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孤独な散歩者の夢想(ルソーの本を譲り受けて)

少し前に、ご近所さんから大量の蔵書をいただいた。その家は、私たちが引っ越してきた時にはもう空き家になっていて、時々、私と同年代と思われる親戚の男性が黙々と中を片付けにきていた。ほとんど繋がりのなかった家の主人は、伴侶や子どもと死別し、施設に入っていると、別のご近所さんか聞いたことがあった。

ある時、紙ごみとして雪に濡れていく本たちをどうしても放っておけず、我が家で引き取れないか相談した。好きなだけ持って行っていいんですよと、男性は穏やかに言った。

回収車が来るまでほとんど時間がなかったので、研究者の友人に電話して、科学の本をいくつか。私は世界文学全集と、日本文学全集一式、それから、たまたま背表紙が目についた本をとにかく直感で大量の束の中から抜き取って、結び直した。物理、天文、化学、文学、歴史考察、哲学、英文学、翻訳関連、大量の辞書と、大判の科学図鑑。どれだけ一体何をされていた方なんだろうと持ち主への好奇心が沸いたけど、男性はすでに帰った後だったので、聞けなかった。

到底部屋に入りにらないとわかっているのに衝動で引き取ってしまった本たちを何とか棚に納めてから、手に取った本がルソーだったことに、これといった理由はなかった。

ページを巡り始めてすぐに、震える筆跡で、走り書きがあった。

「わたしは、孤独の状態になっても、一つの抜け道があったので今のところは安心している。それは読書が僕にとっては友人だからです。」

昨日から、家の取り壊しが始まった。主の方がご存命中は手をつけないという話だったから、亡くなったのだろう。

私の部屋から見えていた新緑の草が生え並ぶ屋根はシートで覆われている。見ないで済むのに、バリバリ、ガッシャン、グシャリと、破壊に満ちた音が続くことに落ち着かず、外に出た。

家はまだそこに家とわかる骨組みを残していた。壁が一面、屋根が半分剥がされただけで、トラックに山のような木材が積み上がっている。まだまだ、自分の人生には深みがあったぞ、とでもいうように、頑丈にそこに立っていた。

部屋に戻ると、本が私を迎えた。

エンジンをふかした重機が、バリバリと屋根をはがす、ガッシャンと壁を割る、意図的な音の中に、グシャリと崩れ落ちる音が混ざる。相変わらずの音に囲まれながら、これは火葬場の境地だと思った。

ひとりの人生が終わり、私は彼を取り囲んでいた友人たちと、終わりの音を聞いている。


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