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でき太くん三澤のひとりごと その125

◇ 教育、子育てとはまったく関係のないただの実話です
  その4


そういえば、S先生とFくんはどうなったのだろう。

自分の安全が確保されると、次第に他の人のことを考えることができる余裕が出てきました。

すっかり焚き火とウイスキーであたたかくなってきた私に、塾長が話をしてきました。

「S先生と、Fくんはどのあたりにいると思う?」

「ぼくとKくんより、かなり遅れていると思います。少し歩いては休み、歩いては休みしていたので、、、」

「そうか、、、君たちがついてから、もう30分以上はたっているよな。遅れているにしても、ちょっと心配だな、、、」

「そうですね、、、ぼくたちも自分のことが精一杯で。後ろのほうにいるS先生や、Fくんのことを心配している余裕はまったくありませんでした、、、ぼくらより、かなり遅れていると思います、、、」

「そうか、、、でも、、、S先生はこの山小屋までの道は知っているから、もうちょっとだけ待ってみることにするか」

そうして、30分くらいが過ぎたでしょうか。

まだ、山小屋に着かないS先生とFくん。

雨の勢いはおさまらず、まだ降り続いています。

さすがに心配になった塾長が、

「ちょっと下まで行ってみてくるぞ。おまえら、2人で大丈夫だな。Kは、おれがいない間にウイスキーのむなよ」と、

私たちの緊張を少しほぐすかのような冗談をちょっと会話に入れ、S先生たちを探しにいこうとしたそのとき、山小屋の扉が「ギィーーーーー」という音を鳴らして開いたのです。

そして、つぎに見えてきたのは、完全に生気を失って青白い顔をしたS先生と、そのあとをうつむきながらついてくるFくん。

まるで、遊園地のお化け屋敷のお化けのような、、、

びしょ濡れで、青白く、今にも倒れそうな不気味な感じ。

「うわ、、、マジ?」

「ゾンビ?」

「この2人、だいじょうぶ?」

2人は、山小屋に入ると、私たちとはほとんど何も会話もせず(おそらく会話する気力も体力も残っていなかったのでしょう)、おもむろにリュックの中に入っていた寝袋を出し、焚き火の一番近いところにその寝袋を広げました。

まるで何事もなかったかのように、淡々と。
そして2人して、ゆっくりと濡れた服を脱ぎ、「スッと」寝袋の中に入っていくのでした。

この間、全く会話はなし。

こちらの「大丈夫だったか、怪我はないか?」という問いも、

「だいじょうぶ、、、だいじょうぶ、、、」と、そっけのない返答で、返答すら辛いということが言葉から伝わってくるようでした。

2人は、寝袋に入って数分もしないうちに、ぐっすりと眠ってしまいました。

「いやーーー、いくら道を知っているとはいえ、この川のような山道を登ってくるのは相当しんどかったんじゃないですか。とくにFくんは部活もやってないし、体力もあまりある感じじゃないし、よく生きてここまできましたよね」と、私がいうと、Kくんも、

「そうだよね、本当によくきたよね。着くなりいきなりねちゃったけど、大丈夫ですかね、この2人」

「だいじょうぶだろ。これから朝まで焚き火が消えないようにするし、このあと身体があたたまるように、何かあたたかいものを作ろうと思うんだ」と、塾長。

「やったーーー!イエーーーイ!!」

「先生、何をつくるんですか?」

と、私たちが聞くと、

「ちょっとした野菜と、うどんを持ってきたから、これで煮込みうどんにでもするか!」

「いいですねーーあたたまりそうです!」と言った私でしたが、心の中では、なんでうどんなんだよ。関東人ならそばだろここは。病人でもないのにうどんなんか食えるか。

私が子どものころは、熱を出して学校を休んだときとか、具合が悪いとき、消化に良いように、くたくたになるまで煮込んだうどんを食べさせられていたので、私はうどんは大嫌いでした。

病気のときによく食べさせられた煮込まれてくたくたになった、スーパーの安売りのうどん。

今考えてみれば、これは母の愛情だったのですが、その当時の私にはそこまで母の想いを察することができないのでした。

「よーーし、作るぞーー!」といって、リュックからスーパーのレジ袋を取り出し、その中に入っている乱切りされたいくつかの野菜(たぶん、キャベツとかもやしだったと思います)を、3、4人分くらいのカレーが作れるような大きさの鍋に入れ、そのあと「トクトクトクー」と、少し大きな水筒から水を注ぎました。

