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<特別対談>誰かの人生に、こんなにも純粋な心で全力で向き合う人を私は知らない。/ 山川咲さん(起業家/CRAZY WEDDING 創設者)

2021年1月22日、2年前の今日この対談は行われた。
初著書「人生肯定」の特別企画として、私の人生を変えてくれた3名の恩師と呼ぶべき人たちとの対談を掲載することにした。これまでの人生を振り返り「この人との出会いがなければ今の私がいない」と思えるような人と時を経てあの頃を共に語り合うことは、私にとってかけがえのない時間となった。

1人目は、人生の恩師であり、同志である山川咲さん。

誰かの人生に、こんなにも全力で向き合う人を、私・オア明奈は、彼女以外に知りませんでした。 悩み、葛藤しながらも、自分と周りと現実を力強く動かしていく人です。 彼女とは、全てをかけて共に理想を目指す、戦友のような存在でした。その後、互いに35歳前後で、より人生を愛して生きる分岐点を迎えたように思います。 そんな彼女に、熱狂していた当時のことや、今見えている景色について聴きたくて、対談を依頼しました。

<山川咲プロフィール>
1983年東京生まれ。大学卒業後、ベンチャーのコンサルティング会社へ入社。退職後に単身オーストラリアへ。「意志をもって生きる人を増やしたい」と考え、2012年に業界で不可能と言われた完全オーダーメイドのウェディングブランド「CRAZY WEDDING」 を立ち上げた。2016年5月には毎日放送「情熱大陸」に出演。その後、産休・育休を経てIWAI OMOTESANDOの立ち上げに携わる。2020年3月27日にCRAZYを退任し独立。2020年12月にホテル&レジデンスブランド「SANU」の非常勤取締役及びCreative Boardに就任。著書に「幸せをつくるシゴト」(講談社)

可能性の限界に挑戦し続けた20代後半から30代前半

オア:2014年に出会ってもう7年が経つけど、こうやって咲さんとちゃんと対談するのはじめて。やっぱり私にとって咲さんと出会ったことは人生におけるハイライトの一つなので、この7年間のことを話したいと思ったのが対談の意図です。まず出会った頃の話をすると、あれは忘れもしない2015年8月27日。CRAZY WEDDINGのコンセプトづくりを学ぶ1DAYセミナーに参加した直後に咲さんと面談をして、CRAZYに入りたいっていう話をした。でも最初の面談では「あなたはキャラ立ちしているし、フリープランナーとしてやってみたらいいのでは?」と丁重に入社を断られて(笑)。結果的にはその3カ月後に入社することになったんだけど、社員が20人くらいしかいない、一番忙しい時期だった。

山川:あの頃は忙しすぎて時空が歪んでたよね(笑)。今やってることを通して世界が変わってくんだってみんな信じてた。

オア:私としては、日本の結婚式をもっと素敵にしたいという想いから入社を希望したから、ウェディングプロデューサーになる気満々でいたんだけど、入社当日の朝5時に咲さんから電話がかかってきて「プロデューサーやめて私の秘書にならない?」って提案されて驚いた(笑)。

山川:でも、快諾してくれたよね(笑)。

オア:ゼロからのスタートだったけど、山川咲に次ぐブランドマネジャーになる!という覚悟でいたから、ファーストキャリアとして咲さんの一番近くにいられるのは魅力的なオファーだと思ったし、実際は秘書の仕事以上に咲さんの面談に全て同席して、属人的な部分を言語化していくという役割だったから、まさに前職の経験を活かせると思って3秒くらいで「やります!」って即答しましたね(笑)。

山川:あの頃は全てが特別だったね。なんであんなにみんなが熱狂してたのか。私たちは何を目指してたんだろう。

オア:理想に向けて、誰もが一点の迷いもなかったよね。

山川:私が起業して良かったと思うのは、日々いろんなことがありすぎて小さなことで悩まなくなったことだと思うんだけど、あの頃のCRAZYはみんながそんな感じで、強烈な渦があったと思う。

オア:あの日々は私にとって人生の青春だった。青春って毎日一生懸命だからその時には青春だって気が付かないものだと思う。深夜まで仕事してタクシーで帰って、翌朝7時からのミーティングのために6時にはまた会社に行くみたいな生活が数ヶ月続いていた。今思い出すだけでも本当に過酷だったのに、弱音を吐くことも一切の迷いもなかったのは不思議(笑)。一方で、自分たちがやってること、信じていることが世の中にうまく伝わってないという焦りも感じていた。

2015年 山川咲の秘書として「爆速」でプロジェクトを動かしていた頃

山川:あの頃のCRAZY WEDDINGがなかったら、今のウエディング業界は全然違うものになっていただろうから、無茶だったけど、どこまでも濃密な時間だったと思う。今振り返ってもブランドのことを私と同じ目線であそこまで一緒に考えた存在は、明奈しかいなかった。それにあの頃は10人に満たないプロデューサーが総出で、単月50組以上の新規契約を頂きながら、毎週毎週違う場所でオーダーメイドのウェディング施工もこなすっていう、体力的にも人間の可能性の限界までいってたよね。

オア:私も秘書を数ヶ月務めた後はプロデューサーになって、はじめは営業もコンセプト作りもお客様との関わりも、全然思うようにできなくて毎日葛藤したなぁ。お客様から頂いている期待に応えるにも、自分の描いている理想を叶えるにも、力と経験が到底足りない自分が情けなくて何度も悔し涙を流した。それでもお客様に選んで頂くには「これは誰にも負けない」と言えるまでトレーニングをすることと、自分の人間性と提案力を磨き続けるしかないんだと思って、ひたすらスキルアップのためのインプットとお客様の人生に深く踏み込むことにトライし続けて。そうして入社して1年経った頃にやっとプロデューサーとしての自信がついてきたっていう感じだった。

