政体篇 第一章 弓の心の教え

貞観年間(西暦627〜649)の初め、太宗は蕭瑀に向かって言った。
「私は、若い頃から弓矢を好んだ。自分でも、その奥義を極めたと思っていた。ところが、近頃、良弓十数張を手に入れ、それを弓の工匠に見せたところ、工匠は『どれも良材ではございません』と言う。私がその訳を問うと、工匠は『木の心がまっすぐでなければ、木目に乱れが生じます。どんなに強い弓でも、それでは矢はまっすぐには飛びません。だから、これは良弓ではありません』と言った。
それを聞いて、私は初めて悟った。私は弓矢を用いて四方の敵を平定した。それなのに、弓の道理というものがわかっていなかったのだ。ましてや、私が天子になって日が浅いのであるから、政治の心がけを掴むには、弓を用いた経験には全く及ばない。弓でさえも道理を掴んでいなかったのであるから、ましてや政治は尚更のことである」

それからというもの、太宗は、都の官僚で五品以上の官位にある者に詔を下して、交替で禁中に宿直させ、召し出しては側に座を与えて語り合い、宮廷の外のことを尋ね、人民の利害と政治の得失を知ろうと努めたのであった。


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