況となり解雇される…という事態が挙げられる。

シミュレーションゲームと幸福

近年の脳科学は、脳を超高性能のシミュレーションマシンだと考える。
脳は脳内記憶をもとに「もしAを行っていたらBになっていたのに」といったシミュレーションを常に行っているという。これが「後悔」や「反省」を生産する事象である。また、「今ここでAを行ったらBになるだろう」というシミュレーションも行う。こちらは「夢」や「希望」を生産する事象である。
こうした過去や未来のシミュレーションを効率よく行うために「自己意識」が発達したという。
では「自己意識」はどのように作られたか。それは「物語」である。過去の後悔も未来の希望も、自分を主人公とした物語として意識されているのである。筆者はここから下記のような結論を導いた。

幸福は、自分の人生を「よい物語」として他人に伝えられるような状態
不幸は、自分の人生の物語が破綻してしまった状態

RPG(ロールプレイングゲーム)もまた幸福を考察する題材として興味深いものである。面白いRPGはキャラクターの成長要素が充実している一方、つまらないRPGは「無理ゲー」か「作業ゲー」という要素が強いものである。
詳しくいうならば、ステータスを上げることが極めて困難で、クリア難易度が高すぎるゲーム(無理ゲー)、ステータスが最初から高すぎて、進めていれば勝手にクリアできてしまうゲーム(作業ゲー)である。

成長要素がRPGの面白さを左右していることを幸福に当てはめていくと、
成長こそ幸福度の高い人生に大切な要素だといえる。
著名なスポーツ選手を始め、各界隈のトッププレイヤーはすべからく逆境を乗り越えて今の地位を築いている。手前味噌ではあるが、自分も逆境を乗り越えて走高跳選手として一定の成功を収めてきた。身長は170cm未満であり、日本選手権に出た際は一番身長が低い選手だった。しかし、身体的に劣っているからこそ練習を怠らず毎日走高跳の動画を見て技術を考察し、技術練習に常に取り入れるようにした。その結果、中学・高校・大学・社会人の各ステージでトップの試合に出たり入賞したりする選手になれたと思う。
こうした逆境を乗り越えた経験を振り返り、面白い競技人生だったと感じている。

若いうちしかできないことへの"体験投資"は推奨される

若いころの思い出というのは、年を取ってからも常々登場する。この思い出の印象が良ければずっと良い気分になれるし、悪ければ悪い気分になる。「悪い」というのは「挑戦しなかった後悔」も含まれる。それゆえ、挑戦しない人生は良い思い出が極端に少ない上に、悪い思い出が勢いを増して襲ってくることになる。ここで、あえて経済的なたとえ話で若いうちに挑戦することと挑戦しないことを表現する。

挑戦することは、割安な成長株を安く仕入れた後に株価と配当金が増えるようなものである。最小限の投資で大きな含み益と安定的で高い配当を毎年受け続けることができるのである。株の場合は投資先の成長性が不透明なことがほとんどであり、ひどい場合は上場廃止になり株券が紙くずになることもある。しかし、自身に挑戦したからって死ぬことはほぼないし、ちょっとした辱めを受ける程度の損失しか受けないだろう。
たったそれだけのリスクで、良い思い出という名の配当を将来にわたって安定的に受け取れるとわかっているなら絶対に挑戦する…が、若いうちはその少しの損失を過大評価したり、そういう損失があることを理由に行動しない人も存在する。

挑戦しないことは、カードの支払いをリボ払いで行いかつ毎月支払額を上回る買い物をし続けるようなものである。最初のうちは支払額が小さい上に金利による残債増加額も小さく、短期的には銀行口座にお金が残るため得をしているように感じる。しかし、ある程度時が経つと残債増加額が加速度的に増えていく。残債を返済できるような資産を持っていない限り、生きているうちはずっと残債が増え続けることになり、まさしく「生き地獄」となる。

