作品にとっての、良い親でありたい

年末の日記にこんな走り書きがある。


ふと気づく瞬間があった。
作品は、自分ではない。自分の子供だ。

作品には作品の命と意思があって、それを私が
まだダメダメだから、なんて言って、止めてはいけない。

作品が望んでいること、
たとえばこの話を誰かに聞きたい
たとえばこの疑問をクリアにしたい 
この問いにもっと向き合ってみたい。

作品が結ぼうとしている関係性を、
それは最終的に使わないかもしれないから、
なんて理由で親がとめてはいけない。

作品も成長している。
それを認めずして、まだまだ、とか、全然だめなんて言うのはおかしい。

健やかに大きく育つように、羽ばたけるように。
そのために親ができることは、いま私が娘と過ごす時間で経験していることと、
変わらないのだと思う。眼差しを向ける。
見守り、必要とされるときに手を動かす。美味しいご飯をつくる。

作品が冒険をしようとしているときに、
ただ身綺麗にすることにすることばかりを押し付けてはいけない。
もちろん最後に舞台に出ていくこきは、晴れ着を着せてやりたい。
でもその過程では、どろんこになり、チグハグな靴下を履く。
その過程は「ダメ」ではない。

作品のために、自分を犠牲にしてはいけない。
健やかな親でいること。
親も未熟だということを知った。
完璧を待つのではなく、作品とともに、
何度もつまづきながら、成長していく、のだろう。

今日、作品の声が聞こえた。
母ちゃん、いつまで僕を閉じ込めておくの。
いつまで僕のことを、まだっていうの? 
いつまで、僕が、話を聞きたい人、関係を結びたいと思っている人たちとの
関係を結ばずに、僕を誤魔化すの?

過去の作品の声たちも聞こえてきた。
少しでも僕たちが褒められたら胸を張って欲しい。
うちの子すごいんです。って誇りに思って欲しい。
まだベストセラーになってないからって、無言にならないで欲しい。
世界に出ていくチャンスを潰さないでほしい。

そう言っていた。

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