おそらく塾長は、今回のプチ遭難事件がなければ、山小屋に着いたら、みんなで煮込みうどんを作り、先生たちはウィスキーをのみ、あたたかいものを囲みながら、勉強のこと、受験のこと、人生のことなどを語るつもりだったのでしょう。
塾長はそのための準備をして、ひとり重たいリュックを背負っていたのです。

野菜がヒタヒタになるまで水を注ぐと、その鍋をバーナーの上に置きました。

「へーーー、先生こういうの持っているんですね。すごいですね。こういうのを持っていると、なんか山のプロって感じがしますね」とKくんは言っていましたが、私は「プロは遭難しないだろ」と、心の中でひとりツッコミを入れるのでした。

だんだん煮えてきた野菜。

そろそろ味付けという段階になって、塾長が、「ない!ない!ない!ない!醤油がない!」

「えーーーーーー!!」

「それじゃ、味がしないじゃないですかーーーー!」と、私とKくん。

「すまん、、、おまえら、、、」

「でも、ちょっとまて。リュックの中に、何かあるかもしれない。このリュック、あまり片付けてないから、前の山に行ったときのもので何かが残っているかもしれない」と、しばらくゴソゴソとリュックの中をあさるのでした。

「なんか、ないか、なんかないかーーー」

「このポケットの中は、この下は、、、」

そうこうしていると、リュックの脇のほうから、「ツルツルツルーー」と、1パックずつ密封されたインスタント味噌汁が出てきました。

1パックがちょうど味噌汁1杯分になっているようで、それが5つか6つつながっているものがリュックから出てきました。

「おおおーーー!これで味がつくぞーーー!」

「醤油味にするつもりだったけど、みそでもいいよな、おまえら」

「はーーい、味があればなんでもいいですーーー!」と、Kくん。

「先生、それを使うのはいいんですけど、ちなみにそれ、賞味期限はいつまでですか?」と私が質問すると、

「えーーーと、賞味期限、賞味期限はと、、、」

「あら、、、去年までだな。でも、だいじょぶ、だいじょうぶ。味噌は腐らないから。しかも真空パックだし」

はぁーーーーーー? 何言ってんだこの塾長は。せっかく助かったのに、お腹こわしたら元も子もないじゃん。明日お尻押さえて山降りるのかよ。

すると塾長は、「賞味期限のことが気になるなら、三澤は食べなくても別にいいぞ」と、そっけない言い方。

そんな塾長の言葉に、私がちょっとすねた感じでいると、

「まったく、しょうがねーな。ちょっとおれが味見してみるからすねるな」

と言って、おもむろに1パック封を切り、味噌を指につけ、それを口に運んだ塾長。

すぐには飲み込まず、しばらく味噌を口に含んでいました。

「うん、やっぱりOK。問題ないね。腐ってないし、食える、食える」

「三澤、おれが子どものころはな、こんな賞味期限なんてものはなかったんだよ。食べ物が腐っているのか、いないのか。食えるのか、食えないのか。そういうのは、すべて自分の五感で判断していたんだよ。臭い、味、見た目、そういうったものを五感をフル稼働させて感じるんだ。もちろん、その感覚をミスって、お腹をこわしたこともあったけど、それもひとつの経験になって、腐っているもの、いないもの、食べられるもの、食べられないものを自分で判断できるようになるんだよ。おまえの場合、その判断基準が賞味期限なんだろうけど、こういう大切なことを自分で判断できないってのは、ちょっと不自由だよな。いつもだれかの基準で判断していて『自分』がない。おれは味見をして、これは間違いない、大丈夫と判断したけど、おれの感覚が信じられないなら、食べなくてもいいんだよ、別に。食べなかったからといってお前のことを責めることもないし。ただ、おれとK、S先生とFのうどんの量が増えるだけだけどな」