最近、中高生のうちから「失敗するのが怖いから挑戦しない」という選択をする人が多くなっている。現代では小中学生からSNSを使うことが多く、失敗をSNSにさらされてデジタルタトゥーとして扱われることもあるかもしれない。それでも、若いうちの失敗はリスクが小さいし、成功すればコミュニケーション能力といった人的資本や将来レバレッジをもって返ってくるほどの良い思い出となる。特に人間関係の広さやコミュニケーション能力に関しては、社会人になると自分から積極的な行動を起こさない限り向上しなくなる。
この点を考えると、若いうちから積極的に交友関係を築こうとする"挑戦"をし、ケンカや恥ずかしい体験を暴露されるといった"失敗のリスク"を若いうちに被る代わりにコミュニケーション能力と交友関係(人によっては生涯のパートナー)を得るのは非常に効果的な"体験投資"といえよう。

ウマい話は市中の人に来ないし、だますための話しか来ない

金融資本を築く上で「ウマい話に乗らない」ということ、ないしウマい話に対して強く疑いを持つことは非常に大事である。それは、ウマい話というのは端的に言って詐欺であるからだ。マルチ商法やポンジスキームへの参加がその例に挙げられる。
より詳細な具体例に関しては、国民生活センターの「消費者トラブル解説集」の中にある。特に「儲け話」の例は分かりやすい。

ウマい話があるとしたら、あなたはどうするだろうか?共有するという気前の良い人もいるとは思うが、多くの人は自分だけが独占したいと考えるのではなかろうか。

私の好きな分野でいえば、RTAが挙げられる。RTA(Real-Time-Attack、ゲームプレイの1スタイル。任意のゲームを可能な限り速くクリアすることを目的としたプレイング)の世界では、想像もしないバグや操作によって大幅にタイム短縮される場合がある。そのやり方を公開しない場合、自分だけが他より圧倒的に速いタイムでクリアすることが可能であり、他プレイヤーに対して優位性がある状態だといえる。
※RTAの大手コミュニティサイト「Speedrun.com」では、タイムの公認に際してプレイ動画やキー操作ログの提出が義務付けられている。このため、各ゲームのRTAで地位を築いたプレイヤーはプレイスキルを秘匿することはしない…というよりできない。(個人的には、そういうコミュニティに参加する意思がある人なので積極的に公開して仲間を作ろうとするように思う)

現代社会では専門化が最適解

筆者は、人的資本を築く上でエッセンシャル思考を持つことをすすめている。エッセンシャル思考とは「必要不可欠なもの以外をそぎ落とすことで本質的な価値に注力する考え方」のことである。この考え方は、業務の専門性が向上した現代社会にマッチしている考えだといえる。
筆者は現代社会に生きる人々にエッセンシャル思考を勧める理由として「専門性の高い仕事に就くことによる給与向上もあるが、専門領域を確保することで優秀なライバルが相対的に少なくなって仕事がしやすくなり、こころの健康を保ちやすくなること」を述べている。
昔の業務現場では、いろいろなことをそつなくこなせるジェネラリストが重宝されていた。現代にかけて分業化が進んだ関係で、ジェネラリストよりスペシャリストが重宝されるようになった。この関係で、専門性を持たない人は居場所をなくすかスペシャリストのフリをして仕事をしないといけなくなった。大半は居場所を失わまいと努力してスペシャリストを目指すが、一定数は耐えきれずにこころを病んでしまうのである。

何のためのFIRE?

