国立西洋美術館「モネ 睡蓮のとき」展より
モネの睡蓮とは、二十数年前に新婚旅行でパリへ行った際にオランジュリー美術館を訪問し、モネの「睡蓮の池」シリーズのいくつかの作品に出合ったのが最大の触れ合いでした。同じ池の同じ睡蓮を描いた絵ですが、異なる時間帯や季節を描いた作品があり、光の加減と色調の違いを楽しむことが出来たと記憶しています。中でも、モネの「睡蓮の間」は、彼の代表作の一つで、壮大な作品でした。「睡蓮の間」には、8つの大きなパネルが展示されており、これらのパネルは壁一面を覆うように配置されています。全長数十メートルにも及ぶこれらの作品は、観る者を包み込むような壮大なスケール感を持っています。そのスケールは、観る者はまるでモネの庭園にいるかのような没入感を味わうことができます。作品全体が一つの大きな風景画のように感じられたのを覚えています。
今回、2024年10月5日から開催中の国立西洋美術館で開催されている「モネ 睡蓮のとき」展へ行き、モネの睡蓮に再会して来たので、その感想を述べさせて頂きます。展覧会は盛況ですが、12月初旬に訪れた際には、10時半頃の到着でしたが、入場までに15分程度並ぶことが必要でした。この展覧会では、モネが晩年に描いた「睡蓮」シリーズを含む60点超の作品が展示されていました。
展示会では、5章の分類建てで展示会場が構成されています。まず、第一章では、モネ50歳後半に主要なモティーフとなったセーヌ河の風景の絵を中心に展示されています。水面が大きな画面を占める画風が確立して来ており、水面が作り出す鏡像に主眼が置かれ、後に集中する一連の睡蓮の画風を予見させます。画面は、薄い暖系の色調で、ピンク調と言っても良いと思います。しかしながら、筆のタッチは、あまり強調されていない書き方を取っており、後半の作品に比較して、おとなしい画風であると感じられました。第三章での睡蓮の作品を下記の写真で示させて頂きますが、上で述べさせて頂いた、筆のタッチと画調の印象を物語っています。
モネはセーヌ川近くに終の棲家を購入し、セーヌ河の支流から水を引いて睡蓮の池を造成したということです。この“水の庭”が初めて作品のモティーフとして取り上げられたのは、それから2年後のことだそうです。その後、池の拡張も行い、彼のまなざしは急速にその水面へ注がれ、周囲の実景の描写が薄れ、水面とそこに映し出される映り込み像、そして光と空気が織りなす効果のみが表現される様になってきています。この睡蓮の池こそが、晩年のモネにとって最大の創造の源となった様です。今回の展示会では、睡蓮の作品が、大装飾画への道として9点展示されていますが、ここには私の良く知る睡蓮が展示されていました。筆のタッチを重視した描写と水面の青色を基調とした画調は、心の休まるものだと感じされました。フランスでは、19世紀末から装飾画の制作が、一つのムーブメントとなっておりモネもその流れの中で、装飾画の作成を手掛けたことで大きなキャンバスの睡蓮が作成された様です。
今回の展示会で驚いたのは、青色基調の絵ばかりでなく、例えば「黄色いアイリス」では、鮮やかな黄色を使い、「藤」では、三原色をキャンバスに意欲的に配置して豪華な画調を生み出していることです。また、晩年にはなりますが、「日本の橋」の連作や「ばらの庭から見た家」の連作では、青ではなく赤の色調で画面が構成されていたことは、誠に驚きでした。睡蓮だけでなく、こちらも一見の価値があると思われます。上の睡蓮の二つの作品でも花が綺麗に描かれています。
晩年は、本人が白内障を患うとともに最愛の妻の死という大きな試練を経て、自ら睡蓮の池の庭を花々で飾り、また、日本の太鼓橋をモティーフとした橋まで設け、思い通りに完成させた庭を題材に装飾画の作成に取り組んだようです。勝手な理解ですが、白内障の影響か、その筆のタッチは大胆に、また、一筆毎の色調の変化も大きくなり、より印象的な画面構成となって行った感じをうけました。加えて、画面には、絵の具が塗られていない下地のキャンバスが見えている場所も増えて来ており、これがまた、印象深いものと感じられました。
オランジュリー美術館の「大装飾画」は、睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁面を覆うという、モネが長年にわたり追い求めた装飾画だそうです。私も、当時、現物を拝見させて頂き、深い感銘を受けました。この記念碑的な壁画の制作に並行して、70代のモネは驚嘆すべきエネルギーでもって、水面に映し出される木々や雲の反映をモティーフとするおびただしい数の作品群を生み出したとされています。最終目的である大装飾画は、その画面の大きさで驚異的です。この時期のモネの睡蓮は、長辺が2メートルにおよび、それまでの絵に比べると、面積にして4倍を超えました。
1918年、第一次世界大戦が終結した際、モネはフランス政府に「睡蓮」の大装飾画を寄贈することを決意したとされています。彼はこの作品を平和の象徴として捧げたということです。オランジェリー美術館は、モネの「睡蓮」を展示するために既存の建物を改装し、自然光が差し込むように設計された展示室として改装され、モネが亡くなった翌年の1927年、正式に開館し、「睡蓮」の大装飾画が公開されたということです。今回の展示でも、最後の展示作品として、大きな「睡蓮」の作品が展示されていました。
戦勝記念として寄贈された装飾画がもう一作あり、その画面に描かれた枝垂れ柳の木は、涙を流すかのような姿から、悲しみや服喪を象徴するモティーフでもありました。モネがこの装飾画の構想において当初から意図していたのは、始まりも終わりもない無限の水の広がりに鑑賞者が包まれ、安らかに瞑想することができる空間だとされています。今回の展示会で上の大きな睡蓮と並んで「枝垂れ柳と睡蓮の池」が展示されていましたが、ちょっと暗い色調と、細く鉛直に描かれた細い柳の葉が、垂れ下がった形で描かれた画調は、少し不気味でもあり、寄贈された作品の一端が感じられました。実際のこの作品では無いのですが、柳を描いた作品の写真を下に示します。
クロード・モネの一連の作品からは、これまでの印象では、明るめの青の色調の印象でしたが、黄色、赤、暗めと多種の作品があったことを改めて理解出来ました。また、これらの画調を生み出したものが、彼の人生の裏付けや、社会情勢の影響を受けて、変化していたのではないかと感じた次第です。今回の展示会で、これらの絵に触れられたことに感謝いたします。