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1人から始まる「政治」とは。沖縄県民所得の10倍に値する仕事について考える。

「国民の貴重な税金を使った布マスクの配布は不要です。医療従事者と医療現場を守るために使ってください」

政府から各家庭に2枚ずつ布マスクを配布するという支援策が報じられた直後、「首相官邸」のホームページの意見欄に初めてこんな投稿をした。大袈裟じゃなく、多くの人がこの決定に驚いていたと思う。新聞記者時代は、自分の問題意識を取材を通して確認しながら、記事の中で読者に問いかける機会があった。でも今はその立場にない。取材では1人の声を拾うことに時間を使ってきたのだから、外出自粛の自宅から1人の声を投稿してみようと思い立ってのことだった。

それから数日。発送を待つ布マスクの入った山積みの段ボールがテレビに映し出されたときには、2度目の衝撃を受けた。実行スピードが断トツ早かったからというだけではない。こんな施策にどんな経緯で実行ボタンが押されたのか、発送準備が整うまでになぜ誰にも止めることができなかったのか、不思議で不思議でたまらなかった。こんなことなら、私以外にも恐らく意見したであろう多くの「一市民」の声なんて、きっと、もっと届かないだろうと思った。

身近なものであるはずなのに、政治家の「政治」という仕事は、なぜかこれ程までに遠く感じる。国会議員にとっての税金は、国民の信託の証。2200万円にのぼる、世界最高水準ともいわれる国会議員の歳費(収入)は多様な国民の立場に立って、暮らしやすい、生きやすい社会の実現に動いてくれる方々への「業務委託料」だと思う。既存の社会システムの様々な不具合に目を凝らしながら、改善と改良に不断の努力を重ねるという複雑で難易度の高い仕事への「対価」。誰にでもできる仕事ではない。だから、立候補する方々に心から敬意を表する。

沖縄県の1人当たり県民所得と比べると10倍近い年収だけれど、暮らしが去年よりも今年、私の時代より子どもの時代により良くなっていく「成果」が実感できれば、決して高額な報酬だとは思わない。良くなる期待や希望が持てるだけでも成果に近い。県民所得の6倍近くを得ている県議会議員だって、県知事や市町村の議員だって同じだと思う。

こう書きながら、なんて回りくどい説明だろうと思うのだけれど、どうしたって、全く当たり前のことではない現実との対比になってしまう。「医療機関における初診からのオンライン診療」「対面・押印基本の行政手続きの簡素化」「オンライン授業の時数認定」などが、あっという間に実行検討の俎上に載せられた。ここが一番の障壁と言われた「ハンコ議連」の代表を務めるIT大臣からは「脱ハンコ」容認発言まで飛び出した。関連するかわからないけれど、この際、民法規定に「夫婦別姓」も入れてみたらすんなり通ったりして、と思ってしまう。

どれもこれも、長年規制緩和、ルール変更が求められてきた分野。業務スタイルの効率化がなかなか進まない日本社会の象徴。ペーパレス化やデジタル化など変革を阻んでいたものが、政治家の「決断力」と「実行力」だったことを改めて見せつけられると、心底がっかりさせられる。感染急拡大に伴う経済活動の停止がなければ、あと半世紀経っても変わらなかったのではないかと疑い始めると、国民、社会が払った代償のあまりの大きさに、政治の罪深さを思う。

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政治と暮らしの距離はこんな場面でも感じる。外出自粛で自宅にいる時間が増えたことで、リアルタイムに目にする機会が増えたのが国会中継。今日こそしっかり聞いてみよう!と意気込んでも、集中力が続かない。飛び交うヤジに、棒読み答弁、耐えられずにチャンネルチェンジしている。

記者時代には、沖縄県議会や那覇市議会に張り付いて、ニュースになりそうなネタが出てこないかレコーダーを回しながらじっくり聴き入った。終了後は発言した議員や役所幹部をつかまえ真意を尋ねた。わかりづらい表現、遠回しな表現からできるだけ修飾語を取り除いて、何が議論の本質か、自分で理解しないと読者に届けられないという重たい責任があったからだ。しかし、これは「一般的」ではない。もしかしたら、政治を「一般」から遠ざけて、あえて難しいものに変容させ、「聖域化」させてきたのではあるまいか?、なんて穿った見方。コロナ自粛のささくれ立った気持ちも相まって、モヤモヤが増幅されていく。

こんなことを考えながら、ぎゅうぎゅう詰めの議場を斜めに見ていて思い出した。「身を切る改革」「議員定数削減」という公約があったけど、いつまでに実行される約束だったかな?と検索。そうだ、削減どころかついこの間、国会議員を増やしたばかりだった…。こうして「改悪」という言葉の使い方を学ぶ。

経済活動の自由、個人の生き方の自由を確かに手にしていたとしても、私たちの暮らしや命は否応なく、この「特別な機関」に委ねられている側面があるということを肝に銘じなくてはいけないと、改めて思う。

国政や行政の場においても確実にデジタル化が進展する中で、国民になり代わって国政に意見を届ける議員の役割にも「再定義」が求めれるようになりそう。巷の会話やSNS、インターネットを通して様々な人々の意見に触れる方が現実味があるし、当事者として議論に参加できる場もオンラインならいくらでも作れる。一定のまとまった意見を政府に届ける手段もある。これだけの人数の代弁者を国会に送り出す意義はすでに、かなり薄まってきているように感じる。

「党利党略」に縛られた名ばかりの代弁者が、まとまった票を集めやすい一部の利益団体に偏った働き方を続けるならば、選挙制度の変更が実現する前に、日本の、そして私の暮らす沖縄でも格差社会の拡大はもっと加速して、貧しさからくる社会問題は手をつけられないほどに深刻化するように思う。

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沖縄県では6月に県議会議員選挙が実施される。自分が投票に行くことを想像しただけで、投票所に人が集まるリスクと時間的拘束、紙の投票用紙に触れるリスクを考える。開票所(※写真は2018年沖縄県知事選開票所)では、開票作業にかかる3密、大量の投票用紙を取り扱う役所職員の感染リスクが浮かぶ。ここにきてようやく、「オンライン投票」の実現が現実味を帯びる。こんな事態を待たなければ見通しすら持てなかったのだけれど。期間は短いが、延期を考えるより前に今からできることはないのだろうか。

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コロナ禍のもと、新聞紙面には連日、記者が拾い集めてきた一人一人の声。政治本来の、難易度の高い、課題解決に向き合うべき仕事が山のように炙り出されている。今後予定されている数々の選挙に向けて、候補者が実感の持てる具体的な課題に、信頼できる実行プロセスをセットで見せてくださるのか、これまでになく興味の湧くところ。休業補償なく苦境に立たされる店舗経営の知人から生の訴えを聞くと、金銭感覚が研ぎ澄まされる。県民所得の10倍や6倍にふさわしい委託先かどうか、判断する視点で「政治」を見てみようと思う。

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