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ヒット漫画から読む時代の気分


ヒット作は時代の写し鏡だと言いますが、最も大衆的な娯楽の一つである漫画の大ヒット作品こそ、その時代の価値観を表していると言って良いと思います。

名作は無限にあり迷うところですが、以下の4作品が個人的には一つの節目を象徴してるのではと整理しています。

ドラゴンボール 1984開始 → あっさり成長主義
ONE PIECE 1997開始 → 目的と冒険
ワンパンマン 2009開始 → 俯瞰と達観
葬送のフリーレン 2020開始 → 継承

感覚的にピックアップしましたが、おおよそ10年区切りなのは後から気がついたことなので驚きました。(もっと昔の時代はまた別で書きたい)

ドラゴンボール


世界で最も人気の漫画といって差し支えないドラゴンボールと、その主人公の悟空。

作品を初めて見た幼少期には思わなかったことですが、この悟空について大人になってから考えてみると、不思議な気分になります。

「そもそもこの男は、一体何がしたいんだ…?」ということです。ハッキリ言って、掴みどころが無い。

ドラゴンボールを7つ集めると願いが叶う。という主設定に対して、主人公は特になんの欲望も無いという対比的な構成になっています。

悟空のただ一つの目的意識は、強くなること。しかしその強さにも目的はありません。「ワクワクする」ので強くなりたいだけであり、強さを使って何か自分の願いを叶えたり、世の中に貢献したりは自発的にはせず、基本系は敵の襲来などで受動的に物語が進行します。

ドラゴンボールの連載開始は1984年ですが、その翌年のプラザ合意から日本はバブル景気に突入します。

似た時期の他作品を見てても思いますが、この頃の日本人の独特な浮かれた軽さと、謎のパワーアップ感はまさしくドラゴンボールの世界観そのものです。

力を伸ばすことで、何のためか分からなくても全てが肯定されていく。

「死」であったり、「結婚」のような重大なイベントが極めてあっさり描かれる。そういうので空気が重くなるのはダサいし、とりあえずドンドン強くなってワクワクしよう!というクールさ。

情熱であったり、思考の深みであったりが全てダサくてバカバカしく思えてしまうバブルのイケイケ感、オシャレ感。

あっさり成長主義とでも言うべき価値観が、作者の鳥山先生の意図ではなくて時代の空気から自然発生していることが伝わる傑作です。

この説教臭さの一切ない、良い意味での空白感と軽さが、老若男女万国でヒットした理由だと思います。

ONE PIECE


バブル崩壊間も無くして連載終了したドラゴンボールに代わるジャンプの大黒柱として、1997年から台頭したのがONE PIECEです。

この作品は、とにかく登場人物の目的意識が強いのが特徴だと思います。

ワンピースを見つけるとすげーという、世界全体の共通目的と、海賊王になりたい、世界一の剣豪になりたい、お金持ちになりたい、みたいなキャラそれぞれの強い目的によって動いていく物語です。

悟空とは大きく変わってルフィは極めて自発的であり、開始早々、即冒険に出ます。ありったけの夢をかき集めて探し物を探しに行くわけです。

主人公にめちゃくちゃやりたいことがあるって、NARUTOとかHUNTER×HUNTERとかもそうですし、割と今では普通のことだと思われてますが、ONE PIECE開始らへんの時期よりも前だとむしろ珍しい認識です。

昔だと、戦いに巻き込まれるので戦うしかないとか、復讐したいとか、困ってる人がいるので助ける、みたいなのが基本になります。

日本は戦後からバブル崩壊まで基本ずっと成長しているので、その当時に「やりたいこと」とかは問われなかったと言います。レールを走れば幸せになっていくという世界ですね。

なのでやはり物語も、環境から外発的に運命を背負っていくタイプが多く、ルフィやナルトのような内発型が生まれたのはバブル崩壊で日本が迷子になってからという考察をしています。

ONE PIECEがそもそも、ゴールドロジャーが作った一時代が終わった後の物語であることともリンクしますね。(なのでキャラも、おじさん世代と若い世代で分かれてます笑)

この時期はインターネットの普及開始期でもあって、その後すぐにホリエモンを筆頭とするITベンチャーなども台頭して、まさしく先行きの見えない時代を「やりたいことがある人」が冒険して切り開いていく時代でした。