20年以上前から「これからは会社に縛られる生き方ではなく、リスクを取ってでも自由を求める生き方を選ぶ人が多くなる」と予想していた人がいる。現代はその予想通りの展開となってきている。
アメリカのZ世代では「静かな退職」が広がっている。彼らは必要最低限の仕事をこなし、有給はすべて取得し、余暇の時間は仕事のスキルアップより自分の好きなことに使う時間に充てている。日本でもFIRE(Financial-Independence-Retire-Early)という用語が広まり、経済的独立を果たしたら退職して自由な人生を生きようとする人が増えつつある。
筆者は「経済的独立を果たしたら仕事を辞めて自由になれる、というのは半分正解だが半分不正解である」としている。たしかに"自分に向いていない"仕事を辞める自由は得られる。しかし、アーリーリタイアによって人的資本を毀損する場合、社会と自分の立ち位置があやふやになることで「この社会に生きていて良いのだろうか」という思いが生じやすくなる。短期的には良いかもしれないが、人生全体を考えると良くない可能性は高い。この現代において自由な生き方の王道は「好きな仕事を一生続ける」ことである。どこに行っても通用する人的資本を持つ人材になることで"ほんとうの自由"を得ることができるだろう。

仲間を作るためにはGIVERになれ

社会資本を作るということは、自分に共感し協力してくれる仲間がいるということである。後輩がご飯をおごってくれる先輩に好意と尊敬を抱くように、自分にとって嬉しいものを与えてくれる人物と長期の関係を築きたいと思うのが人間である。しかし、お金やモノは相手に与えたら自分の手からなくなってしまう。また、お金やモノに関しては代わりがいくらでも存在するため、プレゼンターというより与えられたモノに興味が向かいがちである。
反面、相手に与えても自分の手からなくならないものが2つある。それは下記である。

  • 面白い情報

  • 面白い知り合い

面白いというのは話せば相手を笑わせられる類の話だけでなく、相手の悩み解決や仕事の促進につながる情報のことまで含めている。「◆◆をするとコストを減らせる」「●●さんは良いものを作ってくれるから紹介する」といった情報は、何かに本気で取り組むことで得られるだろう。社交の場でそういう"面白い"情報を共有することで同業の仲間を作ることができる。これを繰り返していくことで社会資本を広げていけるのである。

この本を読んで学んだこと

私がこの本を読んで学んだことは下記である。

  • 下手な自己啓発より、多少運動してよく寝た方が良い

  • ストイックはかっこいいが、最も幸福度が高いのは適度に妥協した生き方

  • よりよい自分に向けて足りないことは「社交の場」への参加

自己啓発の手法といった本はたまに読むが、どこかはぐらかしたことしか言ってなかったり、再現性がなかったりすることがほとんどでモヤモヤした感情を抱いていた。しかし「睡眠時間を8時間取る」というのは再現性があり、科学的にも効果が十分証明されていることであることを学べた。平日は遅くまで仕事をしたりするため難しい日もあるが、休日くらいは(夜更かししないで)8時間眠ることを心がけてこれから生活したい。

私は競技生活を振り返って「●●はもうちょっと練習できた」「●●をせずもっと練習していれば」と思うことは多くあった。明らかにできてなかったこともその中に含まれるが、「24時間365日走高跳のことを考える」という理想像とは異なっていたため、理想像を体現できない学生時代の自分に後ろめたさを感じていた。しかし、適度に妥協してきたことはほんの少しだけ成績を下げる代わりにより効率よく幸福度を高める活動だった、ということを理屈で納得できたので過去の自分を少しだけ許すことができた。

私は3つの資本のうち、金融資本を増やす活動に関してはすでに体現できていると思う。業務に取り組み地位を上げることで収入を増やし、浪費をしないことで支出を減らし、インデックスファンドを中心とした期待値の高いポートフォリオを組み、配当利回りの高い株を割安で購入したりといった行動をしている。人的資本についても、業務に取り組んで日々スキルを向上させている。しかし、社会資本に関しては増やすための行動をしていないように強く感じた。今はひとりの時間が幸せでも将来にわたってひとりの時間が幸せかどうかはわからないし、調べれば調べるほどひとりで歳を取ることは不幸なのではと感じている。自分が相手に対してGIVEできるものについてはまだわからないが、社交の場に行って相手と対話をする中でGIVEできるものについてもう少し知り、自分と思いを共にする仲間をもっと増やしていきたいと思う。

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