つがる

無限すあま様の依頼により執筆したものです。
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 十一月はまだストーブの時期ではない。風も日差しも入らない待合室にはいくつかの自販機と、込貝と塩飽しかいない。二人は電車を待っていた。日本最北端の私鉄は一時間に一本だ。改札を出入りする都合上、どうしても乗り換え時間が数分しか確保出来ず数十分待つことにしたのだった。
「普通ここにアイスの自販機置く?」
疑問を呈しながらも込貝の手にはしっかりとクッキーアンドクリームが握られている。
「見てるだけで寒いんですが」
「分かるね」
適当な相槌に包装を剥がす音が重なる。塩飽はぐるぐる巻きのマフラーから口元を探りお茶を飲んだ。もう冷たい。
「また保温しなかったでしょ」
「でも飲めますし」
しょうがないな、の後に電子決済の音が響く。ほかほかのお茶にカバーをしてから塩飽のお茶と交換する。込貝のポケットにはペットボトルカバーが各種揃えてある。
「ありがとうございます。そろそろ切符を買っておきましょうか」
二人は隣の津軽五所川原駅へと移動した。そこには石油ストーブとちょっとした売店がある。暖かいとは素晴らしい。込貝は冷えたペットボトルをストーブにかざした。決して移動しなかった自分達に呆れた訳ではない。

 りんご農園をかき分けかき分け、地元ボランティアの解説聞きながら揺られること数十分。到着したのはある文豪の生家である。当時の豪邸を記念館としたものだ。その広さはおよそ六八〇坪。元は銀行だった。観光客は店の入口側から入ることになる。
 順路に沿って見学していく二人。洒落た和洋折衷の屋敷はガラス戸に閉ざされ明るい。文豪の手紙や実際に着ていた服装を眺め、塩飽はメモを取る。
「な~んか大変だね。有名人って」
死後に自分が使っていたものや趣味、果ては落書きまで陳列された棚。原稿外の走り書きは汚い。本来ならくずかごにでも入るべきだったのに、整頓され眩い光を浴びている。居た堪れなくなって、込貝は文豪の来歴のパネルへと目線を移す。
「作家って自殺多くない?」
メモを止めて塩飽が答える。
「不朽の名作は死にませんから」
それと何が関係あるのだ。作品と作者は別とはいえ、自分で作ったものに対しては責任を持つべきだ。自決は逃げに過ぎない。込貝は卑怯な人間が嫌いだった。死という手段は極限状態でも選ぶべきではない。
 そんな込貝の不愉快と憤りの混ざった感情をキャッチした塩飽は怯えた。込貝が死にたくなるということが理解出来ないというのは充分理解しているが、自分で書いたはずの存在が分からない。作家としてみれば作品なんぞ世の中の人間がどう扱うかで決まる。作家が死んでも、それは結局は一人の人間が死ぬことと変わらない。込貝理という存在は、本来なら作家である自分が理解出来ることは理解するはずである。何故こうもおかしくなってしまったのだろう。
 風が無いとはいえ寒さが染みる。どちらからともなく次の展示へ向かった。二階は文豪の部屋があり、そこから見える夕陽をもとに書かれた話もあるらしい。込貝も塩飽も読んだことはないので西日に目を細めるだけで終わった。

 豪邸には離れが存在していた。現在は歩いて数分の場所へ移築されている。こちらは呉服屋が買い上げて使用していたため、管理人の家と一体化した造りになっている。といっても保存の意味が強く当時の趣をそのままにしている。
 寄せ木の廊下を進むと右手に洋風建築、左手に和室が広がる。和室には撮影スポットとして火鉢と原稿、それから煙草の箱が置いてある。
「不香も撮ろ」
靴下から侵入してくる冷たさにのろのろと歩く塩飽は、込貝に押されて畳敷きの部屋に上がる。気のない返事をしながら座布団へ座った。
「もっと格好つけて」
難しい注文だ。もごもごとマフラーの内側で反論するが込貝は聞いていない。ポーズの指示までしてくる。仕方なく従うとシャッター音がして、込貝は頷いた。
「あなたは撮らなくていいんですか」
「作家センセがいるんだから十分でしょ」
それに俺はあっち側だし。入口のそばにある初版が収められたケースを思い出す。死後に刊行された本の帯。ああはなりたくないものだ。俺様が先に死ぬべきに決まってる。
「あなたの理屈はよくわかりません」
「センセって本当に文脈とか機微とかさーあるじゃん。そういうの」
「観光地に分脈って必要ですか」
込貝はひつよーひつよーと鳴きながら洋間の方へ移動していく。塩飽は空箱に貼り付けられた煙草の紙をそっと撫でた。手作りなのだろう、紙が少し浮いている。原稿用紙を整えてから塩飽は込貝を追いかけた。
 サンルームだった庭を抜け、入口へ戻る。二人で売店を覗くことにした。文庫本の短編集がどっさりと置いてある。込貝はそこから一冊取り出していた。塩飽は解説本を見ている。
「文学の解説って面白い?」
「全ての本が全ての人にとって面白いでしょうか」
「大先生ともなれば? 違うんだろーね」
悪癖というのは治らない上に面倒事を起こすから悪癖なのだ。込貝のこの刺々しいセリフは売店の空気をひりつくものにした。受付でもあり店員でもある人は突如走る緊張感に狼狽している。
「……これください」
レジへと解説本を差し出した塩飽は込貝へと視線を向ける。鼻息と共に財布を渡され眉間に皺が寄った。どうして子供なんだ。店員はそそくさと本を詰めてまたお越し下さい、と愛想笑いをした。全く今日の客は質が悪い。