そう言ってから、塾長は5、6パックあった味噌の封を次々と開け、煮立った鍋に入れていくのでした。

私はそれを食べるのか、食べないのかの返答をしないまま、味噌味のうどんが出来上がるのを、ただ見つめているのでした。

焚き火のあかりと、簡易的なランプに照らされた薄暗い中で、ようやく仕上がった味噌味のうどん。
湯気を上げ、実においしそうな香りがする。

山道で体力を使い果たし、すっかりお腹が減った自分にはたまらない香り。

「S先生、Fくん、あたたかいうどんができたけど、食べるかい」と、塾長が聞いても、S先生とFくんは全く起きる気配がありません。

「おい、寝ているのかい?食べたら、さらにあったまるよ」

そういっても、S先生もFくんも無反応。

本当に疲れ切って寝ていたのです。

「じゃあ、K、一緒に食べるか!あたたまるぞーー!」

「はーーい、いただきますーー!先生、ぼくの大盛りにしてください!」

「オーケー!大盛りね!たくさん食え、K!」

といって、Kくんは自分の愛用の飯盒炊飯の容器を出し、うどんが手元にくるなり、いただきますも言わずに、わしわしとうどんを食べたのでした。

「う、うめーー!あたたまるーーー!」

さっきまではバテバテだったKくん。
ちょっと景気付けにアルコールはのんだけど、この回復力のはやさ。
そして、この食欲。

一方、体力、気力を完全に使い果たし、焚き火のそばでただひたすらに眠るだけのS先生とFくん。

食欲というものは、生きる力のバロメーターのようなところがある。
どんな状況でも、食欲があって「食えるやつ」は生き残って、食えないやつは生き残れない。

食欲はだれしもあって、日々感じるものだけど、それを厳しい環境下でも失わないこと。
それが生きていく上で大切なことなんだと、その当時の私は感じました。

Kくんみたいな人が、どんな環境でも生き抜くんだろうな。

そんなことに思いを馳せていると、塾長が、

「おい、三澤はどうする?食べるのか?賞味期限切れた味噌だけど」

いちいち余分な言葉を挟む大人だな、、、

「はい、食べます!腹減ったんで」

そうして、私も大盛りのうどんをわしわしと食べたのでした。

くたくたに煮込まれたうどんだけど、賞味期限が切れた味噌で味がついているけど、このときのうどんは本当においしかった。

腹が満たされると、次第に眠気に襲われました。

疲れ切った身体、そしてちょっとアルコールもまわっていることもあって、うどんをきれいに平らげたあと、私も塾長も、Kくんも深い眠りにつくのでした。

翌朝、山小屋の窓や、扉から朝日が差し込みました。
昨日の雨が嘘のように、すっかり空は晴れ渡り、清々しい天気。

ふと、まわりを見ると、S先生とFくんがいない。

あれ、どこに行ったのかなと思い、表に出てみると、S先生とFくんは朝日を見ながら歯を磨いていました。

「いやーー、気持ちのいい朝だね!昨日すぐに眠ったから、すっかり体力が回復したよ!」

「昨日、何か作ったようだけど、なんで起こしてくれなかったの?ぼくも食べたかったよ!」と、S先生。

「いや、塾長が何度も声かけてましたよ。それでも、S先生とFくんは反応なかったから、私と塾長とKくんとでみんな食べちゃいましたよ」

「あーー、そうだったんだ」

そんな会話をしていると、あとから塾長とKくんも起きてきました。

「いやーー、すっかりいい天気だな!」

「これから準備して、山頂に行って、最高の景色を拝むとするか!」

そういって塾長は、山小屋より少し上にある山頂を見つめ、自分もおもむろに歯磨きを始めるのでした。

このあと私たちは、昨日のプチ遭難のことにはあまりふれることもなく、山頂に登り、景色を見て、清々しい気持ちになり、ちょっと休憩をして、午後には帰路につきました。

この間に話したことといえば、とるに足らない世間ばなしや、学校のこと、友達のことなど。
ときには笑いながら、会話を楽しんでいました。

帰りは、不思議とあっという間に奥多摩駅についたような感じがしました。

5人での会話が楽しかったのか、5人とも助かったことがうれしかったのかはわかりませんが、行きよりもはるかに短い時間で着いたように思います。

このコラムの最初の方でもコメントしましたが、この塾は「現地集合、現地解散」が決まりですので、ここからは先生たちと別れて帰るのかなと思っていましたが、

「今回は生き死にを共有した仲間同志、一緒に帰ろう」と塾長。

「そうですね。みんなで一緒に帰りましょう」と、S先生。

奥多摩から電車に乗ってくる人は少なく、全員座ることができました。

座ると、ほどなくして、みんなうたた寝。
みんな、本当に疲れたのだと思います。

途中、新宿、四谷を通る際には、人がたくさん乗ってきて、

「うわ、きたな、、、」

という、私たちの泥だらけの服を揶揄する声も聞こえましたが、そんなことにはおかまいなしに、私たち5人は眠っていたのでした。
その当時の私は、その泥だらけの服が、むしろ誇らしかったのです。


このプチ遭難事件から、15年後。

生き死にを共有した仲間同志の塾長と私は、「でき太くんの算数クラブ」を立ち上げるのでした。

-- 終 --


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