自分らしさと責任はセット
オンライン家庭教師マナリンクの徃西です。
ここ最近寝る前に近所の神社に我が家の猫(小鉄)と散歩も兼ねて参拝しています。
ショルダーバッグみたいなのに入れて散歩するんですが最近慣れてきた様子。
いくつか参拝時にお願い事をするのですが、そのうちの1つに「明日も自分らしく働けますように」とお願いをしています。
そこでなぜこんなことをお願いするようになったのかと「自分らしいとはなにか」を少しnoteで書いてみようと思います。
自分らしいとは自分に嘘をつかないこと
そんなこと分かってるわ!と言われそうですが実際問題、毎日仕事をしていて生活をしていて100%やりきれているかと聞くと意外と出来てなかったりしないですか。自分は出来てなかった気がします。
なんでこんなことを意識して、なんなら毎晩お願いにも入れているのかというと、自分に言い訳できる余地を作らないことに尽きると思っています。
人間は弱くなると急にズルい方向に走りがちです。
失敗する、顧客に迷惑を掛ける瞬間などにこれは誰の責任だ?と。
そんなときに「俺は本当はこっちのほうが良いと思ってたのに」と言うのって一番ダサいしやってはいけないこと。どんな立場でも。
自分らしく仕事をする、自分に嘘をつかない、だから失敗しても自分の責任。100%自分の責任である。言い訳の余地は無い。という状態を最初から作っておくことが大切。
例えば、時間を掛けたが結論がまとまらない会議。
出席者が多い会議であればあるほど、意見って結局ぐちゃぐちゃして生産性が悪いし発言の責任が明確じゃなく雰囲気で決まるので、そういったディスカッション自体があまり好きではないっていうのもあるかもしれません。
ディスカッション自体が意味がないというわけではなく、答えが誰もわからないものを決めるときは基本的にはえいやーで決め、責任も自分にあるというのが自分らしいなと最近思っている感じです。(方針が決まったあとのものを更に良くするディスカッションはあるべきです。ただ誰も答えを知らないときは責任を明確にする代わりにえいやーで決めるほうが自分らしい。)
弊社のような小さな会社は失敗したらえらいことです。
だから失敗したくないし失敗しないように色々考えるのですがやっぱり失敗するときは失敗します。
そのときに反省する深さというか、そこからまたより良いものにするには、これはいける!!間違いない!と100%感じ、挑んで失敗したほうがまだ良いです。そのほうが自分がズタボロになるので反省からの改善もうまくいくような気がします。中途半端な共感、判断、実行は何も生まないと思っています。
複数人、組織全員が上記のような人間だと会議が白熱します(議論になります)うちでもありますが、こういうときは、これで失敗したら自分の責任だからやる、やらせてくれとセットで決めることが大切。
なんだか後半から責任箇所を明確にするという話になってしまいましたが、自分らしくする、自分に嘘をつかないということは聞こえは良いですが責任もセットで無いと意味がないですよね。こういうヒリヒリを毎日味わいながら今週も頑張っていきたいと思います!
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