政体篇 第五章 隋の文帝の政治

貞観四年(西暦630)、太宗は蕭瑀に質問した。
「隋の初代皇帝文帝は、どのような君主だろうか」

蕭瑀は答えた。
「文帝は、私利に打ち克ち天の理にたち返り、努めて政治を思い、ひとたび朝廷に坐せば、陽が傾く時刻になる事もありました。五品以上の官位の者を、自分の席に招いて政治について論じ、宮中に宿衛する者は、調理済みの食事を立ったままで食べていました。だから、文帝の性格は慈悲深く知恵があるという訳ではないにしても、それでも政治に励んだ皇帝でありました」

それに対して、太宗は言った。
「そなたは一を知って、二を知らないのだ。文帝という人は、性質は細かいところまで気にかけるが、心は明るくない。そもそも心が暗ければ、照らそうとしても通じないことがあり、性質が細かければ物事を疑う事も多い。彼は、前王朝北周の皇后と幼い皇帝を欺いて禅譲を受け、天子の位に就いたので、いつも臣下たちが自分に服従しないのではないかと恐れ、官僚たちを信用しようとせず、事あるごとに自分で決断を下したのである。だから、いくら精神と肉体を疲労させても、すべての道理に適うという訳には行かなかった。朝廷の臣下たちは彼の心を知っていたので、あえて直言しようとはしなかった。宰相以下は、ただ文帝の命令に従うだけだったのだ。
私の目指す政治はそうではない。考えてみれば、天下は広く四海の民は多いのであるから、あらゆる物事にわたって、臨機応変に対応しなければならない。すべて官僚たちの協議に任せ、宰相が政策を立てて、それが妥当なものであれば、上奏して施行すべきである。一日に数多く生じる案件を、どうして一人の考えだけで捌ききれるであろうか。その上、一日に十の案件を決裁すれば、そのうち五件は道理に当たらないであろう。当たったものは大変良いが、当たらなかったものはどうすればいいのか。月日を重ねて何年も経つと、道理に合わない政策がどんどん積み重なっていき、それでは国の滅亡以外に何を待つというのか。何事も賢い官僚に任せて、皇帝は高所よりじっと観察しているのが、もっとも良いであろう。規則さえ厳粛にしていれば、誰があえて非をなすであろう」

そこで諸官署に命じて、詔勅を頒布しても、理に合わないものがあったならば、必ず自分の意見を上奏し、皇帝の考えどおりにすぐに施行してはならないことにして、努めて臣下の意を尽くさせるようにした。

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