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[無いものの存在]_02:無いものの在り方

手術前日の主治医とのカンファレンスで驚いたことがある。
患者が希望すれば切断した足は火葬して骨壷にいれて貰えるというのだ。
そんなサービスがあるのかと驚き、迷わず「欲しい」と即答した。

術後、硬膜外麻酔(術中から術後しばらく背骨に入れ続けている麻酔)で意識がぼんやりしている最中に医師が紙袋を手に持ち仰々しく病室に入ってきて「先日火葬が済んだ足になります」と届けてくれた。

骨壷によって知らされる肉体の一部が先に死んだという感覚は、嘘のようでもあるけど右足がもう無いことを改めて実感させてくれた。もらったは良いけど今は保管場所を迷っている。
来年、喫茶野ざらしという喫茶店兼イベントスペースを作るのだけど、野ざらし感は抜群にあるけど、そこにずっと祀るのもな…。
もしくは2020年だし、アキラ(彬)の名を持つ一人なので、新国立競技場に埋めようと提案をしてきた友人もいた。大覚アキラ様である。

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体の一部が「死んだよ」という手続きを踏まされた後に、まだ「生きている」残った足を見ていると、両者を隔てたものが本当に生死という二択かわからなくなる。そもそも残った箇所は「足」なのだろうか。足の付け根から伸びる20cmくらいのまるっとした肉の塊は、元永定正さんの絵本に登場しそうなくらいなんだかかわいい。

11月29日、術後1日目から感じた足先の感覚は、肉体にキャッシュが残ったままのように火葬され損ねた足のアバターとしてちゃんとベッドに横たわっている。
この時感じていたのはまだ痛みではなかった。ステッキを手に持つと触覚が延長されたような、棒の先端に感覚が移行するようなあの感じが、残った足から直線に40〜50cmほどのところにあった。
たぶん膝周辺よりも足先の感覚が強かったのは、人工関節を入れている時から膝から足首にかけて感覚が鈍かったことが原因だと思う。
大腿骨から足首までは人工関節が入っていたので、生身の体は大腿骨と足首から先のみ。だから足首の幻肢が強いのだろう。人工関節が入っていた足に生じていた感覚のグラデーションが、切断されて際立ってきた。

昔、先輩キュレーターが「アートプロジェクトではとにかくその場に“居ること”が大切だ」と言われたことを今でも思い出す。
最近、関わるアートプロジェクトの中で「もの」をつくることについてよく考えていた。特に定義はないのだけど、その時に考えていたことは高度な技術を用いた作品よりももっと素朴な工作のような代物のこと。もうひとつは最近始めた農業で感じた、人間以外の存在のリズムに触れる経験。
美術館やギャラリーではなく、地域の中でアートプロジェクトを行う時、どれだけ文献を調査して机の上で考えていても物事が進まないことは多々ある。実際に関わる人の声に耳を傾けたり、現場に足を運ぶことで状況が変化する。そこには自分以外の存在を肯定し続ける作業と、その存在に呼応するように自分から働きかける作業の連続がある気がする。

足首の幻肢が現れたのも、人工物の入っていた膝から脛よりもその人の肉体が充満していた箇所だからなのだろうか。そうすると幻肢痛はそんな足首の存在の履歴なのかもしれない。
だとすると「欠損した身体に痛みを感じる」のなら「履歴が感じとれれば無い身体がつくれる」のだろうか。

これは“無い”という“存在”のつくりかたの模索だ。

火葬されようが、確かにそこに“無い右足”が“存在”している幻肢痛というこの感覚。大切なのは“あった”という事実とは違い、存在の無さを知覚していることだ。

幻肢痛に関する一連の記事には『無いものの存在』という名前をつけてみたのは、前述のような思いがあったからだ。
今はアートプロジェクトやアーカイブの重要性が一般化してきたが、美術史は作品によって記述されている。最近関心があり調べているセツルメント運動についてもそうだ。関東大震災後に今和次郎は東京帝国大学セツルメントハウスの設計を担当し、考現学のメンバーであるアーティストがそこで子供達に鉛筆画を教えて展覧会を開いていたという記録はあった。しかし無名の子供達の鉛筆画は残っていない。今でこそアートプロジェクトという概念があるが、創造力が未分化だった大正期のこうした運動は美術史では語られない。
それは例えば社会的なマイノリティの人々の声もそうかもしれない。社会には歴史化されない多くの声があり、またそれに耳を傾けてきた学問や人々も確かにいる。それは消えてしまう「運動(小さな主語の声や出来事の連なり)」を記録という「もの」に変えて残す作業でもある。

幻肢痛が「ここに右足があったんだよ」という声だとすると、幸いその声を聞ける本人がいる。だから、その声が聞こえる限り耳を傾けてみたい。

「無い」は存在が消滅していることではなく、無いという存在自体を指す。「もの」は肉体のように空間に影響を及ぼす存在を指す。

術後1週間経つので幻肢痛も強くなってきたけど、現在の痛みのパターンはわかってきた。
次回は幻肢痛のパターンをまとめてみよう。


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