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2.コンパートメント車両の楽しみ(第5章.旅先で考えた乗り物のこと)

 フランス南西部の街モンペリエに別れを告げて、スペイン国境沿いの街バイヨンヌへと列車で向かうことにした。もっともバイヨンヌまでの直通列車は無く、途中トゥールーズで乗り換えとなる。この時は列車の接続が悪く、トゥールーズで3時間くらい待つことになった。

 やがて列車がホームに入線してきた。そして13:58、トゥールーズから今日の目的地バイヨンヌへ向けて列車は発車したのだった。

 車両はヨーロッパ特有のコンパートメントである。そう、4〜6人掛けくらいで個室になっている、あの車両である。日本ではまずお目に掛かれない車両なので、このような車両に乗っていると、いかにもヨーロッパの汽車旅を楽しんでいる、と思えてくる。

 同じコンパートメントには私の他に20歳くらいの男性(もしかして学生かな)、同じく20歳くらいの女性(こちらも学生かな)、それともう一人、ちょっと変わった男が乗ってきた。その変わった男とは、髪は長く髭を生やし汚れた服、そして何とギターを抱えている。彼は我々の前でギターを弾き始め(こちらが頼んでもいないのに)、弾き終わると「弾いてやったのだから金をよこせ」などと言う。もちろん、我々は無視した。その後もギター男は我々に向かってありとあらゆることを捲し立てた。まあ、悪い奴ではなさそうだが、このような男を今まで見たことがない私にとって、まさに異国の地へ放り込まれた気分だった。

 やがてギター男は、ある駅に到着すると「じゃあな!」と言いながら列車を降りていった。その瞬間、コンパートメントに残された我々3人は「やれやれ…」と溜息をつきながらお互い顔を見合わせた。まさに嵐が過ぎ去った後とはこのことである。

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 やがて青年も列車から降りていった。20歳くらいの青年と女性は初対面のようだったが、同年代だからかもしれないが、気が合うようでお互いよく喋っていた。青年は列車を降りる時、女性に何やら言葉を交わし、そして言葉の通じない私にも微笑み掛けてコンパートメントから去っていった。

 さて、コンパートメントに残ったのは私と女性の二人である。私はどうせフランス語で会話することなどままならないのだからと、一人本を読んでいた。それでも彼女は私に話し掛けてきた。当時、私は26歳。彼女にとっても自分と同年代の人間が目の前にいるので話し掛けやすかったのか、それとも同じコンパートメントに乗っているので、話さなければ、といった義務感に囚われたのかは分からない。

 彼女は私に「フランスに住んでいるんですか?」と英語で聞いてきた。恐らく、こんな田舎を列車に乗って一人で旅する日本人は珍しいのだろう、私のことをフランスに留学している学生と思ったようだ。そのうち彼女は「日本にとってフランスはどんなイメージ?」と聞いてきた。彼女は自国のことが気になるのだろう…学生らしい質問だ。私は「芸術、文化を大切にするイメージがある」と答えたが、彼女はどう思っただろうか…。

 やがて彼女もポーという駅で降りていった。別れ際に「良いお年を」という言葉を残して…そう、今日は1996年1月1日なのである。

 ヨーロッパの汽車旅の楽しみ…それはやはりコンパートメントの車両だからこそ、と言いたい。同じ個室に入れば、初対面同士でも何故か会話が弾むこともある。もっとも今は、コンパートメントタイプの車両は希少価値になっているし、あったとしてもスマートフォンとにらめっこしている訳だから初対面同士で会話が弾むことは稀かもしれない。それでも、初対面同士でもお互いの心理的距離が近くなるコンパートメント車両は旅の醍醐味そのものだ。

 17:50、列車は今日の目的地バイヨンヌへ到着した。私は一人で列車を降りたが、一人きりの旅だった訳ではない。そう、コンパートメントで席を同じくした彼らとも一緒に旅した感覚が残っている。「汽車旅ってやっぱりいいな」そう思いながら、私はバイヨンヌの中心街へ向かって歩き出した。

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