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1.チュニジアで起きた二つの事件(第6章.旅先で考えた社会の問題)

 チュニジアを訪れたことがある私にとって二つの事件は衝撃だった。一つはジャスミン革命。そしてもう一つはバルドー国立博物館銃乱射事件である。

 ジャスミン革命は2010年12月、チュニジア中部の都市シディ・ブジドで起こった事件が発端となっている。ある日、失業中だった26歳の男性が露店販売をしていたところ、販売許可が無いとして警察に商品を没収された。男性はこれに抗議するため焼身自殺を図ったのだ。これをきっかけにチュニジア全土でデモが起こり、23年という長期独裁政権を担ってきたベン・アリ大統領を退陣へと追い込んだ。ジャスミン革命の背景にあるのは、若者の高い失業率とベン・アリ政権の腐敗である。若者達はSNSで呼びかけ、自分達の権利を主張したのだ。これがやがて「アラブの春」へとつながっていく。

 そしてもう一つの事件。バルドー国立博物館銃乱射事件。これは2015年3月。私も訪れたことがあるバルドー国立博物館で起きた銃乱射事件だ。バルドー国立博物館は首都チュニスにあるモザイク画で有名な博物館である。外国人観光客を狙ったイスラム教過激派による犯行ではないかと言われている。

 私がチュニジアを訪れた2002年当時は治安が「良過ぎる」という印象があった。チュニジアにとって観光は外貨を稼ぐための重要な産業。外国人観光客が気持ち良く過ごせるよう、一般市民に対しては政府が執拗に厳しく取り締まっていたものと思われる。しかも自由な格好で派手にお金を使う外国人観光客を見て、イスラム教を信じて慎ましく暮らす一般市民は、恐らく羨望と嫉妬のまなざしで我々外国人を見ていたに違いない。件の二つの事件は、彼らのそんな複雑な感情が後押ししたものではないかと思うのだ。

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 そんなチュニジアを思う時、私はスースからチュニスに向かう列車での出来事を思い出す。二日間滞在したスースを離れ、私は首都チュニスに戻ろうと13:58の列車に乗り込んだ。列車の中はすでに満席で、私は客車の外、つまりドアの付近に立つことにした。しかしドアはきちんと閉まらず、そこから熱風が列車の中に入り込んでくる有様だ。

 そんな時、私の近くにいた20代前半と思しきある青年が私に話し掛けてきた。彼は私が日本人だと分かると、好奇心丸出しで色々聞いてくる。そのうち周りにいた人達も寄ってきて私を取り囲んで(英語やフランス語で)質問攻めにする。初めは私も彼らの質問に快く答えていたのだが、初めに私に話し掛けてきた青年が急にアラビア語で捲し立ててきた(彼は私がアラビア語を理解出来ないのを知っているので恐らくわざとだ)。彼の言っていることは「アッラー」以外分からなかったが、表情が険しくなったことだけは分かった。

 彼はこの時、何を言っていたのだろう…そして何を思ったのだろう。もしかしたら彼は失業中で、それなのに外国人は自由な格好をして自由にお金を使って旅をしている。自分なんてまだ外国に行ったことがないのに…我々は外国人観光客のために自由を制限されている…そんな不条理を苦々しく思っていたのかもしれない。

 ジャスミン革命が起きた時、私はこの列車で出くわした青年のことを思った。デモが全土を覆う中、彼は何処にいただろうか?そしてどんな行動を取っただろうか?まだ、バルドー国立博物館銃乱射事件が起こった時、彼は何を思っただろうか?あの時の彼の眼の険しさを見たから、この二つの事件は私にとって他人事とは思えないのだ。

 チュニジアは、私が訪れた時と比べて随分変わっただろか?メディナと呼ばれる旧市街の細い路地。馬に荷を乗せて運ぶ人。金物細工、雑貨などを露天に並べるスーク(市場)の男達の客を呼び込む大きな声。古い大きなモスク(イスラム寺院)と何処からともなく聞こえてくるコーランの調べ。私にまとわりついてくる地元の人達の視線。そして、容赦無く照りつける陽射しと乾いた風に溶け合う甘いミントティーの香り。これらは今でも変わらないでいて欲しい。チュニジアを旅したことがある一人の旅人の願いである。

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