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花火あるいは恋人の定義

花火が好きというより、花火を見に行こうと約束をする瞬間のほうが好きだ。

花火を見終わって人々は、夏の葬列のように知らない道を引きずり歩く。

爆音で咲く花火のあとで、より身体はカラになって、冷たい下駄の音だけが、からからと鳴り響く。

写ルンですとかもそうだ。着物を撮り、花火を撮り、関係を撮る使い捨てのフィルムカメラ。

現像された写真を手に入れるより、どんなふうに写っているのかと想像し胸が高揚するシャッターを押す感覚が好きだ。

写真の出来がすぐにわからない、期待を馳せることこそ、醍醐味と言える。

わりと、全部についてそうかもしれない。
「いま」よりちょっとだけ先にあるものが好きだ。


恋人の定義は様々である。私の場合、話したくなる人。
つまりは、読んだ本・聴いた音楽・涙が出たドラマについておしげなくしゃべれること。おしゃべりの時間をできるだけ長く。
長く、
長く、
長く時間を共にしたい人だ。

つまりは、
「会って話したい人でありデートしたい人」。

これだ。


どれだ。


それだ。




本の物語の人物たちのようには愛し合えない私たちを、私はとても愛している。




大停電になった世界をたまに想像する。
テレビもない。スマホの充電もない。灯りもない。真夜中に食べたいアイスもない。

きっと、夜散歩に出かける人は多くなる。ろうそくや甘いものはよく売れる。会いたい人には会えない。

星は零れ落ちそうなほど輝き、新しい星座を作る者が現れる。まったく売れない詩集は、昼間少しだけ手に取る人が増えるだろう。


誰もがすぐに終わると思っていた大停電は、何年も続いたとする。きっとほとんどの人が、伝えたいことを伝えたい人に、伝えられないまま死ぬ。でもそれは、停電のない今でも、あまり変わらないことだ。


百年後、さようならという言葉はなくなっているのかもしれない。

幸福で孤独な別れが、まったく別の言葉で表現されるのだろう。


そんな、想像から目覚めた私は、いつもより大胆になれる。欲望が溢れる。なんの理由もなくいつもと真逆の電車に飛び乗り、目的もなく突き進む、会いたい人に会いたいとLINEで言う。


いつだって素直になればいい。なれる。







言葉を紡ぐように話す人に魅かれる。何かとてもアツく、繊細で優しい包みこまれた気持ちにさせる。


自分の持つ容姿や、声、音、光、香り、素材、でオリジナルな空間を産みだす人に憧れる。


それもまた、柔らかく、ローテンポで都会的な。


自分の世界を守り、周囲を巻き込みながら進む。私もそんな人物になりたい、と強く願う。


魅かれる、憧れることばかりだなと思う。それが未来とどう関わるのか、わからないけれど、だから面白いのだろう。



そうしてその人はひとりで幸福に絶望している。



そんな人だ。どんな人だ。


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