[無いものの存在]_26:静かな山は聞こえない音に溢れいてた
今朝、思わぬことから自分の世界の認識が揺るがされる出来事があった。
今、谷戸と呼ばれる地域に住んでいる。
ぐるっと見渡すと大体4分の3は山の景色で、とても居心地が良い場所だ。
僕は家の前に広がる森の景色が大好きで、天気が良い日は庭にテーブルを出してデスクワークをしていた。
たまに鳥の声が聞こえたり、目の前の木にリスが見えたり、穏やかな景色だなと、ここに越してきてから約4ヶ月ずっとそう思っていた。
ところが、今朝、同居しているパートナーの「セミが鳴き出したね」という一言を皮切りに自分が見ていた森の印象が一変した。
セミの鳴いている音が聞こえない。
僕は12歳で骨肉腫になった時に投与されていた抗がん剤の副作用で高音が聞こえなくなっている。
例えば体温計や腕時計のアラームのピピピという電子音などがまったく聞こえない。さらにスズムシの鳴き声もほぼ聞き取れない。微かに鳴っているかも?という半信半疑な感覚があるかどうかという程度だ。
特にこれまでは日常生活で困ることはなかったし、たまに人に話すとちょっと驚かれるネタくらいにしかなっていなかった。
今朝も「あ、高音聞こえないんだ」で話が済むと思っていた。
すると「え、じゃあ今鳴いた鳥の声は?」「聞こえない・・・」「え、こっちの虫の声は?」「聞こえない・・・」
「ここ虫も鳥もめちゃくちゃ鳴いてるよ!」
僕は毎朝静かな森の中でカーテンから漏れる光で目を覚ましていると思っていたら、四方八方から鳥や虫が鳴いている中で暮らしてたらしい。
僕が聞き取れている鳥の声はカラスとウグイスなどわずかな種類。一方絶対音感を持つパートナーの耳にはもっと多くの鳥や虫の声が聞こえていたのだった。
窓を開けて二人で耳を澄ましながら、聞こえていない声がたくさんあることを初めて教えてもらった。
そういえば以前、風が強い日に、風から聞こえる音を擬音化したらどんな言葉かという話をしていた時も、パートナーは繊細な響きの音をいくつも出してきたが、僕は「ケゾォォォォォオ」としか聞こえなかった。
高音が聞き取れなくなってからたぶん20年ほどの間に、実は自分が知らなかった世界が隣り合わせに存在していた気がして、少し怖くなった。
活気に溢れた森の中を歩いても僕にとっては静かな森としてしか存在しないという、世界が重層化しているようなブレ。
ここでも「無いものの存在」という言葉を反芻する。
音の聞こえない鳥や虫は、僕にとっては目撃するまで存在することが無いのだ。
それはもうほぼカッパである。
足を切断したことよりも、聞こえない音があるということが僕にとっては心がざわざわする出来事だった。
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