あんなに欲しかったホットプレートが埃をかぶっている
無地の白いTシャツと黒いパンツがあれば、僕はおおかた満足する。後はサイズ感さえ気に入るものが見つかれば文句はないし、安ければ安い程良い。
しかしなかなか見つからない。一度だけ見つかったが、もう一度注文しようとした時に販売は無くなっていた。首元がタフですぐによれない身幅に余裕があるもの。それらがあれば、後は上着と靴だけ本当に気に入ったものを選べば良い。そうすることで身体と意識がほぼ喜んでいることに、ここ数年で気付いた。白と黒に合わないものはほとんど無いから、後は存分に上着で暴れることが出来る。たいして暴れないが。
色んな服を買っていた頃、毎朝鏡の前に立っていた。時間もなく、満足のいく装いを見つけられぬまま多少の苛立ちを抱え、家を飛び出す。出先でちらりと反射する自分の姿が滑稽に見えて、喉が痛くなった。手に持っている缶珈琲までが惨めに見えた。はたまた、あれ程気に入って買った大きなロゴが入ったトレーナー。前触れもなく突如幼稚に見えてしまい、ぱたりと着なくなるようなことが何度もあった。一度は気に入ったのに、みるみる飽きてしまった己の芯の無さに嫌気がさした。逃げるように洗った顔がいつもより気持ち悪かった。
クローゼットを開け、ずっと着続けているものを見つめ直したとき、白のTシャツと黒のパンツだと気付く。そうして、決めてしまえば楽になると解った。なおかつ、安いものを選べば、それ以外は暴れることが出来る。たいして暴れないが。
後は中学生の時に酔狂したジャージパンツとろくに穿かないジーンズをたまに買うくらいだ。一時期、無理やりこの辺りも買わないと決めたが、それは心に合わなかった。幸せじゃなかった。夏目漱石も乗りはしないがバイクには目がなかったという。これは嘘である。理想を込めて大きな嘘をついた。
生活の中で決めてしまうと楽になるものがあると想っている。いちいち考えなくていい。面倒だ。
好きな食べ物はひじきで、好きなブランドはLACOSTE、ゲームのハンドルネームはカルボナーラ、好きな映画はKnocking on heaven's door、好きなミュージシャンは甲本ヒロト、好きな色は緑、好きな三文字はくるま。
日常の中で度々訊かれる質問は間髪入れず答えたほうが楽だ。言い出したら、好きな映画など沢山あるし状況に依って正直変化する。ただ、迷えば僕の場合格好つけそうになる。相手に気にいられようと恥ずかしくない答えを出そうとする自分があさましい。中学生の頃、皆が集まってきそうな気がして、大友克洋さんのAKIRAを集めたことがある。面白いフリをしていた。本当は意味が分からなかった。ご先祖さまに申し訳ない。だから、そうならないように、一つ目は決めている。
生きていると、心にも思っていないことを口にしないといけない瞬間がある。やりたくないことをやらなければならない瞬間がある。その時の自分は、嘘つきだ。そんな日は、視界が狭くなり身体が重たくなる。だから、少しでも正直な時間を増やしていきたい。必要なものと要らないものを分けて、心を明瞭にしておく。余分なスペースを作っておくと、多少のことは寛大になれる。そうしておけば、やがてやりたくないことも必要だったと気付く時もある。どちらかわからないものは時間をかければいい。
いつか一切の嘘が、この身体からなくなればいい。やりたくないことを血が出ようが剥がしてしまいたい。
その時、魂は震える。
もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。