 寒さというのは人の余裕を奪う。逆に言えば室温が快適になれば余裕も帰ってくる。二人は暖房の効いた電車内に向き合って座っていた。ちょうど夕陽が山の稜線をピシリと見せている。周りの山々が低いため存在を際立たせている。帰りの電車は二人とも無言だ。塩飽は体力が無く、込貝は雪の無い雪国の観察で忙しい。やがて車内には学生がぎゅうぎゅうに詰まって騒がしくなり、終点へと到着した。

 「おみやげってどうしてこうなんだろ」
彼の両手には菓子箱。青森県がプリントされたクッキー、もう片方には白神山地を背景にしたクランチチョコレートが描写されている。
 前日の大移動から一泊。ここは青森駅ちかくの物産館だ。探偵である彼は早くもこの場所に飽きていた。大して広くもなく、物珍しいものもない。昨日の豪邸の前にある産直の方が心が躍る。
「こう、とは……」
塩飽には一般的な感性は通じない。確かに新幹線までの時間を潰す人間たちや、出張の帰り際に駆け込む人間はよく見る。それでも土地や季節によって変わっているのだ。今は雪が本格的に降る前でいささか閑散としている。
「まーいいけどさ」
ふらふらと売場を練り歩くとホタテの貝殻──ではなく水着が売っている。いわゆるホタテブラである。誰が買うんだコレ。しかもまあまあなお値段がする。第一、不香が着けたらケガをしそうだ。やめておこう。
 塩飽はヒバの置物に熱心だ。一体家のどこに置く気なのか。そう思う込貝もリンゴジュースを数本カゴへ入れている。帰りの荷物の計算を度外視し始めているのだ。
「はい……」
塩飽は持っていた恐竜を戻し、込貝は思わずため息をつく。
「欲しいなら買えばいいじゃん」
編集者へのお土産と共にレジへ向かう。まごまごした塩飽の様子は無視だ。塩飽が人の邪魔になることに気づいたのか、ベンチの側へ移動する。それを確かめてから木のおもちゃもカゴへ放り込んだ。玄関にでも置くか。

 青森駅に新幹線は到着しない。隣駅の新青森駅まで移動する必要がある。約七〇〇キロの帰路は四時間かかるため昼食は車内で摂ることになった。駅にはお土産コーナーはもちろん、飲食店も複数ある。
 込貝はまだ二十代半ばの健康な成人男性だ。つまり揚げ物の匂いに釣られて惣菜売場に来てもおかしくなかった。
「お兄さんコロッケいかが? 美味しいわよ」
妙齢の女性に声をかけられる。塩飽は食が細い。先に多少つまみ食いしても問題ないのだ。そのままビーフコロッケとホタテコロッケを注文し、昔ながら紙袋で渡される。さくさくとした感触が袋越しに伝わる。耐えきれない。込貝は駅のイートインスペースでコロッケに噛みつく。美味い。ざくり、と口の中で音がする。ほかほかのじゃがいもに牛肉の出汁が染み込んでいる。もう一口、もう一口と食べればいつの間にか無くなっていた。ああ、残念だ。しかしまだある。ホタテは後の楽しみに取っておこう。
 塩飽は売店でおにぎりとお茶を購入し、ぼんやりしていた。お土産も一通り見たが欲しいものは無かった。込貝が来ないと改札も通れないためこうして人々を眺めることしか出来ない。そこである一人に目が止まる。何かのコールドドリンクを持っているが、中身が白い。コッペパンの店から出てきたようだ。どうやらジェラートも売っているらしい。先ほどのはこれだろう。
「ご注文お決まりでしたらどうぞ」
にこやかな店員に声をかけられ塩飽は慌てた。ここで立ち去るのも印象が悪い。レジ前のメニューを指差しジェラートを購入することになった。
 大きい。季節毎になんだか出てくる流行りの飲み物みたいなサイズだ。塩飽は再び慌てた。とてもではないが飲みきれない。いや食べきれないというべきか。とりあえず一口吸い込んでみる。美味しい。さっぱりとして甘みのあるミルクにベリーのソースが爽やかさを与えている。これは思い切り混ぜた方がいいのかもしれない。手袋を装着してこっそりともう一口を楽しんだ。
 塩飽と込貝が再開した。塩飽は寒さに耐えかねて三分の二ほど残った薄紫のカップを片手に、込貝は駅弁と塩飽の分のお菓子と隠したコロッケが詰まった袋を持っていた。
「なにそれ」
「ジェラートです」
「美味いの」
しげしげとカップに視線が注がれる。
「あ、はい。あげます」
そう聞くと込貝の目が光った。何故この探偵が見逃していたのか塩飽は不思議におもった。
「ありがと」
ほぼひったくる速度でジェラートを回収した込貝は塩飽の数倍の速度で中身を飲んでいる。新幹線に乗り込む前にカップは空になっていた。
 移動というのは案外疲れる。隣の座席で寝息を立てている恋人を見ていた。やがて山から街へと景色が変わる頃、込貝はこっそりとホタテコロッケを取り出し、幸せを噛み締めた。また取材、来ないかな。

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