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[無いものの存在]_03:幻肢痛の当事者研究

2019年12月4日、術後1週間経って幻肢痛の痛みも増してきた。
今回は本日12月5日までの幻肢痛との付き合いかたの記録。

術後から12月1日まではベッド安静だったので、幻肢痛の緩和としてこんなことをベッド上で試してみていた。

①ノリツッコミ
自分の中で「いやぁー、右足首が痛くて。…って右足ないじゃん!」と唱えることで、切断されてるという情報を第三者目線で指摘することで右足が無いことを思い出させる。

②痛みのある空間を手ですくって捨てる
痛みを感じる辺り(実際には断端面から40〜50cmの空間)を手で払ったり、空間を手ですくってベッドの脇に捨てる。いわゆる痛いの痛いの飛んで行け方式。

これらは効果あるんだかないんだか、というかほぼなかった。①はたまーに、効いたか?みたいな瞬間はあったけど、たまたま痛みが引いただけ、もしくは気が紛れただけかも。

12月2日の朝にはドレーン(手術した患部から血を抜く管)等の管が抜けて車椅子移動が許可された。
ただし術後4〜5日経つと上記のような緩和実験を試す余裕がないくらい幻肢痛を常時感じるようになった。
常に足が痺れて怠い感覚が襲ってくるので、他の作業で気を紛らわしていないとベッドにいるのはつらい。車椅子で散歩をしたり日記を書いたりして気を紛らわせていた。
しかし、3日の晩は痛みで寝られず、翌朝から神経系の薬が処方された。

処方された薬は多少効き目があるのか夜は少し寝られたけど、症状自体を直すというよりも神経を落ち着かせる薬なので、幻肢痛がパッとなくなるわけじゃない。
いつか今ほどの痛みを感じなくなるのだと思う。なので現時点での幻肢痛についてできるだけ記録を残しておきたい。
術後1週間経って幻肢痛の発生場所やパターンがわかってきた。

【幻肢痛が発生する場所】

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前回も書いたが、僕の場合幻肢痛が発生するのは断端面(残った足の先)から40〜50cmのところ。
幻肢痛が発生する場所は足のラインに沿って真っ直ぐの場所で起こる。
間に物体があっても関係なく上記の距離の場所に痛みを感じる。

【幻肢は重力でしなった】 

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常に直線かと思ったけど、実は足の角度によって若干痛みを感じる空間の位置が変わっているということに気がついた。
ベッドに横になった状態で断端を90度近く上に向けると痛みの位置が少し下がる。

【幻肢痛のパターン】

①漠然型

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・これは術後早い段階から続いているもので、漠然と足首の辺りが痺れてる。
・何もしていないと常時この痺れがある。
・痛みよりも痺れてる感じ。
・断端面から40〜50cmのところに直径20cmくらいの痺れの塊があるイメージ。明確な足の形は感じられない。


②足裏型 

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・足の裏一面にジンジンと鈍痛がある。
・かなり明確に痛みの場所のイメージがあり、空間上に固定されている。
・足の裏が鉄板になったような感覚。
・突然痛み出して長いと15分くらい続いて自然に収まる。


③局所発火型

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・明確なイメージ上の足にバチンッ!と痛みが走る。例えば右足の薬指、かかと、土踏まずの辺りなど。
・全パターンの中で1番痛くて、残った足がビクンッとすることがあるくらい。でも痛いのは一瞬。
・1回発火して終わりじゃなくて、複数回連続することが多い。

【幻肢をコントロールすることは可能なのか】
痛みのパターンを考えながら思い出した話がある。
ドイツの生理学者ヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカーの著書『ゲシュタルトクライス』の中で書かれていた、シュナイダー症例というものだ。戦争で脳の一部にダメージを受けた兵士の名を付けられたこの症例は、運動を「抽象的運動」と「具体的運動」に分けている。
抽象的運動とは、「頭の上に左手を置きなさい」など支持された動作。具体的運動は蚊に刺された箇所に自然と手が行く動作のこと。
脳のある箇所にダメージを受けたシュナイダーさんは、抽象的運動を支持されると体全体をもぞもぞさせて、左手や頭がどこにあるのかを時間をかけて探しながらでないと達成できなかった。一方、具体的運動はすぐに身体が動いたそうだ。つまり空間の客観的な定位が分からなくなっている状態らしい。だからまず自分の身体のを動かして、各部位がどこに位置するのかをマッピングすることで、指示された部位を探し出すそうだ。(※記憶違いの箇所があるかもしれないので退院後本書を確認します)
幻肢痛のパターンを考えながらシュナイダー症例が頭に浮かんだ。
どのパターンにしても痛みが発生するエリアは残った足の延長線上ということは、足は真っ直ぐ生えているものだろうという客観的な事実かつ主観的な空間把握の中でかなり限定されている。足裏型、局所発火型は痛みが走れば蚊に刺された時のように痛い場所へ手を運ぶこともできる。ということはやっぱり本人の空間把握によって場所が決定している。
痛みの発生する位置や、重力でしなることを考えると把握している空間は元々付いていた四肢の感覚に依存している。一方で痛む場所までの間に物体があっても関係ないということは客観的な空間から受ける影響はほぼないということ。ただし、しなる場合はベッドに横になっている時だけだからこれは身体の客観的な定位と関係している。ってことは重力に影響されるなら、鉄棒とかにぶら下がったら幻肢はそのまま下に伸びるなんてことがあるのだろうか。

つまりは思い込み可能な環境を設定すればもしかしたらコントロールできるんじゃないだろうか。コントロールというか思い違い。
今のところ自発的に痛みを飛ばそうとしてもまったく効果はない。
例えば数十メートル先に痛みを移動させたり、もっとふわふわと痛みのエリアを分散させたり。

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今回のパターンの考察などは、北海道で活動する「べてるの家」の当事者研究を参考にしている。(なので今現在は専門的な書籍や論文はほぼ目を通さない、むやみに引用しないで書いている。)
当事者研究とは疾患の当事者が自分の変化を研究するというもの。実は僕が企画で関わるプロジェクトでも「べてるの家」のかたをお招きして当事者研究の発表をしてもらったりしたことがあった。
いわゆる統合失調症と呼ばれる人たちは、幻肢痛のように、自己の知覚が肉体の存在から極端に収縮したり拡張されたりすることで、本当なら知覚できないようば場所の出来事を認識してしまっているのではないだろうか。
実は以前、僕がリサーチする精神科病院の医師が幻肢痛と統合失調症には類似性があるのではという話をしてくれたことがある。それはまた改めてここに書こうと思う。

幻肢痛ってなんだかロマンティクな比喩に使われる気もするけど、実際はまぁ確かに痛いし、個人差はあれどこれが何年も続くとか辛いだろう。
でも、幻肢痛の場所が延長できたらどうなるのだろうか。認識の延長。
遠くの人を思いやる。存在感を消す。隣人を愛せ。渋谷は俺の庭。こういう所作も認識の延長のひとつなんじゃなかとかも考える。

なんかこう、ロケットパンチ的に幻肢が突然飛んで行ったりしないかな。

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