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[無いものの存在]_33:『義足の発芽』①義足を内在化する

一歩ずつ進んでいる義足づくりについても記録を残しておこうと思います。
以前から義足づくりのことは一連の流れを書き始めようと思っていたのだけれど、どこから書こうか迷っている点もあり、なかなか書き出せなかったのでした。

まず、今回の義足のコンセプトは、義足自体が喜んで歩けるよなものを作りたい、そしてそれを身に着ける僕自身も気持ちよく乗れる義足が作りたいという思いからでした。
僕が雪が積もる地域で暮らしていたり、歩く頻度や生活リズムが今の環境と違ったら、きっと今の義足のパーツを選んでいなかったと思います。だから、義足が置かれた環境と調和するような本義足を作ろうと考えました。
これから書き残していくこの一連の義足づくりを『義足の発芽』と名付けようと思います。
特に名前はなかったのですが、昨年海外のあるプロジェクトで僕の義足づくりについて発表する際に≪The Germination of A Prosthetic Leg ≫と呼んだことから、日本語訳をタイトルにしてみました。

そのコンセプトを実現するために、切断した右足の遺灰や義足が踏む土地の大地で育った植物を使って本義足のソケットに張り合わせる布の制作が進んでいます。これはパートナーと育てた藍を使って染色をした布、右足の遺灰を芭蕉紙と顔料を組み合わせることで、自分の体と義足が接する環境が循環する、というものでした。
これについては少し前のnoteでも書いてきたのですが、このコンセプトをより自身の体と結びつけ、循環を強化するための身体の変化が2020年にありました。

実は、生まれて初めてタトゥーを入れました。

今の義足づくりとタトゥーは自分の中では大切な繋がりがあるものです。
でも、自分と義足との関係性における経験であり、簡単に人に見えるような場所に入れたわけではないから胸にしまっておきたいという思いがありました。そして仕事柄様々な方と接するので、この経験を話すことで影響があるのではないかという心配もあったのは正直なところです。
でも、僕のタトゥーを彫ってくれたアーティストたちと接しているときに、彼らの存在についても知ってもらいたいと思い、迷っていた義足づくりについての記録のスタートは、タトゥーから始めることにしました。

僕が最初にタトゥー入れたのは切断して義足のリハビリ後、仕事に復帰してすぐのことです。元々興味もあったし、周囲にタトゥーを入れている友人知人もいたので抵抗はなかったけれども、なかなか入れる機会がありませんでした。それが2019年夏に出会ったタトゥーアーティストの作品がとても好きだったのと、足を切断した時にふと「あ、今かも」と思い立ち、アーティスに連絡をしました。

初めに入れたのは背中にワンポイント。
自分の干支が蛇であることと、そんな蛇が巻かれているアスクレピオスの杖が医療のシンボルであることから、モチーフを考えました。すでに幻肢痛や義足のリハビリを通してセルフケアの技術開発をしていると思っていたので、自分で自分をケアするという意気込みでファーストタトゥーを彫りました。これは本当に個人的な思いの中で完結しているので、写真は載せませんが、蛇といってもめちゃくちゃカラフルでかわいい図案です。
初めてのタトゥーを入れてみて思ったのは、心理的にすごく安心するようになったということです。それは自分で見えない位置に入れたということと、医療のシンボルであるアスクレピオスの杖をモチーフに選んだということからでしょうか。いつもどこかにお気に入りの洋服を身に着けているような心地良さがあり、「あ、あれが今日も体に触れているんだ」と思える安心感です。そして何か自分について考え事をするときに、一つのセーブポイントになっているような感覚もあります。切断という経験について実際に足が無くなったという現実をもう少し抽象化して心に留めておくような、大好きな本の1ページをパッと一回で開けるような、自分の思考を見失わない目印のような存在となりました。

ファーストタトゥーを入れてくれたのはame security blanketさんというアーティスです。ameさんに彫ってもらっている時に彼のパートナーのfumijoeさんと出会い、いつかfumiさんにも入れてもらいたいなと思っていました。でも、切断を機に入れたのは特別なことで、そんなすぐに入れるつもりはなかったのですが、『義足の発芽』を進めていく時に、このコンセプトの循環がもっと自分の体と交差しないかなと考えるようになりました。
そこで、コンセプト自体を、まるで設計図のように体にタトゥーで刻もうと思ったのです。義足が身体拡張のアタッチメントではなく、義足を積極的に内在化するような実験です。

義足づくりのことをfumiさんに連絡して、「育てた藍」「畑を耕す鍬」「義足」「義足で踏む大地(山)」をモチーフにコンセプトを図案化してくれませんかと依頼しました。これらのモチーフを「藍と鍬」「義足と大地」にまとめて両腕の内側に入れたのです。

そして実際に完成したタトゥーがこちら。

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左腕(写真上)には象形文字のような藍の葉と畑を耕す鍬を、右腕(写真下)には義足(グラデーションは幻肢も思い起こされます)と義足で踏む大地のイメージが溶け合ってデザインされました。それぞれの腕には藍染のような青も添えてもらっています。(ちなみにこの時着ている服も藍染で染めたものです)

今回タトゥーを彫ってくれたame security blanketさん、fumijoeさんのご夫婦は本当に優しいアーティストで、ただタトゥーを入れてもらうだけじゃなくて、色々な話を聞かせてくれました。
印象的だったことは、四肢の切断や乳がんで乳房を切除した時にタトゥーを入れる人がいるということでした。僕は切断をネガティブな欠損とは思っていないけれども、タトゥーを入れようと思ったのはどこかで身体のバランスを取ろうと思ったからかもしれません。亡くなった身体をタトゥーというシンボルで補完する、肉体の質量ではなくてイメージで身体の総量を調整する、確かにそんな効果があるような気がします。
もうひとつ心に残っているのは、タトゥーを入れた僕が障害者という社会的なマイノリティであるのと同じように、タトゥーアーティスやタトゥーを入れている人が置かれる状況の話でした。タトゥーへの偏見や実際の社会的な状況を書くには僕には知らない事がたくさんあるけれど、僕にとってはお二人は切断の手術をしてくれた医師や、義足を作ってくれている義肢装具士と同じように、僕の体を支えてくれている大切な人たちです。タトゥーについてはそれぞれの考えがあると思うけれど、僕にとっては右足の切断がネガティブでなかったように、タトゥーも前向きな身体の変化でした。
ameさんとfumiさんのタトゥーは、『義足の発芽』の大切な土壌となって僕の体と心を支えてくれています。まさにsecurity blanket!

僕の義足づくりは、半ば行き当たりばったりでも、ちゃんと自分にとって必然的な方向へ進んでいる実感があります。ひとつ作るごとに新しい課題が見つかり、また別の人が解決へ導いてくれたり。様々な人に助けられて『義足の発芽』がゆっくり進行中です。

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