見出し画像

[無いものの存在]_11:あの本の中の幻影肢

最近、幻肢痛のパターンもみるみる変わってきた。術後間も無い時期から比べたら格段にシンプルになり、発生する頻度も少なくなってきた。特にここ数日は筋肉痛のような刺激が断端の先に広がっていて、足がギーッと引っ張られている感覚が続いている。足先や足裏に鈍痛を感じることはかなり減ってきた。
これは何より環境の変化が大きい。病院にいる時よりも幻肢痛から気が逸れるものは周りにたくさんあるし、松葉杖生活になって身体の使い方も変わった。特に断端を絞るために日中もライナーを装着していることは、幻肢のイメージに強く影響していると思う。(補足:義足を履くために残った足の部分を細く硬くする必要がある。そのため義足を履く前に装着するシリコン製のソケットを日中は着けるようにしている。)
当然幻肢痛がぼやけてくるになるにつれ、幻肢の感覚も探りにくくなってきた。これまでは常時感じる幻肢痛と合わせて幻肢のイメージは強く残っていたので容易に観察できたが、今はそうもいかない。
足を旋回させた時に強くイメージされる以外は、ふと思い出すように現れるくらいだ。

これまで幻肢痛のパターンを考察したり、幻肢の拡張を試みたり、幻肢について知覚したことを色々と記述してきた。しかし、実は「幻肢」を見たことは一度もないのだ。
幻肢痛を感じた時の幻肢のイメージなどはノートにメモし続けてきたが、あれらは視覚というよりも触覚に近い感覚を頼りに描かれたイメージだった。
だからこれまでの記述でも一番大変なことは、常に自分自身の感覚を研ぎ澄ませなくてはいけないことだ。幻肢痛なんて自分しか分からないのだから、「幻肢が10m伸びました!」なんて嘘を書くこともできてしまう。
特に人の目を気にせず書いている日記であるとはいえ、自分が知覚していないことを書き出してしまったら、今度はその記述に自分の知覚が引っ張られてしまいそうだったので、幻肢痛の観察はかなり慎重に行なったつもりだ。

そうやって約1ヶ月、無いもの存在について考え続けてきた。
いや、考えるというよりも、自分の身体と知覚、そして思考の中へ深く潜るような作業。身体の奥で僅かに知覚される存在の端緒を掴んで浮上する。そんな作業を今も繰り返している。

特にこの年末年始は思考を掘り下げる良い時間となった。
この日記の最初に「幻肢痛が楽しみだった」と書いたが、その発端は哲学者モーリス・メルロ=ポンティの現象学を大学の卒業論文の主要な議論として引用したことに遡る。実はメルロ=ポンティの著書『知覚と現象学』の第1章には幻影肢(幻肢)についての記述が出てくるのだ。ちなみに以前の日記で触れたシュナイダー症例も彼の現象学にとって重要な症例として登場する。しかもメルロ=ポンティは自身の現象学の考察として症例を紹介するに止まらず、サルトルの政治哲学を批判するために幻影肢を手がかりにすることもあった。さらにはデカルトも幻影肢について言及しており、幻肢痛は古くからフランス哲学史の中で意外と重要な現象だったりもする。
哲学史上偉大な功績を残す彼らですら体験したことがない幻肢痛の当事者に自分がなるなんてワクワクしない訳はない。

入院中は様々な幻肢痛が知覚されたのでそれらを忘れないように集中して観察していたが、退院後は実体験をもってこうした書籍を再読することで新たな気づきを得られたように思う。例えば幻肢痛の発生を過去の経験から考えるというメルロ=ポンティの切り口は、幻肢痛を経験する真っ最中には設定する余裕のない時間軸だった気がする。そしてそうした時間軸は以前取り上げたDyyPRIDEのファントムにも繋がったりするんじゃないだろうか。そうやって身体の奥に潜って掴んでいた存在の端緒が、過去に読んだ哲学書と接続していっている。
もちろん僕は哲学の専門家ではないけれど、“両義性の哲学”とも呼ばれるメルロ=ポンティの現象学には学生時代から多くのことを学んだつもりだ。やっぱりその哲学に好かれた理由は12歳で骨肉腫を発病し、治療、人工関節への置換手術を通して感じた身体感覚に起因するところが大きいだろう。
幻肢痛の当事者になった今、このエッセイに「無いものの存在」というタイトルを付けたのも、メルロ=ポンティの名を聞いてどこか納得してくれる人もいるかもしれない。(と、言いつつこれは哲学の論文ではないので、見えようが見えまいが、どんな「存在」にも固執せず書いていこうと思う。)

わざわざメルロ=ポンティの名を出したりしたのは、幻肢痛への関心を振り返るためでもあるが、もうひとつは、アートを含めた人文学的な知がいかに大切かを感じたからだった。
先日、松葉杖で仕事に出かけた時。駅でエレベーターを待っているといきなり40代くらいの女性に話しかけられた。女性はちょっとびっくりした表情をしながら「私は在宅介護に関わっているのですが、少しお話を聞かせてください」と言う。一本足で飄々と外に出ている僕の姿に興味を持ったらしかった。
たまたま乗る電車の方向も一緒だったので、どうして切断したのか、今辛いことはないのか、楽しいことは何かなど、色々質問に答えた。切断しても辛いことはないですよという回答に、やたら「前向きな人なんですね!」と感動してくれたのだった。出かけただけで感動してもらえたのだからこんな積みやすい徳もないなと思いつつ、あぁそうか、自分は前向きな人なのかとこそばゆい思いをした。
「前向き」という表現を否定はしないが、病気や切断に対しても柔軟に思考し続ける可能性を開いてくれたのは今まで出会った哲学や文学、音楽、演劇、美術など文化の存在があり、それはただ前を向かせるだけのものじゃない。前後左右でもなく、もっと複雑な次元へ連れて行ってくれる。今こうしてエッセイを書いていられるのも、様々な思考の技術と出会うことができたからだ。アートを「生きるための技術」と考えているのは、現在進行形の実体験とも深く結びついていることなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?