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享年100歳。


26日金曜日

柔術クラスが終わって携帯を見たら
めったにこない両親からの着信とメールがあり
(あ、おばあちゃん、亡くなったんだ)
と、わかった。



ジムを出て母に電話をした。

母はとても弱い人なのに
近くに人がいたのか
高い声で気丈に振る舞っているようだった。
でも話し方にトゲがあり早口で
母の動揺が伝わってきた。
気持ちはわかるが、
こんな時くらい強がらなくてもいいのに。


朝方、祖母が息を引き取った事と、

お葬式の準備が忙しくて
子供たち連れて今帰ってこられても困るから、
お通夜とお葬式の予定が決まったらまた連絡すると、言っていた。

私もちゃんと聞いていたはずなのに
頭が真っ白で
あまり母との電話の内容を覚えていなかった。



祖母は6月で100歳になるはずだった。

あともう少しで100歳だったのにね。


何年も認知症だったし
いつどうなるかわからない事はわかっていて
覚悟していたつもりだけど
実際に祖母が亡くなった事がショックで
母との電話を切った後、泣きながら家に帰った。






子供が出来なかった祖母と祖父のところに
母は0歳の時に、養子で引き取られた。

母はその事実を高校3年生まで知らず
進路の相談をしている時に
学校の先生から言われたそうで、
母はとても心が弱く純粋なので
かなりのダメージだったと思う。


私も、その事実を知ったのは高校3年生のとき。
祖母と私は血が繋がっていない事を母から聞いた。

衝撃だったけど、
色々と違和感を感じていたから、
すんなり受け入れられた。




祖母は兄の方を大事にしていた。

長男だからだ。

私は、よく怒られていた記憶ばかりだ。


幼少期から自立心の強かった私は
あれこれ口を出してくる祖母の事が、
好きではなくなった。

お小遣いをくれる時だけは嬉しかったけど
兄の方が多いし
兄の方が可愛がられていて、つまらなかった。


何をした時かわからないけど、
祖母にビンタをされた事があった。



親にも殴られたことがないのにビックリして、
隠れて泣いた。



思春期は悪さばかりして
不良と付き合ったり
友達の家に泊まって家に帰らなかったりして
【みっともない!】
と、怒られて呆れられていた。

派手な服を着て派手な化粧をしていたから
【田舎でそんな格好をするな!ご近所さんが見るだろ恥ずかしい!!】
と、よく怒鳴られていた。


祖母にとっては
本当にどうしようもなく恥ずかしい
出来の悪い孫だったと思う。






18歳で東京に出て、
たまに家に帰ると

帰り際に少しお金をくれた。


会う度に祖母がどんどん小さくなって

白髪とシワが増えていった。



帰省する前に
おばあちゃんの好きなクジラのベーコンを見つけたら、買って帰っていた。



訳あって、短大を1年でやめた。

祖母は、もう、私を怒らなかった。




妊娠中に離婚して、
一時的に実家に逃げさせてもらった。

あまり子供を産むことに
賛成してくれてはいなかったようだった。



でも娘が産まれて
退院して家に娘と帰ったら

娘を見た時のおばあちゃんの顔が
キラキラ輝いていた。

今まで見た事のない、笑顔だった。


【ほれ、抱っこさせてみろ】

【かわいい、かわいい、】


娘をずっと抱っこしていた。



娘が、
なんだか距離感のある私たちをひとつにまとめてくれて
家族らしくなった。




暇さえあれば
ずっと寝ている娘の顔を覗き込んで眺めていた。


でも、手を洗わないで触ったりするから
近寄らないでよ!と、怒っていた。


寝ているのに声をかけるから
声をかけるな!!!と、怒っていた。


深夜、なかなか母乳が出なくて悩んでいるのに
(お腹すいて可哀想に、、)と言われ
声をかけないで!なにもわからないくせに!
と、怒っていた。


今度は、私が祖母を怒る側になっていた。


私は産後なのでとてもピリピリしていた。

人に頼る事が苦手だし、
父親のいない娘を、
絶対に私が幸せにしなければいけなかったから。




シングルマザーなので産後数ヶ月で働きにでて
娘を保育園に預けた。


祖母は寂しそうだった。




娘も1歳が過ぎた。



夜泣きが酷い子だったけど、
だいぶ深呼吸して子育て出来るようになってきて
祖母にも優しくできるようになってきた。



私が実家から出ることになって、
祖母は娘と離れる事を
とても寂しがっていた。


娘と離れて、
祖母の認知症がひどく進んでしまったと思う。



心配だったから
たまに帰って、娘を見せにいった。


そのうち、私の事を忘れるようになった。

【だれですか?】



そのうち、娘の事も忘れた。


【おじょうちゃん可愛いねぇ。】



とてもショックだったけど
仕方がない事だから、受け入れるしかなかった。








コロナが大流行して

祖母に万が一でも移せないから
なかなか実家に帰れなくなった。


会えない3年の間に、
祖母はほとんど寝たきりになった。


それでもどうしても娘を会わせたかったけど

