政体篇 第二章 詔勅起草の心得

貞観元年(西暦627)に、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に向かって言った。
「中書省の起草する詔勅には、意見の一致しないものが多い。誤りを含んでいるものがあっても、互いに正しくない判断で直しあっている。そもそも、中書省と門下省を設置したのは、もとより誤りを防止し合うことを狙ったからである。人の意見は、いつでも一致しないものである。それを是としたり非としたりするのは、本来は公の職務のためである。それなのに、ある者は自分の意見の欠点を隠し、それに対する批判を嫌がったり、賛成か反対か議論すると、それに恨みを抱いたりする。また、ある者は個人的に仲が悪くなることを避けようとしたり、相手の面目を潰さないようにと思って、その政策の非なることを知りながら、そのまますぐに施行してしまう。
これでは、一官僚の気持ちに逆らうことを憚って、たちまち天下万民の大きな弊害を招くことになる。これこそ、国を滅亡させる政治である。汝らは、そうならないように特に気をつけねばならない。
隋の時代、都や地方の多くの官僚は、どっちつかずの態度をとって亡国の大乱を招いたが、多くの人はこの道理を深く考えなかった。当時の人は皆、災いは自分の身には及ばないと思って、面と向かっては賛成し、陰では誹謗して、あの混乱が起こることを想定していなかった。後に、ひとたび大反乱が起こり、家も国も滅びる段階になって、わずかに逃げ延びた者たちも、たとえ刑罰に遭わなかったとしても、皆、辛苦の末にようやく逃れたのであり、世間からはひどく貶され排斥されたのだ。
汝らは、特に私心を滅して公事に従い、固く正しい道を守り、何事も互いに隠す事なく意見を言い合い、上の者も下の者も決して雷同しないように」


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