社会に出ると「やりたいこと」をとにかく聞かれ、自発的なリーダーが素晴らしいのだという自己啓発が、2010年代にピークを迎え萎むまでどんどん膨らんでいった時期だと思います。

当時の日本はまさに、目的を持って冒険するキラキラした若者とその仲間たち、という救世に飢えていた時代だったと思っています。

ワンパンマン


ワンパンマンは、これまでの常識だった雑誌連載からではなく、完全な素人だった作者のWEB漫画から始まった何ともロック感のある作品です。

内容もとんでもないカウンターであり、なんと主人公サイタマはあらゆる敵キャラをワンパンチで倒せてしまう最強男です。

かつ、サイタマはヒーローとしての戦いを趣味程度に考えており、それ以外の時間はワンルームで普通の生活をしています。

そしてサイタマの周辺キャラは、従来型の主人公である悟空のように、強さへのこだわりをもって日々それぞれ懸命に生きてるわけです。

でもそれは全てサイタマの強さによってギャグ化します。ただ、ギャグといっても決して冷笑的ではなく、歪んだ力への固執や強迫的すぎる目的意識に対して、妙な肩の荷を下ろしていく機能としてのワンパンチなんです。そこから独特の爽快感のあるドラマが生まれていきます。

なので視点がすごく俯瞰的なのですが、決して上から目線ではなくて「そもそも強さって何?そんなに大事なの?」という、価値尺度自体を問い直すフラットさがあります。

ただ、その問いを圧倒的な強者から拳と共に投げつけられてしまうので、周辺キャラは「強さ」について無限の追求をしていくことが出来なくなり、目を覚まして大人らしい折り合いを付けていかざるを得ません。

これは、強さへの強要感の中で生まれ育った挙句、SNSなどで無限に「自分より強い存在」が可視化されてしまう現代人にとってはあまりに強烈なカウンターであり、同時に救いでもあります。

全く共感不可の強さを持ったハゲの主人公から俯瞰と達観を迫られる、新時代らしい価値観の作品です。

ちなみにここに入れるのにチェンソーマンも迷いました。強さって?幸せって?の根本から問い直すテーマの作品としてはどちらも斬新です。

葬送のフリーレン


ついに2020年代まで来ました。

フリーレンはワンパンマンから続くオーバーパワー系の主人公の1人だと思うのですが、実力だけでなくて、寿命がとんでもなく長い時間的な超越者であることが特徴的です。

かつ、物語はなんと「全部終わった後」からスタートします。

悟空のように強さだけを追い求めれば良い時代でもないし、ルフィのようなやりたいこと大航海時代でもない。その辺りがこじれてオーバーヒートした頃に、サイタマには冷や水をかけられる。

ただ、サイタマは問いしか与えません。結局なんのために生きるのかという答え合わせは現状未完なのです。

フリーレンが事後の世界を、「人を知る」という理由で旅をするのは、まさしくここに一つの答えを出すというテーマがあると思っています。

いよいよどうして良いか分からなくなった現代人に対して、そもそも人間ってどういう存在なのか?を超越者視点で描いた作品なんだと思います。

そんなフリーレンで常に描かれるのは、「大昔に出会った人や起きた出来事が、紡がれて現在にも影響が残っている。」というエピソードの数々です。

それもメインキャラはもちろん、村人Aみたいなサイドキャラの行動の結果もしっかり描かれます。

これは、従来までの現在重視の価値観だけでなくて、より長い時間軸から眺めることで「色んな人の色んな行動、もしくは存在自体が後世に少なからず影響を与えている」「そういった継承の積み重ねの中で人間という存在自体が進歩している」ということが分かっていきます。

一方でフリーレンらエルフや、かつて魔王の手下だった魔族たちは、強い力や永遠に近い寿命を持っていますが、子供を作ったりはしませんし、何かを残すという行為全体について人間ほど積極的にはなりません。

つまり、人間として生きることのテーマは魔王を倒すとか、強くなるとかそれ自体ではなくて、究極は「何を残すか」であるという極めてシンプルな答えを提示してくれた作品だと思っています。

迷いの生じやすいこの時代に、そもそも根源的な「人間とは?」というテーマから問い直した傑作です。

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という風に、往年の名作から最新ヒット作まで、いろんな作品から読める時代の空気感についてあれこれ考えてきました。

これだけ変化の激しい時代なので、またすぐ新しい価値観を反映した作品が生まれてくると思うと楽しみですね。自分でも描いてみたい!

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