山川:明奈って天才に見えるけど、天才型じゃないからこそのプライドがあって、それに見合うものを生み出すためには努力するしかないっていう、いい意味での割り切りが昔からあるよね。だからこそ、お客様だけじゃなくて仲間からの絶大な信頼があって、CRAZYを代表する数々の結婚式をプロデュース出来たんだと思うよ。

オア:でもそんなガムシャラ期を経て、創業から4年が経った頃。CRAZYとしては組織として大きな変化と葛藤を抱えていたよね。あの時期って外から見るとイケてる会社だったろうけど、正直中にいるのは一番苦しい時期だった。

2016年CRAZY創業4周年イベント BEYOND
組織の立て直しを行い、もう一度クレイジーを始めよう、と全員で握り合った

山川:そうだね、創業4〜5年目とかは一番辛かったかもね。組織的にもダメージ受けてた。私も私で情熱大陸に出て以降、周りからの期待やプレッシャーからボロボロになって休職。その後妊娠してそのまま産休、育休に入ったっていう感じだったし。

オア:その後、2018年1月に産休から復帰した咲さんと一緒に「新規事業開発チーム」を発足して、CRAZY WEDDINGに続く次なるウェディングブランドを創るために模索することになって。私も咲さんと3年ぶりにタッグを組んで新しいものを生み出すことに意気込んでいたし、私たち2人以外に社内でもビジネス力高めのメンバーが集められた鳴り物入りのプロジェクトだったのに、思うように進まなくって・・・。

山川:あの頃は本当に色々あったな。その後IWAI OMOTESANDOの立ち上げなどを経て、気づけばお互い20代後半から30代前半を共に走り抜けたね。

オア:本当に「走り抜けた」というのがピッタリな表現!その後、お互いに相談したわけでもすり合わせたわけでもなく、それぞれのタイミングで会社を辞めることを決めて、咲さんは2020年の3月末に、私は同年5月にCRAZYから独立して。

山川:私も明奈も、何があっても辞めないと思われていたであろう2人が辞めたのは驚きだったよね。何より私が一番信じられなかったもん。

毎日毎日、朝から晩まで一緒に理想を語り合い、ガムシャラに働いた。

何かを失ってもいい、曖昧でいい

オア:会社を辞めたことでその後の人生何が変わった?

山川:めっちゃ小さい話するけど、「これは会社としてNG」とかSNSに口出しされるのとかすごくつらかったのね。ありのままをぶつけるのが私らしさっていう自分が強くいるのに、SNSも含めた山川咲のキャラクターで会社を背負わなきゃいけないという感覚が自分の中に根強くあって。個人の尊厳を明け渡してまで無理するところなのかな、とかね。どちらかというとそこから解放された、みたいな感覚なのかも。本質的に変わったとすれば、CRAZYという自分そのものだったアイデンティティを失っても、より強く生きていける自分に、「何を失っても大丈夫なんだ」ってあらためて思えたこと。その確信が高まった。

オア:私もいつかCRAZYを卒業する時は、「一世一代の決断」みたいな大それた瞬間をイメージしてたんだけど、結果的には働くスタイルを変える半独立っていう感じで、自分にその曖昧さを許せるようになったのは進化だったと思う。「CRAZYを背負っている私」じゃなくて、私個人として人生を肯定することの素晴らしさを伝える活動をもっとしたいと思ったし、作りたい世界は一緒だけど少し離れた方が、CRAZYともシナジーを出せるんじゃないかと思ったんだよね。曖昧なポジションにいることを肯定できるようになったのは大きな変化だった。今ではその決断が自分の信念をより強固にしてくれたんだけど、咲さんは今も変わらず「意思を持って生きる人を増やしたい」という信念は持ち続けてるの?

山川:そうだね。もちろん、今もそれが大事だとは思ってる。昔からみんながいいっていうものでも、自分がそうじゃないと思ったことを発言できないのはもったいないなって思ってた。「意思を持つ」ということをずっと言ってきたから、今ではキャッチフレーズのように扱われているけど、私にはもっと自然にその言葉とあるような感覚。今の明奈の信念はなんなの?

オア:私は「人生肯定で世界の体温をあげたい」。これは色んな変化を経た今だからこそ言える言葉な気がしていて。焦燥感のあった私が、人生を振り返ってもう十分頑張ったって自分を許すことができたからこそ、自分を高めなきゃって焦っている人にそれを伝えていきたい。人生を愛せた瞬間に心の体温が少し上がる感覚があって、そういう価値観を世界に広げていきたいなって思ってる。

山川:人生でもがくことも素晴らしいし、もがいた先の焦燥感から行動を止めてしまうのは悲劇だから、焦燥感も含めて、人生には大事なことなんだと思う。明奈が書いているこの本もそうで、言葉でまとめた「人生肯定」だけが正解じゃないし、明奈が醸し出す空気感・姿勢に救われてる人もたくさんいると思うから、そういう言葉にはできないものも、伝わったらいいなと願っている(笑)。

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私にとって人生の青春は間違いなくCRAZYでの日々だったし、他人の人生にこんなにも踏み込んでくる人は山川咲しか知らない。人生への飽くなき探究心も、結婚式を通して人生を表現するという尊さも彼女から学ばせてもらった。関係が変わった今も、そしてきっと一生ずっと私の大切な人だ。

※本記事は2021年4月に出版した著書「人生肯定」に掲載された対談内容をそのまま全文公開しています。(内容やプロフィール等掲載当時のものとなります)書籍は既に完売していますがnoteマガジンで全文公開していますのでぜひご覧ください。


動画で見る対談の様子


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