あなたの近くの困ったちゃん

こんにちは。こんばんは。
メンタルトレーナーの棚橋曉羅です。

居ませんか?あなたの近くにいる困ったちゃん。

可愛く表現をしていますが、
実際にはとても面倒であったり、
やっかいだったり、あなたの利益を阻害していたり…。

嫌い!
とまではいかないものの、
あなたを困らす人。

例えば
話を聞いているのか聞いていないのかわかりづらい人。
こちらの意図を理解せずに仕事を進める人。
言い訳ばかりで内容の伴わない人。
他人に責任を押し付ける人。
いちいち小言を言う人。

いると思うんです。

どう受け止めるかはあなた次第ですが、
わたしの近くにもいます。

そこでわたしからの提案です。

その困った人と上手に付き合う方法です。
ありませんか?
あなたにとって困った人でも、ある人からすれば困った人にならないってこと。
あなたとは上手くいっていないだけで、
ある人とは普通に関係が築けている姿を見かけることありませんか?

わたしはよくよく目にします。

そういう上手に付き合う方法の一つとして、
リフレーミングというのがあります。

フレームワークの一つで、
考え方の仕方を変えるというだけ。

私はそれを知らずに我を通した結果、何度も転勤することになりましたし、
孤立することになりましたし、
本当にお粗末様でした。

彼らにとっては日常でもあなたにとっては非日常。

あなたは気をつけているが、
彼らは気にも留めていない。

それがあなたのイライラを助長させたり、
それを見て見ぬフリができなかったり、できたり、

どう解釈するかはあなた自身に委ねることになりますが、
そもそも、事象には真実と虚実が入り混ぜになっています。

光と影の関係というか。

月と太陽の関係というか。

概ね、あなた自身に足りない部分に引っかかっているか、
あなたの弱点に成り得る、もしくは弱点である部分が露呈しているから、

あなたの感情を逆撫でしているかのように感じているのではないでしょうか。

わたしも多くの弱点があります。

それでも、生きていけてます。

なぜなら、弱点を補ってあまりあるあなたの魅力があるからです。

わたしの強みは分析することです。

あなたにはあなたの弱点を補ってあまりある魅力が必ずあります。

それはまだ見つかっていないものかもしれませんし、

周りからしたら見えていてもあなた自身が気づいていないだけかもしれません。


最近特に思うことですが、
100%完璧な人がいないように。
0%非完璧な人も同様にいないんです。

どう表現したら伝わるのかと真剣考えてみても、
あなたが生きているという時点から少なくとも存在しているってことです。
逆説が成立しないのですから、
必ずあなたの素晴らしい魅力はあります。

例えば、今もあなたが魅力がないと思い込んでいるだけで、
その裏側にある、自分を省みれるという素晴らしい特性に気づいていないだけかもしれません。

自分自身を俯瞰して観れるというのは、
子供には到底できない芸当です。

アホな人にはもちろん、
マウントを取るような人も当然、
内観して観れていれば、

ここを直したらいいかな?
じゃあどうしたら良くなれるのかな?
とにかくこのままだとまずいから何か変化させなきゃ。
って行動に移そうとしています。

もし、それすらも卑下して
「違う、違うわたしはそんな良い人間じゃない」ってまだ思うようであれば、

あなたはきっと自信がないだけなんです。

自分を受け止めることから、目を背けていたから、どうしたらいいのか戸惑っているだけです。

あなたを困らす人というのは、
それを知らずに知らずのうちに受け止められるように、心の準備をさせてくれているだけなのかもしれません。

人って困った状況に陥らないと重たい腰を動かそうとしないから、そういう状況になるようにあなたの無意識の本来の姿が困らす人というのを作り出して、観せてくれているだけなのかもしれません。

このように、マイナスをプラスにするようなフレームワークをリフレーミングと言って、

あなたが固定概念があなた自身を束縛しているだけなのかもしれません。

揚げ足を取るとするなら、
それってただ単に自分の都合の良いように解釈しているだけでしょ?
常識的に考えて、自分の事ばかりで、自己中心的な思考じゃないか!
もっと他人の事も考えろ!

というご指摘を受けるかもしれませんが、
わたしは敢えて言います。

自分の幸せを優先してなぜ悪いのですか?
自分が幸せだから、他人に与えられる幸せが持てるようになるんだと考えていますが、
その指摘をされるあなたは他人の事をつぶさに事細かく観ているのでしょうか?
見ていてその指摘をつぶさにされているのでしょうか?
それは自己満足のためではないでしょうか?

