桐花の蕾

「桐花の蕾」
               

 幼い頃、どこかの山で見かけた薄紫色の花。
蛍袋より、少し細長い釣り鐘状の花が、鈴蘭のように樹の枝に連なって咲いていた。きっとあの花は桐の花だった。今この庭に咲いている花と同じ、薄紫の桐の花。
私の入内(じゅだい)が決まったのは、父の死から五年、裳着(もぎ)を終え成人してからは、三年が経とうとしているころだった。
私が産まれた時から父は
「この子にぜひ宮仕えをさせよう。」
と私を抱き上げながら言っていたそうだ。今際の際までついに、そのことを母に託して亡くなった。朧気な記憶の中でも父は、いつも私の輝かしい未来を夢見ているようで、私達家族の指針だった。父を失った私達には、寄る辺のない浮草のようにふわふわとした不安が付きまとう。それでも母は、どんな儀式のときも気丈にふるまって、後見のいない私が見劣りして辛い思いをしないよう図らっていた。けれど、本当は、一番寂しく思っていたのはきっと他でもない母で。裳着(もぎ)の時、瞳の奥が揺らめいていたのを、私は知っている。腰紐を結ばれ、髪を上げ、大人になったばかりの私が初めて見たのは、夕立をうけて波立つ水面のような母の瞳だった。私は願われて、守られて大人になったのだ。その瞳を見て、私の覚悟が決まった。強くなろう、しなやかに。どんな強い風にも、嵐にだって負けないように。私は生き抜くことをやめないでいよう。私を愛してくれた人達のために。
それから季節は巡り、父が亡くなってから、三年。散った桜の花びらを愛でる季節になり始めたころ。ようやく正式に、私の入内(じゅだい)が決まった。
 ぴんと張りつめたように見えるけれど、指で力を加えると、思いの外たわむ弦。力の加え方次第で、幾重(いくえ)にも広がる揺らぎ。ぴいん、ぴん。空気を震わせる琴(きん)の音が、私は好きだ。
ぴいん、びいん、びん。
「姫、お母上がお呼びです。」
何だろう。侍女にせかされるようにして、母の部屋へ歩を進める。屋敷全体が浮足立っているような、どこか気後れして緊張しているような、形容しがたい空気が漂っていた。
「ただいま参りました。母上。」
御帳台(みちょうだい)の前に腰を下ろし、母を見ると少し緊張した面持ちで、母は私を見つめて言った。
「本日、内裏(だいり)から遣いの者が参り、貴方の宮仕えが決まりました。次の吉日に、遣いの者が帝の結婚の文を持ってこられるでしょう。」
待ち望んでいた瞬間。私と母と、亡くなった父の、死の間際までの願い。言いようのない思いと熱が、私の中でごうごうと駆け巡る。
「後見(こうけん)のいない身で、宮仕えをすることは、貴方にとって辛いこともあるかもしれません。けれど、貴方は父上とこの母の誇りです。どのような方にも勝るとも劣らない娘に、育ってくれました。自分を恥じず、しっかり努めなさい。」
一体今日まで、母はどれだけの冷たい感情にさらされてきたのだろう。私の好きな琴(きん)の音は、母の幼い頃からの手解きの賜物である。和歌も、礼儀作法も、全て、父の願いと母の努力の結晶だ。私は私として生き、私として生かされてきた。全てをかけて。
その夜は、久しぶりに父が亡くなった日のことを思い出した。父がいなくなってしまったあの時のことを。横になると思い出されるのだ、父のことが。見上げていた時は、あんなに大きく広く思えたのに、横たえられると、こんなに小さかったのかと不思議に思われる。多分人は、横になるとこんなものなのだろう。どんな大男だって、横たえるとこの部屋には納まってしまうのだろうから。それが、生きて、立ち上がっている。温度がある。ただ、それだけ。本当にただそれだけ。それだけで。
 もうそれ以上は言葉にならなかった。心でも、声でも。何か形になるようなものは、何も。何も生み出すことはできなかった。私も横になるとあの時の父のように、小さくなっているのだろうか。いつかはなるのだろうけれど。寝ることは、少しだけ、ほんの少しだけ、死ぬことに似ていると思う。でもそれは、本当はちょっと本当で、寝るたびに死には近づいている。どんなに貴(とうと)い人でも眠る。どんなに貴(とうと)くとも。帝もきっと眠られる。あの方もいつかは亡くなる、私達と同じ人なのだ。そう私に教えてくれる。
 暖かいというには少しだけ暑くて、もしかしたら初夏が、すぐそこに来ているのかもしれない。そんな麗らかな吉日の夕暮れ。帝の文を携えた遣いがやってきた。何度も確認され整えられた調度品。子供の頃からからずっと一緒だった琴(きん)。ささやかだけれども、大切な誇りある花嫁道具たち。小袿(こうちぎ)に蘇芳(すおう)色を二つ重ね、袿(うちぎ)には白を、単(ひとえ)と袴(はかま)には濃蘇芳(こきすおう)を合わせた花嫁衣装に身を包み、輦車(てぐるま)に乗り込み内裏(だいり)へ向かう。都には住み慣れているものの、内裏(だいり)の中へは初めて足を踏み入れることになる。同じ地上にありはするのに、足を踏み入れたことがないだけで、どこか雲の上のような、未知の世界に感じられるのが不思議だ。