「連れてきてもおばあちゃんはわからないし、コロナにかかっても困るし、転んでも困るし、大変だから来なくていいよ」
と、母に断られていた。

介護をしている母に迷惑をかけられないので
実家に行けなかった。

もっとたくさんヘルパーさんに頼めばいいのに
母は、デイサービスをたまにしか使わなかった。

血の繋がりのない自分を育ててくれた祖母への
恩返しだったんだと思う。


祖母は神経質で人見知りで
施設に入るのを嫌がっていたから。






うちの家族はとてもいびつで、
仲良くはない。
みんな、不器用で
家族だけど、愛し合い方がわからない。






5月30日土曜日


お通夜。


享年100歳だった。
おばあちゃん、おめでとう。



変わり果てた祖母を姿を見ることが怖かった。


死を受け入れたくなかった。




顔を見た瞬間、
血の気のない肌の色を見て
体が固まった。


祖母だけど祖母じゃない。

祖母によく似た人形みたいだった。


お化粧をしてもらっていて
顔もちゃんと立体的にしてもらっていて
とても綺麗だった。

生前は歯がほとんど抜けて
背骨が90度近く曲がっていて
深いシワだらけで顔色が悪かったから、、
死んだ今の方が綺麗だよなんて冗談をおばあちゃんに言ったら、怒られるだろうな。


当たり前だけど動かなくて
魂が抜けて体だけになって
生きることも死ぬことも、不思議だなと思った。


ただ1つわかるのは、
魂が抜けたら
身体という入れ物だけしか残らないということ。

どんなに辛くても、
自ら死ぬ事は選択しないように
生きたいと思った。




みんなで顔を見て
みんなで身体に布をかけた。


おばあちゃん、
みんながいてくれて寂しくないねって
安心して、泣けてきた。


「死」ってもっと怖いイメージだったから
少しだけ「死」のイメージが変わった。
娘もいて、孫もいて、曾孫もいて、
親戚もいて、
とてもあたたかい空間だった。


お経を聴きながら
3歳の次女がゲラゲラ笑ってしまってとても困った。
でもきっと祖母は
可愛い可愛いって抱きしめていると、思った。


私はお経を聴きながら
祖母が畑から採ってきた白菜を丸ごと大きな蒸し器で蒸して
アツアツのまま醤油を回しかけて
一緒に食べていた事を思い出していた。
白菜がとっても甘くて美味しかった。



3時間だったけど
とっても疲れた。






5月31日 日曜日


お葬式


私は顔を見たことがあるくらいだけど
私のことをよく詳しい親戚の方々が話しかけてきた。
何を話していいかわからなかったけど、祖母と母のためにと思って頑張って世間話をした。




お世話になっていたデイサービスの方々が来てくれて
それまで気丈に振る舞っていた母が
ボロボロ泣いていた。



祖母がまだそこら辺にいるのか
もう空の上なのか
まだ肉体の中なのか
何も無くなるのか
死後の世界のことはわからない。


でもお葬式って
残された人間の為にあるんだろうなと、思った。

お葬式を行う事によって、
残された人間の心の整理ができる。


準備は大変だけど、
この時間は、必要だ。



祖母の体の周りにみんなでお花をいれた。
娘が、大きな綺麗なユリを
祖母の顔の近くに置いて
とても華やかだったし美しかった。


綺麗なお花に囲まれて
みんなに囲まれて、良かったね。





出棺するとき
「今までありがとうございました」
と、祖母の横で泣き崩れている母の姿を見て
胸がギュッと苦しくなった。

0歳から育ててくれた自分の親への想いや感謝の気持ちは、絶対届いてるよ。
ありがとうって言いたいのは、
きっと祖母の方だと思うよ。





最後のお別れをして

肉体が焼かれていった。


(意識だけは体に残っていて、おばあちゃんが痛がっていたり苦しかったらどうしよう)と、
有り得ないし、
考えても仕方がないことを考えていた。




祖母が骨だけになった。
まだ信じられなかった。


最初に顔だけ取り出して
骨壷に体の骨をいれてから
上に顔の骨を綺麗に整えてのせて蓋をされた。

骨になっても、
思いやりのある扱いをされるんだと安心した。





赤ちゃんという小さな個体で生まれて
また、最後は、
こんなに小さくなるんだな。と思った。








確信した。


血の繋がりがなくても、
不器用な形でも、
ちゃんと家族だった。

色んな形があって良いんだと思った。


祖母にたくさん謝りたい事ばかりだ。


おばあちゃんごめんなさい。


おばあちゃん孝行は全然出来なかったけど
娘を産んで
祖母を喜ばせることができて、
それだけは、良かったと思う。




私が生まれた時に、祖父は亡くなった。

破天荒な私を守ってくれているのは
祖父だと思っている。




34年間、長かったね、
やっと祖父に会えたね。



長生きしてくれてありがとう。



子供たちを見守ってて下さいね。




お母さんより先に死なないように
健康も気をつけないとね。

お母さんが悲しまないように
孫をたくさん連れて帰ってあげないとね。




さぁ、死ぬまで毎日、しっかり生きないとな。




(2023/05/31 )

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