誰がその指摘をして下さいとあなたにお願いをされたのでしょうか?

お願いがあって初めて需要と供給というこの世の原理原則が働くようになるのですが、

あなたが指摘して喜ぶ人というのは、
お願いをした人本人だけだとわたしは考えています。

はた迷惑という言葉がありますが、
自己満足のためだけに行われる指摘ほど、
有難迷惑もありません。

もし、それが生きがいというのであれば、
あなたはきっと、わたしと同じく、分析が得意でそれを表現したいだけなのです。

その表現の仕方がそぐわないから迷惑なだけで、
その分析力というのは他の人からしたら素晴らしい特性に変化すると考えます。

という返答をわたしはしようと今決めました。


これもリフレーミングの一種でして、
訓練次第では誰でもその時、その場所から、
いつでも幸せを手にすることができます。

厄介な人というのはあなたの素晴らしい魅力を気づかせてくれる有難い存在ですが、
素直に直接的に教えてくれるのではなく、
不親切で、間接的で、なおかつ、困った状況に陥るようにしむけているかのように、
本当に困らす事に長けています。
いうなれば、子供のようなイタズラです。

本当の本当に有難迷惑な存在です。

とりわけ、その困ったちゃんと上手に付き合うには、その人の存在を一度認めてから、
リフレーミングを行い、メンタルを病まないように予防してから、相手との適切な距離感を保つというのがベストです。

そうでないとわたしはメンタルをやられてしまいますし、自己防衛から攻撃的な対応をせざる得ない状況になってしまいかねません。

自己防衛から攻撃的になった後のことを考えると、自己嫌悪する自分がいるので、
それすらも嫌ですからわたしは困った人との適切な距離感を取るように離れようとするでしょう。


それでわたしの精神は下の方で安定はしますが、
対人関係の観点から幸せとはまだほど遠いようです。

幸せは対人関係が良好だと幸せだとより感じるように「人」はできていて、

その幸せを感じるのは脳です。
オキシトキシンやセロトニン。と呼ばれるホルモンがニューロンを通ることで麻薬のように快感を出し、それを感知して初めて幸せだって思う。思い込んでいるようです。

わかったところで、こんな小難しいことをいちいち考えずに済むように、私たちには感情というとてもとても大切な精神世界を持ち得ています。

感情論?大いに結構!
むしろ感情論でもいいから、本心でぶつかってくれる存在ってとてもとても有難いですよね?

正論?たしかに正しいよ?
それで?それがわかったから何?
それが正しいから何?

それを理解することで私は道を踏み外さないようになるかもしれませんが、

今、それを言ってハイそうですか?とはならないんです。
じゃあ次からそれをしないようには気をつけますが、わたしは今不愉快なんです。
正論は正しい。
けどあなたのその感情を感じないような人から言われてもわたしを理解されたくありません。

というのがわたしの心の奥底にある、
拒絶反応と理性との併合世界なんです。

複雑だけど、一つ一つ確かに存在していて、
こんがらがるかもしれませんが、どれも大切なものです。

理性があるから、秩序が保たれ、
感情があるから、世界に色がもたらされ、
相手がいることで、自分の存在を確かめることができるのだと思います。

感情を殺しても何も面白くないし、つまらないものです。
ましてや自分自身で自分の存在を殺してどうするのですか?

理性を無くして、壊れたら?
平和は無くなり、暴力や支配し支配される、そんな地獄のような様相に早変わりです。

話が大きくなりましたが、
リフレーミングを知れば、
あなたは簡単に幸せを手にすることができます。

今からでも幸せになれるし、幸せを手にできます。

刹那的な思考ですと、快楽主義と言われるかもしれませんが、

世界ってそうできているんです。

不幸の主人公を演じたければいつでもできます。

不幸を手にするなら、世界の不幸な部分を手にして不幸だと嘆けばいいだけで手にすることができます。

幸せって努力しないと手にできません。

不幸って何もしなくても手にできます。

困った人というのは行動をしていないだけで、
口だけ。という場合がほとんど。

ちゃんと行動に移すと幸せって叶うんです。

私だけではなく、あなたも幸せになれます。

応援しています。
以上曉羅でした。

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