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母の日

 僕は母の日に「ありがとう」を言えない。改まって言えない。欲しいものを訊いて送ったりするだけ。ありがとうは言えない。その瞬間の何かに対しては言える。駅まで送って貰ったり、仕事で使う必要なものを実家から送って貰ったり、そんな時は言える。でも面と向かって口にするのは考えるだけで、体毛が逆立ちしそうになる。テレビ番組で感謝を伝えろと言われた方が恥ずかしくない。その照れる様を笑ってくれる誰かが居る方が楽になれる。だから、お笑いが好きだ。
 僕は、その日にわざわざ、ありがとうを口にすることは今後もないと想う。日頃の感謝を余すことなくハケで掬いとり、たっぷり塗りつけたオレンジ色したありがとうを口に出すなど、この歳で全裸になって母親に甘えていくのと同じくらい恥ずかしい。もう僕の身体はあの頃のように無垢じゃない。母の日にありがとうを言うのは、お盆だからといって、墓参りに行くのと同じだ。暦関係なく、僕は、墓参りをするし、別の形で感謝も伝えている。つもりだ。
 言い訳みたいになってるのは気づいている。

 先日、とあるパン屋さんの密着番組を観た。元々、競輪選手だった彼は、競技中に転倒し、二度と復帰できない身体になった。リハビリの為に始めたパン作り。焼き上がったパンが嬉しくて、バザーで売ってみた。美味しいと評判になり、パン屋を開業。全て彼が一人で作る。数に限りもあるせいか、今では予約販売。それも十六年待ちだという。

 笑えた。夜中に、声を出して笑った。三ヶ月待ちのイタリアン、半年待ちの占い師、そんなものじゃない。十六年待ちのパン。寿司でも肉でもなく、パン。すぐに予約した。素敵な約束をした気分になった。タイムカプセルじゃないけれど、未来の自分に、贈り物をしたような。掘りに行かずとも届けられるささやかな贈り物。
 作家の江國香織さんは、妹と約束をしていたことがある。江國さんが紅茶を淹れ、妹が餅を焼く。という約束。ただ、それだけ。どんなに喧嘩をしていても、夜中どちらかが寝ていようとも。欲しいと言われたら、どんな時でも、それを果たすというもの。結局、お互い、お願いすることはなかったようだ。だけど、約束することで、人生を生きやすくすると仰っていた。素敵だと想う。
 
 なんでもかんでも、約束は好きじゃない。現に例えば来週の金曜日に飲みに行く予定が入ると、たちまち窮屈になってしまう。誰彼問わず約束してもいいものは一つもない。寧ろ殆どの約束は、億劫になる。
 だけど、パンとの約束は、誰の時間も縛らない。その時たまたま一緒に居る誰かに振る舞えば、想像しうる限り、笑顔しか浮かばない。その時一人なら、いっそ香ばしさに包まれればいい。

 十六年後、何処に住んでいるのか確信がないので、送り先は、実家にした。届けられた日、知らないと突っぱね送り返されるのは良くないので母親に一応ラインで、連絡した。

「十六年後、実家にパン届くわ。予約したんよ」

と、記事の写真と共に送る。

「生きてるかわからんわ」
と、母親。
あぁ、ここでも、試練が。と、思う。
「生きててや!大丈夫やって!当たり前やん!」と返せれば百点満点の気がする。
 しかし、僕には、出来ない。考えた挙げ句、僕は返す。

「生きてるやろ、着払いやわ!」

暫く、ありがとうは、言えそうにない。

もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。