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ツマはオットのマネージャーになると決意

オット、マッキーの長期入院は、ツマの私にとっても大きな大きな転換期となった。突然の人生の方向転換の考察、マッキーの性格と自分の人格の分析、二人で生きていく将来のための潜在意識の書き換え、、、回転の悪い頭をグルングルン回し考えまくった。

で、こんなんでました〜〜〜♪

冷静に論理的に考える(今は感情思考..)→→綺麗ごとより本音で生きる→→過程も結果も良きものにする→→私がマッキーのマネージャーになる!


マッキーと亡き父が重なった出来事

私の父は10年ほど前に白血病で亡くなっている。
父は元気だった頃、超がつくほどワガママな人で、家族はみんなそんな父に呆れて、ある意味諦めていた。(父への愛情は最後まであったよ^^)

父が50代後半か60代前半だったか、、いわゆるバブル時代。田舎でもある程度のバブル感はあり、父は祖父からの商売で会社を経営していたので、夜な夜な会合と称して地元の社長さん達と飲み歩いていた。どんな付き合いをしていたのか私は知らなかったけど、その頃から母に対する言動が変わり、そんな父に対する母の苛立ちを感じていた。母も父の会社の社員だったので、父の行動は横の繋がりから耳に入ってきていたんだと思う。

母もかなり気の強いタイプなので、度々父と揉めていた。
そんな揉め事を目にする事も多くなったある日、父のこんな言葉を聞いた。

『友達だけが本当のことを言ってくれる!家族の言葉は信じない!』

父の言っている〝友達〟は、夜の付き合いで知り合った、母に言わせれば近づいてきた人たち。父のこの言葉を実際聞いてしまい、諦めていたとは言えショックだった。今でもこの時のことを忘れられない。ある意味トラウマとなっている。

私にとって、この父とマッキーが重なる出来事があった。

10年20年先を見ていたツマ、今しか見ていないオット

マッキーはよく言えば集中力がある。集中している時は呼びかけても聞こえなくなるタイプ。いわゆる男性脳なんでしょうね。それが裏目に出てしまった。
思うように成果の出ないリハビリから逃げ、悲しみに沈みきっていた時、デザインのお仕事の依頼が入院中のマッキーに届いた。とても嬉しかったんだと思う。結果デザインは完成し、FBの場や看護師さん達に沢山褒めてもらえた。

しかし、マッキーはホウレンソウを忘れてしまった

ツマはこの事を知ったのはnote用の原稿をメールで貰ってからだった。
ツマはマッキーの状況を少しても良くしたいと思い、努力し続けていた。どうすればリハビリが上手くいくのか、どう声をかければリハビリに力を注いでくれるのか。停滞期になる前に〝受容や悲しみはまず置いといて〟リハビリに命をかけて欲しかった。それは10年20年先のために。
そんなツマに、マッキーは集中するがあまり報告も連絡も相談も忘れてしまった。結果ツマがどんな気持ちになるのかなんて考えもせず。

まあ、ここまでならツマもギリギリ踏みとどまれた。

しかしマッキーはこの後、ツマが地雷を踏む行動をしてしまったのだった。
「やってる事はあの時の父と同じじゃん..」よみがえるトラウマ

これじゃ前に進めない。どうしたらいいの??

爆発しましたよ。ええ。大爆発。
ツマの尊厳を踏みにじられ、我慢の糸が切れる音がしました。鬼発動!!
マッキーはLINE通話の先で号泣。泣いたって許さない。かなり言いました。泣きじゃくってましたよマッキー。そしてこの後マッキー大スランプ突入。
はいはい。スランプは確実にこのことが原因です。

しかし、私が爆発したからと言ってマッキーは心を入れ替え、やる気を見せるのではなく、ひたすら落ちていってしまった。。。だめだこりゃ。。

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オットは愚かな行為を繰り返す。一番大事なものを見失う。そして弱虫。
ツマは感情的な行為を繰り返す。家族が一番。でも追い込まれると鬼になる。
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冷却期間を置いてみて↑↑これを改善するのは難しいと思った。だって実は今回が初めてではなく、何度かこんな事は繰り返してきたし。
って事は、別のどこかを改善しなければ、また繰り返すでしょ、、それでは良い結果になるはずがない。

どうする?どうする?どうする?グルングルン考えましたよ。。。私の出した結論は。。

良い結果を出すためには過程は大切。その過程はいつも透明でスムーズであるべき!過程が不透明にすると良い結果は出ない!

私はマッキーのマネージャーになる!!

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ありがたいことに、入院中にも関わらずマッキーにいくつか仕事のお話をいただいています。皆さんにお願いしていているのは、私を含めて連絡をいただいているということ。皆さん快く対応していただけています。ありがとうございます!!

しばらくの間、このスタイルで進めさせていただく予定です。マッキーの体調、お仕事、どちらも良い結果が出せるよう私も頑張っていきたいと思います。
煩わしいかとは思いますが、何卒ご理解いただければと思います!
よろしくお願い申し上げます!!


私の父ですが、四年闘病生活を送りました。どこに行くのも母と一緒、母も父を大事にしていました。晩年よく母に「側にいてくれ..」と素直に言っていました。

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