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人生とは

2021年10月1日。
以下、己の為に書く日記のようなものなので、読まなくても良いです。もちろん読んでくれても構わないのですが、意味不明なものになるでしょう。とはいえもし読んでくれる人がいるのであればその方にとって読んで良かったと思えるようなものになれば嬉しいので、意味不明なその中に何か得るものがあるような文章になればと思いながら書きます。
思うだけなので実際そうならなかった場合は悪しからず。

今日は自分にとって一つの区切りと言うか、新たな一歩を踏み出す日となりました。
僕は小さい頃からこの世の中がとても生きづらいと感じています。所謂一般的な人達とは考え方も感じ方もまるで違うので共感ができないことが多いのです。だからなのか精神を病んでしまったこともありますが、考えてみれば病んでいる人は年々増えており、この世の中がどんどん生きづらくなっているというよりは、むしろ病んでいることがスタンダードになりつるあるのかもしれないと思ったりもします。
そんな世の中で生きていく中で、僕はもしかしたらちょっとは一般的な方向に近寄れたのではないか、あるいは真っ当な大人の仲間入りができたのではないかと思えるような出来事がありました。
しかしそれはやっぱり勘違いで、結局僕は一般的でも真っ当でもなく、はぐれものなのだと痛烈に再確認させられた事があり、その結論が今日出たということになります。

はぐれものではありながら、そんな人も受け入れる余裕があるのがこの世界。だから生きづらいとは思いながらも嫌いではありません。少なくとも現在はそう思えるようになりました。

公私という言葉がありますが僕にとって私の部分はほとんど無く、オンとオフの切り替えもありません。ずっとオンなのです。オフになるのは死を迎えるときでしょう。
だからこそ普通できることができないということがしょっちゅうあります。
しかし逆に言えば普通できないことができるということでもあるのです。

今の気持ちを一言で表すと「残念」です。

身体の一部を失ったような気分です。でもその失ったと思っている身体の一部なんて元々無かったのかもしれません。ということは元々無かったものを失った喪失感という矛盾。
さらに言うと同時に肩の荷が降りたような気持ちもほんの少しだけしています。これもまた矛盾。

世界は矛盾に溢れています。
それを止揚していくことが人生なのだろうなと再確認しました。

その上で今の気持ちを表したのがサムネイルの言葉です。あえてどういう意味かは書かないでおきます。
過去は変えられません。未来は現在の積み重ねです。
今日も画像の言葉を胸に、生きていきます。

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