見出し画像

4.南仏カーニュのアーティスト(第2章.旅先で考えた小さな街の素晴らしさ)

 南フランスのカーニュ・シュル・メールという小さな街を訪れたことがある。紺碧海岸が続くニースの隣に位置するが、街は山の上にある。ここコート・ダジュールには「鷲ノ巣村」と言って、山の上に築かれた中世から続く小さな街(村)が幾つもある。カーニュ・シュル・メールもそんな「鷲ノ巣村」の一つだ。

 駅から観光の中心「オ・ド・カーニュ」へ行くにはきつい坂を登らなければならない。オ・ド・カーニュの"オ"とは「高い」という意味。要するにオ・ド・カーニュとは「丘の上のカーニュ」、まさに鷲ノ巣村のことである。

 さて、そんなカーニュの鷲ノ巣村。坂を登りきった所に中世から続く素敵な街並みが広がっていた。石造りの古い建物には蔦や花が絡まり、石畳の細い路地や石段は迷路のようだ。まるで村全体が生きた博物館のようである。

画像1


 そんなオ・ド・カーニュの一画にシャトー・ミュゼという中世の城を利用した美術館兼博物館がある。その美術館にシュズィ・ソリドール(1900〜1983)というキャバレー歌手の肖像画ばかりを集めた部屋があった。彼女の肖像画を描いた画家はフジタ、キスリング、レンピッカなど40点。これらはシュズィ本人が寄贈したものであるというが、同一人物の肖像画をこれ程までに集められたものを観るのは初めてだったので、それだけで圧倒されてしまった。実は彼女、このカーニュ・シュル・メールで1930年代〜1940年代にキャバレーを経営していたという。肖像画の寄贈はこの地に対する彼女の恩返しである。恐らく、穏やかで絵のようなこの街を彼女は気に入っていたのかもしれない。

画像2

 さてさて。オ・ド・カーニュの丘を下りて、私は印象派の画家ルノワールが晩年を過ごした家「レ・コレット」へ向かった。ここはまさに彼が住んでいた"家"であるが、その家の中には彼の遺品や作品が展示してある。特に心動かされたのがアトリエである。アトリエにはイーゼル、絵筆、車椅子なとが置かれ、彼の息吹までが聞こえてきそうだ。
 実は私はここを訪れるまで、ルノワールに対してあまり良い印象はなかった。ブルジョワ社会を描いた優しいタッチの作風が多いこと。それから生前に評価され勲章まで授与されているということ。それらが、例えばモディリアーニのような常に苦悩を抱えた破滅型アーティストに比べ「ロックっぽくない」と勝手に思っていたのだ(今考えてみれば絵のことを何も知らないのに…本当に勝手だ)。
 しかし、この家を訪れ、このアトリエに足を踏み入れ、考えが180度変わった。実はルノワールは晩年、リウマチを患い、仕事道具である絵筆を持つこともままならなかったのだ。絵筆を自分の手に縛り付け、あるいは口にくわえ、そこまでして絵を描き続けたのである。つまり彼は人生の最期まで絵を描くことが本当に好きだったのである。また最期まで自分の使命を果たしたのである。このアトリエを訪れ、初めてそのことに気付き、私は彼の絵の前でしばし動けずにいた。
 老いて醜態を晒す…当時30歳の私は、そのことを受け入れられずにいた。「醜態」と言ってしまえば言葉が悪いが、ルノワールの晩年は絵筆を手に縛り付けたり口にくわえたり、一見「醜態」に見えるかもしれない。しかし、それは彼の強い信念によって支えられていたもので、「醜態」どころか「輝き」に他ならない。当時、人生に思い悩んでいた私は、彼のアトリエで彼の輝き続ける生き様に触れ、深く心を動かされたのだ。
 ルノワールの家を出て、敷地内の庭を少し散策した。芝生が広がるゆるやかな斜面にはオリーヴの木が何本も植えられている。私は芝生に座り、この長閑な光景に身を委ねた。そして穏やかな時間の中、夕方の柔らかな陽の光が辺り一面を覆い尽くしていった。それはまさにルノワールの絵のような光の風景そのものだった。

画像3

これで「第2章.旅先で考えた小さな街の素晴らしさ」は終わりです。
次回からは「第3章.旅先で考えたそれぞれの文化」が始まります。内容は以下の通りです。

1. アヴィニョンの郵便局にて
2. カーニュの祭り
3. パブの楽しみ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?