去年の今日、マツダ株式会社を退職しました。

22時すぎ。残業の特例申請をマネージャーに承認をもらって、ギリギリのギリギリまで、引き継ぎ資料の仕上げと、秘密の宝箱のありかの地図の作成と、ゴミ箱と化したロッカーの片付けをして、

山のような荷物を両手に抱えて、北門を出て、ロードスターに積めるだけ積んで、社員駐車場を後にしました。

あれから1年。早かったような、永遠のように長かったような、よくわからない気持ちです。

山のように書きたいことがありますが、そしてこの記事がだれに向かって書かれているのかもぼくにもわからないのですが、ぼくの中の記録ということで。

MAZDA株式会社は、とてもいい会社でした。外に出るとよくわかります。給料は出るし、残業代も出るし、安全第一だし、有給も使えるし、地域にかなり貢献してると思うし、それでいて海外で商売しているわけだから、日本には利益をもたらしている。もちろん、大きな、人がたくさんいる場だから、局所的には変な人もいるし、困っている人もいると思います。でも、全体としては、とてもいい会社だったと思います。

ぼくは、MAZDAが嫌いで辞めたわけではない。そこだけは強調しておきます。じゃあなんでやめたんだって話になるんですがそれは、

日本の自動車のために、ぼくがやるべきことをみつけたから。そして、これ以上はぼくがMAZDAにいても、たいしてクルマはダメにならないし、すぐには劇的に良くもなりそうにない。ここから10年、ぼくの人生を使う場所を考えた時、今は"コッチ"だなと思ったから、なんです。

笑っちゃう話ですが、MAZDAの人々とはほぼ毎日誰かと何かを話してるので、もしかしたら、退職した実感が湧かない?のは、やり取りの頻度が当時と対して変わらないからなのかもしれません。あいも変わらず、あのクルマはどうだとか、あのエンジンがどうだとか、あの計測技術がすげぇだとか、そんな話を毎日毎日飽きもせず。

いろいろ思うところもあります。MAZDAはこのままでいいのだろうかと。

2011年、ぼくが北海道大学でカーボンナノチューブの電気伝導に関する理論の研究をしていた頃、その選考の内容とはまったく関係なく、ぼくはMAZDAに就職する気しかありませんでした。

で、当時、まだスカイアクティブも形になってなかった頃、MAZDAにはもう売れる商品はなく、株価も底値を記録していました。なのに、何故か、

MAZDAは絶対にいいものを作れる

という確信があったのを今でも覚えています。そしてその直後2012年に、SKYACTIV-Dと名付けられた2.2Lディーゼルエンジンが、常識を覆す燃費とパワーで世界を驚かせ、そこへ 魂動デザイン が注目を浴び、MAZDAのブランドイメージは一気に上がりました。

実は、私が北海道大学を選んだ理由は、ディーゼルエンジンにありました。ディーゼルで有名な先生と研究室があったから、北大を選んだのでした。絶対に日本にディーゼルが来ると、来たらその魅力が炸裂すると信じていて、その開発の第一人者になりたい、と、浪人生の頃に思っていました。

結果的には、進学した後、応用物理学が楽しかったので、物理の道に進むことにしたのですが。そしてそれは、正解でした。まぁ、私の進路の話は置いといて。

MAZDAはこのままでいいのでしょうか。私がMAZDAを去った去年ともまた、状況が変わっているように思いますが、結構マズイと思います。

諸々の事情があって、頑張った結果こう、というのは、そうなのかもしれないけれど、世間はそんなに甘くないなと、外に出て感じています。つまり、

魅力のない商品は買ってもらえないし、役に立たないサービスは使ってもらえない。つまり、いらない。残酷だけれど、淘汰される。

今のMAZDAを見てて思うのは、「MAZDAって、絶対いる??」って聞かれたときに、

なにいうとんじゃ!!いるわ!!!ないと死ぬわ!!

って言ってくれる人がどれだけいるのかな、っていう点において、年々弱くなっていっている気がします。ブランド価値を高め、プレミアムなブランドになっていくんだと意気込んで時を重ねれば重ねるほど、どんどん一般的で抽象的で、悪くないけどよくもない、そんなブランドになっているような気がします。というか、

そう、ぼくが外部の人に言われます。

去年まではそうでもなかったんです。MAZDAってカッコイイよね!尖ってるよね!光るものあるよね!みたいな。だけど今は、そぼくに、「大丈夫?」みたいな。

それは、エンジンがどうとか、燃費がどうとか、そういうのとは別のところにあって、

「楽しそうか」

っていう話で、今のMAZDAは「楽しそうに見えない」のが、「これでいいのだろうか」と思う最も重要なポイントなのだと、自分では分析しています。

モノの価値というのは、究極的には、

楽しい時を過ごせるか

ということだと思います。自分で事業を組み立てていても、お客様からお代をいただくことを考えたら、できるだけ楽しい思いをしてもらって、それに見合うお金を払うことこそが、消費者にとってこの上なくキモチイイことなのだと。

だから、高価でなくても、高級でなくても、「楽しい」ならばそれは最高の価値で、無限のプライスタグをつけることが出来るはず。

で、クルマを使って楽しいことをするということについては、MAZDAは世界一だとぼくは思っていました。正確にいうと、今でもその素質はあるのに、全然機能していない。

クルマを楽しい感じにする才能が溢れた人がたくさんいるのに、全然仕事をさせてもらってない。だから、

クルマが全然楽しそうじゃない。

それだけがすごく心配で、

ぼくが置いてきた宝箱を早く開けて、楽しいを取り戻してほしい。

ロードスターもMAZDA3も、本当はあんなもんじゃないでしょう?

ロードスターに至ってはレイアウトからおかしいからどうしようもないし、RFをやりたかったんだろうから、歴代ロードスターやRX-7で培ってきたライトウェイトスポーツの極意みたいなものをわざと捨てたのかもしれないけれど、MAZDA3が楽しくないのは本当に心配する。

イタリアやフランスのFFは何年も前かわかってて、ついにBMWがそれに気づいたか分かっててやっと手をつけたのかは知らないけどあの世界観にいってて、そんな時代に、

MAZDA3だけがあの楽しくなさ

というのは、今後のMAZDAのクルマづくりの方向性を大きく占うものだと思うし、それはそのまま、MAZDA株式会社そのものの存亡を占うものだと思う。

評論家を気取るつもりはないのだけど、自分が開発に関わったものだから、このクルマたちのことだけは、ぼくにも喋る権利があるはずだと思って、います。

クルマには、まだまだ大きな可能性があります。東京でペーパードライバーさんと運転の練習をしてて、その人の人生が音を立てて変わっていく様をみると、たまに、うっかり涙が出そうになります。

息子が生まれて首がすわったから、千葉に住んでるおばあちゃんのところへ会わせに行きたい、とか、

なかなか行けない遠くのおじいちゃんのお墓参りに、クルマなら家族を連れて行けるから、とか、

社会人になっても音楽を続けたくて、チェロと子供を連れて練習に行くにはクルマが、とか、

そういうの一人一人と向き合っていると、

やっぱりクルマは、運転している間、みんなでクルマに揺られている間、


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楽しい方がいい。

楽しい方がいい。

楽しいクルマを、

楽しく、クルマを。

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古賀章成です。自動車開発テストドライバーという仕事をしています。主に、運転を苦手だと感じている人に、安心してもらえるような・自信をつけて楽しんでもらえるような練習の仕方やクルマの在り方を研究・開発しています。頂戴したサポート費は、テストや開発の経費として活用させていただきます。