2.チュニジアのフレンドリーな人々(第6章.旅先で考えた社会の問題)
北アフリカのチュニジアに行ったのは2002年7月。ちょうどサッカー・ワールドカップ日韓大会が開催された翌月である。ちなみにチュニジアと日本はグループリーグで対戦していて、2対0で日本がチュニジアを下している。そのせいか、私がチュニジアに滞在している間、現地の人からよく声を掛けられた。同じグループリーグで対戦した相手だから親しみを持って声を掛けてくるのか、それとも見慣れぬ東洋人を物珍しげに声を掛けてくるのかは分からない。とにかく街を歩いているだけで、見知らぬ現地の人が気軽に声を掛けてくるのだ。「日本人?」とか「コンニチハ」とか「今度サッカーで対戦する時は負けないぜ」とか…。
私に声を掛けてくる人達は大きく分けて2パターンある。一つは見慣れない東洋人と話してみたいというタイプ。こちらはもちろん害はない。というより、むしろ親しみを持って声を掛けてくる。「コンニチハ」とか「ナカタ…イナモト…」とか言ってくる人達だ。恐らく彼らは東洋人を見る機会があまりなく、我々を見ると「お!東洋人だ!」と珍しく思うのかもしれない。
そしてもう一つのタイプはちょっと厄介だ。それは我々を金づると思って声を掛けてくるタイプだ。私がある雑貨屋の店先で土産物を物色していると店員が笑顔で声を掛けてくる。物に値札はもちろん付いていない。私が「いくら?」と聞くと、かなり高い値段を言ってくる。私は「高い」と言って店から立ち去ろうとすると、彼は「待って、待って」と必死になってすがりついてくる。そして半額でいいと言うのだ。何だ…だったら初めからその値段を言えばいいのに…と思うのは我々日本人の感覚なのかもしれない。
店先での商売ならまだいい。私が街を歩いていると「街を案内してやる」と声を掛けてくる輩がいる。「結構」と断っても強引についてくる。そして彼らは最終的に「街を案内してやったのだから金をよこせ」と言うのだ。
さて、声を掛けてくる人達は以上2パターンあるが、実はこの二つのパターンのどちらとも見分けのつかない時が多々ある。それが一番厄介だ。
私は首都チュニスから列車に乗り地中海沿の古都スースへと向かった。列車の中はほぼ満席だったが、ちょうど一つだけ空いている席があったのでそこへ座った。すると、私の隣に座っていた男性が「日本人ですか?」と声を掛けてきた。彼は流暢な英語を話す。アラビア語とフランス語が公用語のチュニジアでは彼なような英語を話せる人は珍しく、所謂インテリに属する人かもしれない。それから彼は33歳(当時の私と同年代だ)だと言い、私にも「仕事は何?」とか「ガールフレンドはいるのか?」とか聞いてきた。初対面の外国人にこんなことまで聞くのか、と面食らったが、私も車中ずっと彼と話をした。
やがて列車は目的地スースに到着した。実は彼もスースで降りるようなので我々は一緒に列車を降りた。そして彼は駅のコーヒー・スタンドで私にコーヒーを奢って、「街を案内しようか?」と言ってくれた。私は「一人で歩きたいから」と言って断り、彼とは握手をして別れた。たぶん、彼は悪い人ではないと思う。親切心から「街を案内する」と言ってくれたのだと思う。それでも初対面の人と行動を共にすることは私には出来ない。
そして、こんなこともあった。スースで海の見えるカフェでのこと。隣に座っていた20代と思しき男性二人組が「良かったら一緒に話しませんか?」と声を掛けてきた。断る理由も無いので彼らの誘いに応じることにした。話が盛り上がったところで彼らが「この後一緒に遊ばない?女の子もいっぱいいるから」と誘ってきた。私は少し考えてから、彼らの誘いを断った。「遊ぶ」だなんて初対面ではかなりハードルが高い。
今考えてみれば彼らの誘いを断って良かった。親しくなったと見せ掛けて、飲み物に睡眠薬を混ぜて金品を奪うという犯罪が後を絶たないと聞いたことがある。彼らは純粋に親切心で声を掛けてくれたのかもしれないが、それでも初対面の人を信用することは覚悟を持って臨まなければならない。
チュニジアでは親切心から声を掛けてくる人と、そうでない人がいる。その違いを判断するのは旅行者には難しい。唯一分かるのは、彼らも必死で生きている、ということだ。
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