今まで生まれ育ったこの場所から、内裏(だいり)よりもっと遠い所へだって、父について行ったことはあるのに。新しい場所、知らない人、貴(とうと)いお方。輦車(てぐるま)に揺られながら思いをはせる。少しずつ、確かに近づいてゆく。どんなお方だろう。父の悲願のことは、帝もご承知のことと聞く。なんの益もない我が家の願いを承知してくださった、慈悲深い方なのだろう。確かな後見(こうけん)もなく、なんの力も持たず入内(じゅだい)する私が差し上げられるものは、一体何だろう。
 内裏(だいり)での私の住まいは漵景舎(しげいしゃ)、庭に桐が植えられていることから桐壷と呼ばれている場所が与えられた。
「桐は高貴で神聖な樹と言われていてね。ほら、あの薄紫色の花も、姫の白い肌によく映える色だ。」
「姫の大好きな琴(きん)も桐で出来ているのよ。」
「ほんと?」
「そうだよ、一等上級なもので作らせたから、決して割れることなくしなやかに、いつまでも素晴らしい音を奏でてくれるはずだ。」
「あら、ますますお稽古頑張らないとね。」
「わたし、がんばる。」
「それは楽しみだ。きっと将来、主上が聞いても素晴らしいと思うぞ。」
ぴいん。優しく弦を弾いてみる。お守りのように。優しい記憶は何にも侵されることなく、そこに留まり続けている。受けた愛情とともに。これまでも、これからもそれは変わることはない。一度受けたものは、けして無くならない。それは私にとってかけがえのない勇気だ。
 「桐壷更衣(きりつぼのこうい)殿、主上から清涼殿(せいりょうでん)の夜大殿(よるのおとど)に昇るようお達しです。」
 桐壷は、帝がお住まいになっている清涼殿(せいりょうでん)から、後宮の中では一番遠い。数多の姫君達の、住まいの前を通り過ぎなければ、たどり着けない場所にある。新居で行われている祝いの宴の騒がしさも、もはや程遠くなってしまった。幼い頃から仕えてくれている女房達と共に、粛々(しゅくしゅく)と歩みを進める。どんなに遠くとも、歩を進めていれば必ずたどり着くもので。清涼殿(せいりょうでん)にたどり着き、夜大殿(よるのおとど)に入り女房(にょうぼう)達とも別れ、いよいよ私一人帝の許へ参る。お休みになられる御長台(みちょうだい)のかたわらには、三種の神器が安置されている剣璽案(けんじあん)がある。御長台(みちょうだい)の褥(しとね)の上に座っていらっしゃる方、あの方が帝なのだろう。帝は私より四つ年上と聞いている。私より、年が上だからというのもあると思うけれど、穏やかで落ち着いた気品のある方だと思った。眼差しが優しく、新緑の木漏れ日を思わせられる。どうしようもなく緊張してしまうのは仕方がないことだと、自分でも思うけれど、やっぱり少し恥ずかしく申し訳なく思ってしまう。強張っているのが悟られないよう祈りながら、おずおずと帝の側に参ると帝が、
「貴方は、琴(きん)が優れているそうだね。」
とおっしゃられる。
「お父上の按察使大納言(あぜちのだいなごん)が、いつであったか言っていましたよ。私も今度、ぜひ聞いてみたいものだ。」
あまりにも柔らかく微笑みながらおっしゃられて、戸惑い驚く。けれども、飾ることなく言われた言葉が、私にはただ暖かかった。じんわりと、身体にぬくもりが戻ってくる。何気なく手渡された真心が、私には使いきれないほどの勇気をくれた。私が私としてこの方にしてあげられること。与えてあげたいものについて、私なりに考えていたこと。唇に熱がともる。
「私は何も持たない身の上です。私から帝に差し上げられるものは、この身だけしかありません。ずっと考えていたのです。他の姫君方のようには、何も差し上げられないであろう私のことを。」
それでなくても、帝は何もかもを持っている。誰にも何かを与えることは、できないのかもしれない。けれど私は、私にしかない誇りと愛情が、この身に力強く息づいている。
「私が与えられるのは、私がこの身に抱え込んだ記憶と経た事だけです。言葉も爪弾く琴(きん)の音も、全ては私が今に至るまで経てきたものによるもの。私の美しい記憶も幸せな思いも、私を通して貴方様に差し上げます。」
それが私の答えであり、唯一の真心。
「…ならば、私と共に新たな幸せを経ていこう。」
それが最初に重ねた、私と帝の幸せであった。
                  


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